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2008年2月 4日 (月)

「みんな」のバカ!

 晴れています。

 この週末は寒かったですね。東京都心でも積雪があったようです。

 そんななか、土曜日には前任校に最後のご奉仕に行きました。あさ6:16発の有明で・・・。まだ暗いっちゅうの。

 有明とひかりレール・スターの車中で、仲正昌樹『「みんな」のバカ!:無責任になる構造』(光文社新書、2004年)を読みました。

 わたしたちはよく「みんな」という言葉を用いて発言することがあります。たとえば「みんながそう言っています・・・」、「みんなもそう考えているはずです・・・」。ときには「社会が許さない・・・」、「世間の常識では・・・」と言ったりします。場合によっては「国民の視点にたって・・・」と言ったり。この文の主語である「みんな」「社会」「世間」「国民」って、存在しているのでしょうか?その言い方も、自分の意見を代弁させる目的で「みんな」「社会」・・・という主語を使い、自分の意見があたかもみんなの意見であると擬制することで、その意見に対する批判の矛先をかわすという効果を狙っていないでしょうか。つまり、責任の所在を不明確にしていないでしょうか。テレビのコメンテーターが、政治家が、世間や国民を主語にした発言をしたときには「それはあなたの意見でしょう!」とつっこみを入れたくなります。なぜ「わたしは・・・こう考えます」と言わない(言えない)人が、コメントしているのでしょうか?みんなが考えることなら希少な時間を使って話さなくても、みんなはわかっていることでしょう。

 そういえば、中学校のときの先生が持ち物に名前を書きましょうという時に「責任の所在を明確に」と言っていました。その当時は落とした、忘れたときに、所有者に戻ってくる、というぐらいにしかこの言葉を捉えていませんでした。が、いま思えば、あの言葉には重要な教育的意味あいがあったのでしょう。自分の所有しているものには、物でも意見でも、名前を表示しましょう、という教えだったのでしょう。

 上記のことを仲正さんの文章を読みながら、電車のなかで、つらつらと考えました。

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