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2008年7月

2008年7月31日 (木)

憲法Ⅰ定期試験・解答と講評

 きょうもセミが元気よくないています。

 【業務連絡】です。憲法Ⅰ受講生のみなさん、おまたせいたしました。先日実施された憲法Ⅰ定期試験の解答および講評を掲示いたします。WebCTでは不便な学生もいるようなので、わたしのブログに掲示しました。この掲示は8月8日までを予定しております。

 (憲法Ⅰ定期試験の解答および講評の掲示は終了いたしました。)

2008年7月30日 (水)

速報!憲法Ⅰ試験結果

 雷コゴコロ!ピカッ!

 28日(月)に実施した憲法Ⅰ定期試験の採点がいま終わりました。解答や採点基準などは、あす公表することにして、試験結果だけ速報値でお知らせしています。

 受験者の方は WebCT をご覧下さい。

2008年7月28日 (月)

憲法Ⅰ定期試験実施

 もうオープニングでお馴染みとなったフレーズです。今日も暑い!体温近くになると、人間の生存にとって危機的状況ではないでしょうか。

 そんな極暑のなか、憲法Ⅰの定期試験を実施しました。受講登録者数210名、受験者数207名です。まだ1年生なので高受験率です。というわけで、これから採点ですが、今日は、勘弁してもらいお家で涼みます。

 憲法Ⅰを受験された方でこのブログをお読みの方。試験問題の感想はいかがですか。なかなかよい問題だったのではないでしょうか。とくに、住民基本台帳法22条の規定について憲法22条1項は市町村にどのようなことを要求するのか、自販機への収納禁止は成人の知る自由との関係では間接的・付随的規制にとどまると考えられることからどのような司法審査をすべきであると考えられるのかなど、わかっているけどうまく書けない問題だったのではないでしょうか。

 というわけで、憲法Ⅰを受験された方、暑い中、お疲れ様でした。よい夏休みをお過ごし下さい(おっと、明日は法学入門の試験があるようですね)。

2008年7月25日 (金)

のど痛

 ミーン、ミンミンミー。早朝からセミが鳴いています。今日も35度予想です。

 ここ数日、のどが痛いです。毎晩、アルコールを流して消毒をしていたのですが・・・。夏風邪でしょうか。麦でできた炭酸入りのアルコールだったのがよくなかったのでしょうか。

 それでも今日の午後はある審議会に出席しなければなりません。大学教員って、こう見えて、結構忙しいですよね。大学を離れての仕事は、時間を細切れにし、まとまった勉強時間を奪うので、極力避けたいところです。

 まずは期末試験の採点から、本日のお仕事スタートです。

2008年7月23日 (水)

あぁ、採点。

 あぁっつい!でも、今日は少し雲があります。

 1限目に他学部に教職科目として提供している「日本国憲法」の定期試験を実施しました。そのあと、ご飯を食べて、臨時の委員会に出席し、いま、ジムから帰ってきました。

 これから採点開始!

 でも6時からはファカルティー・メンバーによる教員交流会があります。ようするに、学内での立ち飲み会です。この暑さの中、ルービーでも引っかけないと、やってられませんから。

2008年7月22日 (火)

アメリカと私

 酷暑、酷暑!でも、これからひと雨きそうです。

 先週末は、母校で定期的に開催されている研究会に久しぶりに出席してきました。研究会では、違憲審査における目的審査の精緻化を提唱するもの、課税手続における事前照会について検討するもの、という憲法と税法に関する報告がありました。詳しい内容をお知りになりたい方は、わたしのところに資料がありますので、ご連絡ください(←教授会報告事項風)。(ついに身内ネタ)。

 母校は広島にあるのですが、広島への出張のときにはいつも、広島駅在来線口にある「わがままおまさんのシュークリーム」というお店のケーキを買って帰ります。わたしのケーキ評価の基準をなしているお店です。このところ同業他社のお店が同じ場所に出店してきたため、店舗が小さくなっていたのが気がかりです。いつかここの「トトロのケーキ」を買って帰りたいと思っているのですが、なかなか機会がなくて……。ところで、このお店と同じレシピを利用しているのではと思えるお店が、熊本市帯山か長嶺あたりの産業道路沿いあるのですが、どうなのでしょうか?わたしの思い違いでしょうか。わたしの感覚では、熊本の方が若干、甘いと思うのですが、もともと違うレシピなら当たり前ですよね。また、近々、レポートします。

 熊本・広島往復の間に、江藤淳『わたしとアメリカ』(講談社文芸文庫、2007年)を読みました。

 著者がアメリカ滞在中(1962年8月~1964年8月)に感じとった「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」が、さまざまな話題を転回するなかで語られています。当時は、公民権運動、キューバ危機、そしてケネディ暗殺と、アメリカにおいても激動の時期にあったわけで、そういう状況の中で日本人である著者が、深い感受性のもとで体感したアメリカ社会の深層が、鋭敏な筆づかいで描かれています。1972年にこの基となる本が公刊されているのですが、35年以上経った今でも、一読の価値ある本だと思いました。

 「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」にかかわる記述ばかりでなく、わたしが感銘をうけた部分がいくつかあります。そのうちの一部分を引用します。日本では文芸評論家として名が知れはじめていた著者が、プリンストン大学の2年目の滞在時には教鞭を執ることになり、その第1回目の講義開始時の風景です。

 「私が……話はじめると、学生はいっせいにペンを動かして、ノートをとっていた。それは、意外に感動的な光景であった。私は、いわば、それまでに思いも及ばなかった新しい生き甲斐のようなものが、自分のなかに芽生えはじめたのを感じた。それは、今まで私のなかで眠っていた「教師」という可能性が目覚めたというだけのことではない。私が、講義するという行為を通じて、過去から現在までの日本文化の全体に対して、自分を捧げているという感覚である。思えば、私はある確信をもって自分を捧げられるものの到来を待っていたのかも知れない。おそらくは深い無意識の奥底で。そして、今、私は、それがついにやって来たことを感じているのかも知れなかった。」(138頁)

 わたしも講義をしたりその準備に勤しむなかで、著者のような感覚を得て、なんともいえない満足感に浸ることがあります。それは大げさに言えば、学問の発展のその中に身を投じ、それを学生とともに体得しているような感覚です。思えば、わたしが学部生として憲法の講義を受けていた内容と比べて、現在の憲法学は、学問的内容としては格段と進歩していると思います。それは単に重要判例の数が増えたことだけではなく、既存の分析枠組みを何度も打ち壊す中で獲得されてきた憲法学の現段階での到達点が、20年前と比べれば、もちろん高水準になっているということです。この憲法学の営みを学生の前で講じることができ、その講義を学生が聴いてノートをとる場面に出くわしたとき、わたしも著者と同じような感激と、憲法学に対する責任のようなものを感じたことがあります。もっともこのような憲法学の発展についてのわたしの感激・感覚が、学生にどの程度伝わっているのか、一抹どころではない不安もありますが……。だいたい話している本人が感動しているときには、学生は引いているというのが、講義の常でしょうから。

 (ちょっと今回はえらく熱のこもった内容ですが、悲しいかな、憲法学の発展にわたしがどの程度寄与しているかと言えば……それは皆無ではないことを願うばかりです)。

 というわけで、わたしが今まで読んだアメリカ留学・滞在本のなかでみなさんに紹介したいのは、藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫、1981年)と、阿川尚之『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書、1986年)ですが、本書も大変興味深い本でした。アメリカに留学したくなりました。

 【追伸】広島にいったとき感じたこと。この時期は、どこでも暑い。

2008年7月17日 (木)

政治的なものの概念

 あさからよく晴れていたと思ったら、さっきにわか雨がありました。暗雲たちこめてきました。

 定期試験の実施と採点が残っているので本格的な夏休みとはいきませんが、それでも現在は補講期間なので、補講をしないわたしにとってはちょっと一息つける数日です。

 この夏休みはカール・シュミットのものを読み直そうと思っているので、その手始めに、田中浩・原田武雄(訳)『政治的なものの概念』(未来社、1979年)を読みました。

 友・敵区別が先鋭化する例外状態(その象徴的なものが戦争でしょうが)にこそ政治的なもの(国家的なもの)が顕現すると説いたシュミットの理論は、英米の個人主義的哲学を例外状態、急迫事態を忘却したやわな自由主義を信奉するものであると批判するものです。

 本書には、抽象的概念として政治的なものを問うのではなく、政治的なるものの本質を問うことで強い国家の復権を志向したシュミットの法思想が端的にものされていると思いました。

 ところでシュミットを読み直おすことを夏の課題にしたのは、ツタのからまるR大に移られたわたしの指導教官とのメールの中で、先生もシュミットを再検討しているとあったからです。わたしのような凡庸な学者は、誰かに疑問を投げかけながらでないとものごとの本質まで行き着かないので、この機会にちょっと勉強し直そうと思いました。

2008年7月16日 (水)

ここ数日のこと。

 今日も暑い。最近の発見。明日の予想最高気温が34℃とあるときは、当日は最高気温が35℃を超えること。最高気温の予想をする方も、明日は今日よりは涼しいよ、と慰めてくれているのであろうか。

 大分県の小学校教員採用試験をめぐる「不正」について、連日、報道されていますね。どの職業にも「社会的信用」(←この内実は不明)というのはあると思うのですが、教員はとくにそれが強いとされていると思うので、早期に膿を出し切って再生して欲しいものです。

 14日(月)には、国語学者の大野晋さんがなくなりました。わたしも高校の頃、『岩波古語辞典』で勉強しました。慎んで哀悼の意を表します。いずれ『日本語練習帳』も読みたいと思います。

 原油価格上昇をうけて、昨日(15日)は、全国の漁師さんたちが一斉休漁に踏み切りました。原油の価格も緩やかな上昇なら市場の中で次第に吸収されていくのでしょうが、これほど急激な場合には、市場による調整に期待することもできないと思います。原油価格上昇分を直接補填するという政策をとることは難しいようですが、中途半端な間接的政策を実施するよりも、ここは政府に一肌脱いでもらうしかないのでは。間接的助成策は、また官僚的規制枠組を増幅しかねないのではないでしょうか(政策立案・調整に無知なお魚好きの考えなので、聞き流してください)。

 第139回芥川賞・直木賞受賞者が発表されました。芥川賞は中国人の楊逸さんの「時が滲む朝」(「文学界」6月号)に、直木賞は井上荒野さんの『切羽へ』(新潮社)に決まりました。楊さんは、日本語を母国語としない作者によるはじめての芥川賞受賞者のようです。

 15日の講義(2コマ)をもって、20年度前学期のすべての講義を終了しました。あとは定期試験(2科目)の実施と採点を残すのみです(といっても、これが大変ですが……)。わたしの講義を、飽きつつも、最後まで聞いてくれた学生諸君に敬意を表します。願わくば、よい成績を!

 昨日、今日(16日)と、研究室の防音工事をしています。もう防音材がいれられ、あとは書架の再配置だけだと思います。この間、大学に来ても居場所がなく、図書館の教員用の部屋(といっても学生もちらほらいる)に行ったり、大学前の喫茶店「煉瓦亭」に行ったりして、時間をつぶしました。煉瓦亭のコーヒーは、酸味のきいた味でした(330円)。

 本日は、教授会があります。3時間は覚悟しています。なんとかそれ以内で……。

2008年7月14日 (月)

基本権クラシック

 今日も暑い、暑い。

 前期の憲法の教科書として指定した、阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』(有信堂、2008年)、講義準備と並行して読み進めてきましたが、ようやく講義も最終段階になり、読み終えました(もちろん、初版、第2版は、なんどとなく通読しております。なぜなら、著者は、わたしの先生ですので)。

 この本で講義をしてみて、やはり学部生にこの本の細部まで理解することは困難だと思いました。ただ、既存の判例、学説を下敷きにして、その枠組みを批判的に検討していく視点を会得するためには、打ってつけの本だと思います。この本で憲法を学んだ学生には、上級生になって、是非、この本を読み返してもらいたいと思います。そうすれば、この本のよさを体得することができると思います。

 この本は、読み返せば必ず新しい発見がある本だと思います。学部生にも学問が発展していくその過程を体感してもらいたくて、この本を教科書に指定しました。つぎつぎに新しい科目をこなさなくてはならないので、単位をとった科目の教科書を読み返す機会はあまりないかもしれませんが、志の高い学生の知的欲求を刺激する恰好の本だと思います(もっとも、単位をとれたらの話ですが……)。

2008年7月11日 (金)

金曜日だけど火曜日。

 今日も暑くなりそうです。連日35度近くまで気温が上がると、えらいもので、33度ぐらいなら「涼しく」感じるようになりました。

 本日、法学部は、火曜日です。前期の曜日毎の授業日数を調整する必要があり、金曜日に火曜日の講義をする措置が、今日、とられます。普段の金曜日なら講義もなく、お気楽な一日ですが、火曜日は2コマ講義があるので、今日は、2コマの講義がある予定でした。

 ところが、教養科目の講義は、本日も金曜日の講義が実施されるため、午後の1年生配当の憲法に多くの1年生は出席できないようです。そこで、すでに休講の措置をとっています。嬉しいやら、嬉しいやら・・・。両部局間の意思疎通不足でこのような事態になったえいるので、喜んでばかりはいられないでしょうね。

 というわけで、午後は講義はないのですが、本日から研究室の防音工事がはじまる関係で、どうやら午後は研究室にいれそうもありません。どこか涼しい場所を求めて、避難しないといけません。お家に帰ってもいいのですが、家は暑いし・・・(以下、自粛)。

2008年7月 7日 (月)

逆転負け。

 うぇ~、暑い、暑い!

 昨日、九州地方は梅雨明けしました。例年より10日以上もはやい梅雨明けのようです。大雨警報等発令されましたが、雨量は比較的少なかったのではないでしょうか。

 そんななかで、学園大の先生チームと野球の定期戦をしました。30度を超えていたであろう炎天下で野球するなんて、まだまだ若い!

 しかし結果は、弱点負け。6回終了時までは5-2で勝っていたのですが、7回に5点を取られて、終わってみれば5-7でした。完全に投手力の差でしょう。

 完投して負けてしまいましたが、「敢闘勝」をもらいました。

Cimg1459  Kumamoto University と大学のロゴ入りの豪華賞品(この4文字熟語は、ショボイではなく、ゴウカショウヒンと読みます)です。

 今度は秋(といっても11月後半でしょうが)に定期戦があるので、リベンジです。

 今日は7月7日ということで七夕です。娘が短冊に書いたお願いは……

Tanzaku_2  叶うといいねー。

 【今日の出来事】洞爺湖でサミットがはじまりました。

2008年7月 5日 (土)

刑法入門

 暑い!暑い!うぇ~

 本年度から勤務校の校舎が耐震改修にはいります。その第一段として、今月の半ばには、法学部の資料室が閉鎖されてしまいます。今日は、気になる資料を複写するために、出勤しました。

 一応の複写も終わったので、山口厚『刑法入門』(岩波新書、2008年)をざぁーっと読みました。

 いま1年生の演習で死刑制度の是非を考えていて、なんかのヒントでもないかなぁ~と思ってながめてみました。久しぶりに童心に帰ったようで、懐かしい思いがしました。わたしも刑法の教員だったら、人気をはくしていただろうに(?)。もっともカントやヘーゲルを使って応報刑論をうだうだと唱えていたかもしれませんね。

 さて山口先生の本、初心者向けに徹しておられて、わかりやすい本でした。まさに1年生にお薦めです。とくに、自殺そのものは「書かれざる、当然の理」(40頁)により犯罪として処罰されないのに、なぜ自殺を助けることが罪になるのかについての説明は、はじめて聞いたような気がして、新鮮でした。それはつぎのようなものです。

 「何らかの理由から死ぬ意思を抱き、そのため必要な行為をすることはありえますが、一旦死んでしまえば、たとえ後で後悔したとしても、再び生き返ることはできませんから、もはや取り返しはつきません。かけがえのない生命を保護するという観点から、本人の当座の死ぬ意思を無視して、本人に自殺を促すことや本人を殺害すること自体を禁止・処罰することにしているのです」(42頁)。

 ほほー、そうですか。なんとなく他の説明方法もありそうですが、まぁ、今日のところはこの辺で。

2008年7月 4日 (金)

無題、名無し。

 とくに意味はありませんが、タイトルは2ちゃんねる風。曇ったり晴れたり、とにかく蒸し暑い一日でした。

 金曜日は講義がないので、来週の講義準備をしたり、読書をしたりして過ごしています。

 そろそろ定期試験の問題を作らないといけない時期になりました。国立に移ったので、答案枚数はたかが知れていると思います。でも、作問には気を遣います。それなりに解きやすい問題にしておかないと、目も当てられない答案が続出するかもしれないので・・・。今期の担当は、1年生の前期に配当されている憲法(4単位)なので、高校から入学していきなり、カッツンと・・・、となりかねません。

 というわけですが、今日はあまり気分が乗らないので、作問は来週にしようと思います。

 【今日は何の日】7月4日は独立記念日(欧米か!)

2008年7月 2日 (水)

なんだろう。

 朝は結構強い雨でしたが、いまは曇りというところです。

 1限目の講義が終わり、もう今週の講義はないので帰りたいところですが、午後はパンキョー委員会があります。

 昨日、わたしの研究室の前の研究室の先生(仮にW先生としておきます)から、甘い物をいただいたのですが、これなんでしょう。

Cimg1458  なんだかどこかの「縁起物」のようでした。味は奥深い甘さで、おいしゅうございました。「縁起物」ということで、ありがたくいただきました。

2008年7月 1日 (火)

言論・出版の自由

 晴れ!でも明日から雨。

 もう7月です。定期試験のことが気になる時期になりました。7月はじめの記事として、本の紹介です。紹介するのは、『失楽園』で知られる(渡辺淳一ではなく)ジョン・ミルトンの『言論・出版の自由』(岩波文庫、2008年)です。

 この文庫には、検閲の禁止を求めてミルトンがイングランド議会に向けて行った演説である『言論・出版の自由:アレオパジティカ』(1644年)と、個人の尊厳をもっとも保障する統治形態は共和制であるとした『自由共和国建設論』(1660年)の2篇が収録されています。

 『言論・出版の自由』には、カトリック教会の異端審問所にその発祥をみる検閲制度について、それが人類の知の発展にとっていかに弊害となるかを、ミルトン心の叫びともいえる言説によって唱えています。そのことは、たとえば「あらゆる自由にまさって、知り、発表し、良心に従って論ずる自由を私に与えよ。(原文改行)今まで受け入れられてきた事柄に対し、新奇とか不当とかの理由で抑圧するのは……有害にして不適当なこと」である(72頁)という件によく現れていると思います。

 『自由共和国建設論』では、数による多数者支配の弊害を説きつつ、議会議員の地位について選良終身制の導入が主張されています。その背景には、訳者・原田純さんの「解説」にあるように、「数を集めれば国権が転がり込む権力産出方式は政治的魔術」(190頁)という多数だから支配するということについての懐疑的見解があるものと思われます。民主制はとかく「数の論理」によって国政運営されるきらいがあります。この「数の論理」により独裁制を承認してしまうような「自滅議会」(187頁)とならないよう、ミルトンは選良による統治を望んだのでしょう。

 ミルトンによる見解の是非は別にして、『自由共和国建設論』は、統治のあり方を考える際に今後とも読み継がれていくべき書物であると感じました。

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