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2008年6月18日 (水)

国家は、いらない

 梅雨の中休みでしょうか、今日も晴れるようです。気温も朝から高め。少し蒸し暑さもあります。

 おはようございます。今日締切の論文の校正を終え、これから1限の講義です。これが終われば、わたしの1週間も終わりです。

 そのまえに昨日読んだ本を。新進気鋭の無政府主義者・蔵研也さんの『国家は、いらない』(洋泉社、2007年)です。

 蔵さんの本領が存分に発揮されている本です。いかに規制社会が消費者にとって不利益となっているのか、読み終えると怒りさえ感じます。とくに水道・ガス・電気などが特許事業となっているためにそれぞれの利用料金が高値となってしまっていて、そのことが結局、いちばん貧しい人の生活を圧迫することになっているということを、海外での生活体験を踏まえて述べている点など、和製フリードマン誕生の感さえします。

 国家による既得権保護により、いちばん弱いところにしわ寄せがいってしまっている。そのことは公共料金だけでなく、医療、住宅、税制など、どの分野でもあてはまることのようです。

 それでも随分、規制緩和が進んできているのではないでしょうか。いままでの政策をゼロ・ベースから再考することは、机上ででしかできないでしょうから。ただ、規制緩和にともなう「痛み」の部分も、注視しなければならないと思います。その「痛み」も、いちばん弱いところに現れているようにも思うので。

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コメント

おびちゃんさんも、「国家は、いらない」を読まれたのですね。私のブログにも書評を掲載したところ、蔵先生ご本人からコメントをいただきびっくりしました。

日本の憲法は、素直に読むと、リバタリアニズムを支持しているように読めると思うのですが、どのようにお考えでしょうか?

ところで、自民党の政治家は、現実と憲法に齟齬があるという理由で憲法を改正すべきだと主張しますが、現実と最も解離しているのは、公務員が「全体の奉仕者」であるという規定と、国会議員が「全国民の代表者」であるという規定のように思います。

 リバタリアニズムにどのような意味を込めるかにもよると思いますが、日本国憲法は、25条以下の規定にもかかわらず、少なくとも自由主義(それも古典的な意味でのそれ)を信奉していると読むことは十分可能だと思います。たとえば、憲法上の権利で具体的権利であるとされているものも多くは自由権ですし、なによりも29条1項で財産権に対する公法的規制を禁止している(したがって私有財産制を保障している、社会主義を否定している)と言えると思います。
 ただ、社会国家的(福祉国家的)理念のもとで、この自主主義に修正を加えることも憲法上の要請であるとも考えられます(先ほどふれた25条以下の条項による要請)。もっともこの修正をどの程度実施すべきか、という点については、まさに自由と平等の間における価値判断が関係する事柄ではないでしょうか。最低限の生活保障(公的扶助)の実施に限定するなら、リバタリアンでも同意できるとも考えられます(そもそもそれは自由市場のルールの一部とも言えるでしょうから)。ただ、所得再分配となると、自由市場からの帰結を人為的に修正することですから、多くのリバタリアンは、これに賛同することはないでしょう。
 ところで蔵先生は、その著書から、無政府主義者であると考えられると思います。わたしは、無政府主義というのは、憲法という存在について、どのように考えるのか興味があります。憲法は、そもそも国家、統治者、政府というものを想定した法文書ですから。もっとも、これPALCOMさんに聞いても・・・ですよね。

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