無料ブログはココログ

わたしの著書

  • 憲法Ⅰ 総論・統治機構論
  • 憲法Ⅱ 基本権論
  • 著作権と憲法理論
  • ロールズの憲法哲学

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月29日 (土)

研究室の整理

 曇り。寒い。雪でも降りそう。

 年末ということもあり、研究室の掃除をしたり(掃除は結構コマメにしていました)、少し読書をしたりしました。大学に来るのも、年内は今日が最終日の予定です。

 そんな中、たまりにたまっている複写物の整理をしました(といっても全部はできていません。来年に持ち越しです)。

Cimg1008  こんな感じです。

 ←ちらっと、トミカ・ケースも見えます。この話はまたいずれ……。

 年末年始は寒くなりそうです。みなさまお体にはご自愛ください。そして、良いお年をお迎えください。

2007年12月27日 (木)

裏声で歌え君が代

 快晴です。年末に雪がちらつく予報があるとは思えません。

 先週から読み続けてきた丸谷才一『裏声で歌え君が代』(新潮文庫、1990年)をようやく読み終えました。購入以来、読もう読もうとは思っていたのですが、文庫とはいえ600頁に及ぶ分量に、まとまった時間が必要だったので、年末というのはよい機会でした。

 この本の内容をひと言で表すとするなら、それは池澤夏樹による「解説」にあるように、「国家論」というしかないでしょう。国家というのはどのような存在なのか(確かに存在している)、わたしたちは国家とどのように向き合っていけばよいのか、ということについて、もちろん結論を得るまでには至りませんが、考えるきっかけを与える良書だと思います。

 日本という比較的国家というものを意識せずに生きていける環境で、なお薬害訴訟とか集団自決に関する教科書の記述のこととかに思いをはせるとき、朧気に浮かび上がるその姿を看取するよい材料でした。

 また丸谷が主人公である画商・梨田雄吉の口を借りて述べる君が代の歌詞の解説や、日本軍の非合理性(深夜こっそり敵を殺傷するさいにも日本軍の美意識として喊声をあげて突撃すると考えていること)など、さらに解説者が「謎の黒幕」と評している台湾独立運動反対派であろう朱伊正が、西欧近代国家の「民衆が、民衆を、民衆のために統治する民主主義」をいうのは結局のことろ治者と被治者の同一性を説いており、話に無理があるとしている件、「古代的な、少数者による政治のほうが、うまくいくような気がします」というところなど、考えさせられる記述が盛りだくさんでした。

 ただ、小説という作法ゆえ仕方ない(というかそれが真髄)かもしれませんが、ところどころに織り交ぜられているエロティックな記述は、いまのわたしには不要でした。

2007年12月26日 (水)

年賀状

 よく晴れていましたね~。温暖な一日でした。

 クリスマスが終わると、つぎは年賀状書きですね。みなさんはもう終わりましたか?わたしは本日、すべての年賀状を書き上げ、あとは投函するだけです。

 おそらく小学校の頃から書き始めた年賀状も(あの頃は担任の先生やごく親しいクラスメイトとせいぜい親戚などに限定されていた)、最近ではここ数年(含10年以上)顔を見ていない人へのものまで含めて、100通以上書かなくてはならなくなっています。本年は120~130通におさえました(親戚筋へのものは妻にお願いしました)。

 いつも人様にお世話になってばかりの人生なので、本来はもっと書かなければいけないのかもしれませんが、残りは送ってもらったら書くという作戦に出ようと思います。ちょっと不遜でしょうか。

 ところで娘が生まれてから、わが家の年賀状は娘の写真になりました。いままでは別に違和感なかったのですが、わたしの年賀状、とくに仕事の繋がりしかない人への年賀状まで娘の写真というのは少し変かなぁ、と思うようになりました。せめて家族全員が写っていれば「お陰様で元気です」という意味あいもでますが……。来年の年賀状はそうしようかなぁ~。

 来年の当初期(1~3月)の仕事の目途がつけば、はれて年末年始休業に突入です。

2007年12月24日 (月)

研究会出張

 晴れのち曇り。天皇誕生日の振替休日。

 先週末にインター・カレッジの研究会が九州大学箱崎キャンパスで開催されたため、福岡に出張しました。九州の大学に赴任したということで、わたしも今回の研究会から出席されてもらうことになりました。

 2本の報告は、いずれも表現行為が不法行為に該当するとされる場合の法理論を検討するもので、古典的論点でありながら、新しい切り口から論じるものでした。

 ある先生の話によると、関西や九州にはこのような大学間を横断する研究会があるようですが、関東圏にはあまりないようです。このような研究会は意義深いと言えるでしょう。実際、先週末の研究会は九州の研究会だったのですが、その参加者の半分以上の先生について、わたしは別の関西の研究会ですでに知り合いになっていました。

 あと1週間で来年も終わりです。今週のわたしの課題は、院生の修論を指導することと、年賀状を書くことです。

2007年12月20日 (木)

ロバーツ・コート始動!

 快晴。

 合衆国最高裁判所2005年開廷期の主要判例を解説したハーヴァード・ロー・レヴューのリーディング・ケースを読みました。合衆国の判例を詳しく検討することは時間もかかるのですが、最低限の情報だけはチェックしておこうと思い毎年読んでいるものです。今年は勤務先変更に伴う勉強環境の変化もあり、ようやくこの時期になって読み終えることができました。

 2005年の開廷期は、11年ぶりに連邦最高裁判事の構成が変わったということで、今後の最高裁判例の動向を占う上でも、興味深い開廷期だったのではないでしょうか。

 ただ実際には裁判官の構成が変わったというだけで、結果としては、Foreword を書いたF・シャウアーの言うように、本開廷期は「Quiet Term」でした。その理由は、裁判官の見解が鋭く対立した事例が少なかったこと、既存の法理から離れた判決がなかったことなどがあげられます。

 そうそう最高裁判事の構成の変更ですが、まず首席裁判官がレンクイストからジョン・ロバーツに交代しました。また、開廷期の途中で、オコナ裁判官がオリトウ裁判官に交代しています。共和党政権下での裁判官交代ということで、保守化(右傾化?)するのでは、とアメリカ法業界ではささやかれているようですが、先例拘束性を重視する彼の国のことですから、裁判官のメンツが変わったというだけでは、そうやすやすと保守的判決が生まれるとも考えられません。いずれにしても、今後のロバーツ・コートの動向が注目されます。

 【ワン・ポイント解説】アメリカ合衆国連邦最高裁判所は「開廷期」の制度をとっています。合衆国連邦最高裁規則3条によると、当該年度の開廷期は、その年の10月の第1月曜日にはじまり、翌年の10月第1月曜日より前に終わる、と規定されています。この規定を受けて、通常は、10月から翌年の6月末までを、当該年度の開廷期にしているようです。よって2005年開廷期は、2005年10月から2006年6月までということになります。

2007年12月19日 (水)

「シェーン」延命ならず

 くもり。でも雲の切れ間から陽光も。おはようございます(というほど早くもありませんが)。

 最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長。「ときやす」と読む。行政法学者)は、昨日18日、1953年に公開された「シェーン」の著作権について、2003年末で保護期間が切れたとの判決を下しました。

 著作権法54条1項は映画の著作物について、その著作権期間を公表後70年と規定しています。ただ、この現行法は2004年(1月1日)から施行されました。改正前著作権法では、公表後50年の保護期間が、映画の著作物について与えられているだけでした。

 ポイントは、2004年施行の現行法の付則にある「この法律の施行の際、現に著作権がある映画に適用する」という文言の解釈です。「シェーン」の著作権保持を主張した米国の映画会社(と日本での権利をもつ東北新社)および文化庁は、2003年末(すなわち12月31日午後12時)というのは2004年1月1日午前1時(00分00秒)と見なせるので、旧法下で2003年末に著作権が切れるとされていた「シェーン」にも改正法の規定が適用される(すなわち20年間延長される)、と考えていたようです。

 この点について最高裁は、一般的な時刻、日付の用いられ方からすると、「シェーン」の著作権は2003年12月31日に消滅したと理解すべきである、との判断を下しました。また、立法者には「シェーン」など1953年発表の映画の著作権を延長する意図があったはずだとの主張に対しても、国会審議を見てもそのようなことは明らかでない、文化庁の担当者がそう想定していたにすぎない、と一蹴しています。「シェーン」の延命はなりませんでした。

 米国では1998年の著作権法改正により、2003年に切れるはずだったミッキーマウスの著作権が、2023年まで延長されました。「ミッキーマウス延命」と報じられたこの彼の国での著作権法改正にも、結局は既存の権利者の権益保護の側面(強力な利益団体の既得権保護の側面)が見え隠れして(場合によっては全面に現れて)いて、そこには知的財産の公正な享受の視点が欠けているように感じます。

 昨日の判決は権利者ではなく利用者側に有利な内容でした。ただ「知的財産はいったい誰のものなのか」、知財をめぐる基本哲学の構築にはまだ時間がかかることでしょう。

2007年12月17日 (月)

監視社会

 朝方は清々しい寒さでしたが、昼からは曇り。さむっ。

 週末に読み残していたデイヴィッド・ライアン【著】、河村一郎【訳】『監視社会』(青土社、2002年)を読み終えました。この本は、先週読んだ大屋雄裕『自由とは何か』(ちくま新書、2007年)でも言及されていたものです。

監視社会

著者:デイヴィッド ライアン

監視社会

 ライアンは、個人データの収集・保存・処理・流通の過程を全般的に捉えて、個人情報の「監視」という概念を定式化しています。このように理解した場合、わたしたちは、さまざまな場面で、「監視」の恩恵を受けているといえるでしょう。もちろん治安維持、セキュリティを確保することもそうですが、商取引における信頼、利便性確保の場面にも、「監視」の有用性が見て取れます。さまざまな生活場面で個人情報を収集されていることも、ピンポイントなダイレクトメールが届くことにも、ある種の気味悪さを感じますが、それでもなんらかの権益を侵害されたというような実害を感じることなく、日常生活では、上記の有用性が際立っているように思います。すでにわたしたちは、監視によりもたらされた「社会的オーケストレーション」のなかでしか生きられないのでしょうか。

 今日、個人情報の保持機関は、国家機関に限られていません。多くの民間機関もわたしたちの個人情報を多種多様な媒介を通して収集しています。「社会的オーケストレーション」のなかに組み込まれてしまっているわたしは、わたしの情報をもつ人がわたしの利害を尊重してその情報を利用してくれることを、好意的に期待するしかなさそうです。わたしたちは、日常生活における有用性と引き換えに、不気味な「ビック・ブラザー」(オーエル『1984年』)を作り出してしまったのでしょうか。

 なんとなく薄気味の悪い読後感です。

2007年12月13日 (木)

忘年会

 曇り、ときどき、小雨。さぶ~。

 昨日は職場の忘年会でした。慣れていない土地ですが、バスで無事に会場に着くことが出来ました。

 みなさま、いろいろと日頃の憂さがあるようで、お酒を飲んでデドックスしておられました(そんなこと可能か?)。二次会では、普段見られないくらいハッスルされる先生あり、いつものように毒をはかれる先生ありで、こちらも盛り上がりました。みなさまにとって来年も良い年であるよう、祈るばかりです。

 わたしは、というと、現在は新任ということもあり、講義負担がありません。まさに南国パラダイス(でも少し寒い)です。本年を忘れたくありません。新年も迎えたくありません。もうこのままずっ~~と、今年だったらいいのに。

 最後の〆として福岡に店舗展開していて、下通に先頃出店されたという「一蘭」というラーメン店に連れて行ってもらいました。以下は備忘録です。

 <基本・基本・1片分・白ねぎ・あり・基本・基本>。秘伝のたれの「基本」は少し辛かったように思います。「初めての方は1/2倍がお勧め!!」とあったのに……。

2007年12月12日 (水)

自由とは何か

 昼から雨。

 先週末の学会出張の道すがら、大屋雄裕『自由とは何か:監視社会と『個人』の消滅」(ちくま新書、2007年)を読みました。大屋さんとはお会いしたことはないのですが、岩波講座『憲法1:立憲主義の哲学的問題地平』(2007年)の共著者という関係にあります。

 大屋さんの著書は「監視社会」という言葉に体現されているように、現代社会においてわれわれの行為はさまざまな場面で枠づけられており、ある意味で自律性さえ失っているといえる。そういうわれわれは、はなして自由な個人なのだろうか、という点に焦点を当てた秀作だと思いました。同年代というよりわたしより若い著者がここまでのものを物すと、なんだか焦燥感のようなものまで感じます。

 法哲学というと、ときに現実社会とは離れた観念の世界を彷徨する学問の様相を呈します。しかし現実に生起している問題を哲学的基盤で分析する大屋さんの本は、新書レベルの内容を超えた奥深い思考へとわたしを導くものでした。

 これがわたしの簡単な評価です。(「楽しい」とはちょっといえそうもなかったので……)。

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680)

著者:大屋 雄裕

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680)

2007年12月11日 (火)

学会出張

 くもり。少しの日光。暖かい。

 先週末は学会出張のため、広島に行きました。会場は原爆被害者のための療養施設である「神田山荘」でした。

Cimg0989  写真は神田山荘からみた朝の広島市内の様子です。夜景が綺麗でしたが、夜の懇親会のために、撮りわすれました。左の背の高いビルがリーガロイヤルホテルです。

 出席した学会は、アメリカ公法の研究を行っている人たちでおもに関西の大学に所属している研究者による学会です。学会に行って報告者の話やフロアーからの質問・意見を聴くたびに、自分がいかに不勉強か身にしみてわかります。学会出席には日常の生活を自省する意義もあるのでしょう。(わたしの場合は反省ばかりですが……)。

 日曜日には広島から大阪に移動して、2009年春を目標に出版される教科書の編集会議に出席しました。編者の先生は締切に大変厳しい人なのですが、締切は来年の夏過ぎなので、いまは大丈夫だと思っています。(なんでも引き受けたときには大丈夫だと毎回思うのですよね~)。

2007年12月 7日 (金)

リスニング研修

 くもり、さぶっ。

 1月に実施される大学入試センター試験では、3年前から、英語の試験にリスニング問題を導入しています。わたしの勤務校では、数日にわけて、リスニング監督者のための事前研修会が行われています。本日行われた研修会に、ちょうど都合が良かったので、出席しました。

 最近の私学はセンター試験型の試験も導入しています。わたしの前任校もこの入試を導入していたので、センター試験の会場になっていました。よってセンター試験を監督することもあってよかったのですが、たまたまわたしに割り振られることはありませんでした。わたしはセンター試験を監督した経験あるにはあるのですが(前々任校当時)その時にはまだ英語にリスニングが導入されてはいませんでした。したがって、わたしも多くの受験生と同じように、リスニング試験ははじめてです。研修時間の中頃に、本物のリスニング機材を手にしたときには、「おぉ、これがウワサのリスニング機器か!」と、なんか感慨深いものがありました。

 ところがこのリスニング用機器、実際の試験で使用した後、受験生は持って帰ってよいそうです。当然、高校に帰って、先生に渡すなり、後輩に譲るなりしていることでしょう。ということは、受験生は、もうこの機器に慣れているのです。慣れていないのは、そう、何を隠そう監督する側にいるわたしなのです。これは大変です。

 今年の年末年始は、このリスニング機器で自習しようと思います(本当か!)。

2007年12月 5日 (水)

教授会

 よく晴れましたが、冷え込みました。

 「教授会」。言わずと知れた学部の最高意思決定機関です。ちなみに多くの大学では正教授でなくとも、准教授でも講師でも、この会議への出席義務があると思います(文系の場合)。

 今日は先日行われた推薦入試の合否判定と採用人事2件の投票がありました。どちらも大学および学部の運営・存立にとって最重要問題ですが、すんなりと会議は進みました。(本当は「文学部唯野先生」のように擦った揉んだがあれば面白いのかもしれませんが……)。

 これから夜にかけて、大学院生の修士論文指導をします。学生の論文を読むようになって、わたしの指導教官の苦労がわかるようになりました。

2007年12月 3日 (月)

研究会

 朝の雨は午前中には上がり、薄日も差しました。

 わたしが所属している学部では学部創設30周年(法文学部から法学部・文学部の分離)を記念する論文集を刊行する予定があり、そのための研究会が月に一度のペースで行われています。先月からわたしも参加しています(今日が2回目の出席)。

 今日は、企業の社会的責任(とくに環境配慮などの)を会社法の視点から検討するという新しい試みについての報告を聴きました。企業の社会的配慮義務を会社法でエンフォースするという試みが英国で行われはじめているようであり、将来的にはわが国でも検討課題になるであろう、とのことでした。

 報告内容について十分に理解することは門外漢であるゆえに難しいのですが、同僚先生がどのような関心から研究を行っているのか知ることのできるこの研究会は、非常に意義深いものだと感じました。

献本御礼

 株式会社有斐閣さまより、本年創刊された『判例六法Professional』(平成20年版)と定評ある『判例六法』(平成20年版)をいただきました。ありがとうございました。

 前任校に郵送いただいたので、すこし嵩張りましたが……。

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30