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2008年6月13日 (金)

放送内容についての「期待権」

 今日はよく晴れそうです。でも、13日の金曜日。「めざましうらない」ではよい一日のようでしたが、はたして無事に過ごせるかどうか・・・。

 昨日、最高裁第1小法廷では、取材対象者の放送内容に対する「期待権」が法的保護の対象であるか否かについて、判断が下されました。もしこの「期待権」なるものを法認するとなると、報道機関の「編集の自由」(憲法21条により保障されている)に対する重大な制約となるので、注目される判決でした。

 最高裁は「放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組を編集するかは、表現の自由の保障の下、(省略)放送事業者の自律的判断にゆだねられて」おり、そのことは「国民一般に認識されていることでもあると考えられる」、「最終的な放送内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されている」とした後、本件の結論として、以下のように言いました。

 「放送事業者又は制作業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである」。(なお、「期待権」という言葉は使っていません)。

 但し、どのような場合でもこの「期待と信頼」が法的保護の対象にはならないとしたのではなく、以下のような事情があった場合には、例外的に放送内容に対する期待・信頼が法的保護の対象になるとしています。

 ①取材に応じることにより取材対象者に格段の負担が生ずる。

 ②取材者が必ず一定の内容、方法により番組中に取り上げると対象者に説明していた。

 ③その説明により取材対象者が取材に応ずるという意思決定したと客観的にみて言える場合。

 上記3要件がすべて満たされた場合には、取材対象者の放送内容についての信頼や期待が法的保護の対象になるとしました。

 第1小法廷の裁判長・横尾和子裁判官は、事実についての報道及び論評に係る番組の編集の自律は取材対象者の期待、信頼によって制限されることは認められないとする意見を述べています。

 「取材対象者が抱いた内心の期待、信頼は、それが表明されないままに取材担当者が認識できるものではなく、また、取材の都度、その内容や程度を確認することも報道取材の実際からして期待できるものではない。それにもかかわらず(省略)その内容が期待、信頼と異なるとして違法の評価を受ける可能性があるということであれば、それが取材活動の萎縮を招くことは避けられず、ひいては報道の自由の制約にもつながるものというべきである」。

 (判決全文) http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080612173527.pdf

 編集の自由は、報道機関にとっての生命線だと思います。昨日の最高裁判決は、報道機関にとっての編集の自由の意義を重視した堅実な判決だったと思います。

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