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2008年11月

2008年11月27日 (木)

昭和史 1926→1945

 くもっています。午後から雨の予報です。

 先日、大学院の後輩から「近現代史についてのよい本を紹介して」とのメールをもらいました。ところが、わたしは、恥ずかしながら近現代史については、無知です。憲法を教えていながらそれでよいのか・・・とも思いますが、そこはとりあえず括弧に入れて、思いつく先生の名前を適当に知らせてしまいました。

 メールを送った後、生協の書籍部にいくと、半藤一利『昭和史1926→1945』、『昭和史 戦後篇』(平凡社、2004年)という2冊の本が目につきました。そういえば、この著者のものがあったなぁ、と思いだし購入しました。

 この1週間は、一日のうち必ずどこかに会議が入っており、まとまった勉強時間がとれていませんでした。時間がないわけではないのですが、思考が会議で分断されるとよくないと(という言い訳のもと)、半藤『昭和史』の読書をしました(本日も、これからある選挙に類似したものの不在者投票の立会人をしなければなりません。説明するには複雑なので割愛します。国立大学法人の学長選考手続にあるあの調査のことです)。

 この本は、ある編集者の願いに応じる形で著者がした講義がもとになっているようです。大部の本ですが、そのわりには読みやすくなっているのも、文体が講義調だからだと思います。昭和史のなかでも「戦前史」を扱っているもので、内容も、史実に基づいている部分と著者の想像の部分(といっても空想ではない)とが明確に区別されていて、信頼できる歴史の見方のように感じました。

 著者は、最後のまとめのところで、つぎのように言います。

 「昭和史は、日露戦争の遺産を受けて、満州を日本の国防の最前線として領土にしようとしたところからスタートしました。最終的にはその満州にソ連軍が攻め込んできて、明治維新このかた日露戦争まで四十年かかって築いてきた大日本帝国を、日露戦争後の四十年で滅ぼしてしまう、・・・昭和史とは、なんと無残にして徒労な時代であったかということになるわけです。きびしく言えば、日露戦争直前の、いや日清戦争前の日本に戻った、つまり五十年の営々辛苦は無に帰したのです。昭和史とは、その無になるための過程であったといえるようです」(496頁)。

 この本を読むと、著者のこの言葉が身にしみます。著者は「根拠なき自信過信に陥っていた」と表現してしますが、当時の政治的指導者、軍事的指導者が、いかに近代的・合理的でなかったのか、国際情勢や諜報活動に疎かったのか。批判しても詮方なきことですが、ちょっと、がっかりもします。

 講義の合間に読み進めているので、まだ1冊目しか読めていませんが、著者が戦後史をどう語るのか。興味がわきました。

2008年11月25日 (火)

学園祭!と「ポニョ」

 今日は晴れています。今日ぐらいの寒さなら大丈夫です。五高の銀杏は、満開から散り始めというところでしょうか。

 先週末には子どものが通っている幼稚園で「学園祭?」がありまりました。近所では有名な「まつり」のようで、幼稚園関係者だけでなく近隣の住人の方も来られるようで、毎年、盛況のようです。

 妻はなぜか娘のクラスの役員をやっているようで(キャラではないと思いますが)、土・日と幼稚園にフル出勤です。というわけで、娘とわたしは、「まつり」で綿菓子やポップコーンを買って、過ごしました。23日は、勤労感謝の日だったはずですが・・・。この祝日、なんだか影の一番うすい祝日のように思います。

 昨日の振り替え休日は、「崖の上のポニョ」を観にいきました。娘にとってはじめての映画観賞ということで、少し心配でした。途中で少し飽きがきたようでしたが、それでも最後までみることができました。

 ところで、この「ポニョ」をご覧になった方、いかがでしたか。子どもの心を失ってしまったわたしには、この映画の主題(訴えていること)が、いまいちわかりませんでした。

 それと、この週末に、信山社さまから『法学六法'09』をいただきました。ありがとうございました。

 こんな感じで、また新しい一週間の始まりです。

2008年11月21日 (金)

「渡鬼」とボジョレー

 本日も寒くなっています。もう冬です。諦めました。

 この時期になると来年度の持ちコマ負担が気になりますね。わたしは教養教育に関するある委員をしていて教養の講義の開講をお願いする立場にあるのですが、前年度からのいろいろな事情が変更されたり継続されたりで、なんだか右往左往しています。なんか、この手の話は明確なルールではなく、慣例や申し合わせ、なかには言い伝え(?)のようなもので運用されているだけに、なんだか大変です。でも「もやっもやっ」とした気持のなかでもいつかは予定調和的に落ち着くところに収斂していくと思っています。

Cimg1785_2  昨日、ボジョレー・ヌーヴォーが解禁されましたね。わたしも帰りがけのセブン・イレブンでボジョレー・ヴィラージュを購入し、「渡鬼」を見ながら飲みました。昨日の「渡鬼」はいい話ばかりで、わたしの邪悪な気持は満たされませんでした。

 ボジョレー・ヴィラージュも、その香りは麗しかったと思いますが、味は・・・。わたしの味覚は、まだ研ぎ澄まされていないのでしょうね。ヌーヴォーは、味を楽しむものではなく、お祭りを楽しむものかもしれません。

 そういえば、昨年は職場の野球の商品で、ボジョレー・ヌーヴォーをいただきました。もうあれから1年も経ったのですね。年々、時間がはやく流れるように感じます。

2008年11月19日 (水)

太郎が恋をする頃までには・・・

 冷え込んできました。阿蘇には昨日、雪が降ったようです。

 本日は午後、教授会があります。ということで、朝からあまり調子がでないので、新聞広告をみて途中まで読んであった、栗原美知子さんの『太郎が恋をする頃までには・・・』(幻冬社、2008年)の続きを読みました。

 主人公は、被差別部落出身のハジメとその結婚相手。これは、作者の私小説でもあります。差別の壮絶な経験を話すハジメと、それを全身で受け止めようとする作者。二人はわかりあえているのですが、でも・・・。

 わたしの陳腐な言葉ではこの小説の全容を紹介することなできません。断念します。この本は、凄い本だと思います。後頭部を鈍器で打たれた感じと、大きな虚脱感。これがわたしの読後感です。学問の無力さを感じます。

 この本の最後に紹介されている本のうち、角岡伸彦さんの『はいじめての部落差別』(文春新書)は、わたしも読んだことがります(以前、ブログでも紹介しました)。ただ、島崎藤村の『破戒』。内容は知っています。栗原さんの本を読みながら、藤村の『破戒』も読んだかな?・・・と記憶をたどっても、はっきりと覚えていません。本棚をもてももっていないところを見ると、読んだ気になっているだけで、きっと読んだことがないのでしょう。その内容は、国語の時間とか文学史のなかで、聞いただけなのでしょう。

 最近、若い頃にもっと読書しておけばなぁ~と感じています。大学生のときには、岩波文庫を買い込んで、少しは小説を読んだのですが。高校のときには赤川次郎さんばっかりでしたから・・・。

 こう思うようになったというのは、年をとった証拠なのでしょうか。

2008年11月18日 (火)

ちくっ。

 さぶっ。でも、いまはおひさまが出ています。夜には雪、というような予報もあったりして・・・。

 インフルエンザの予防接種をしました。最近の注射針は改良に改良が重ねられているようで「ちくっ」ともしなかったように思います。1000円なり!

 (株)有斐閣さまから『判例六法』平成21年版をいただきました。ご厚情に感謝申し上げます。鮮やかな紫色に、眼も覚める思いです。

2008年11月15日 (土)

大勝利!

 午後から降り出した雨が、いまは本降りです。

 本日は延期されていたKG大学との野球の定期戦がありました。ここのところあまり勝っていなかったと思うのですが、今日は、初回の集中打以降、小刻みに得点を重ね、終わってみれば18対4の大差で勝利しました!

 わたしは先発し4回まで投げ1失点。最近の体力および気力の衰えのなかで、上出来でした。最後3イニングは助っ人の学部生に抑えてもらい、完勝です。わぁっはっはーー。

 今日はKG大の方々は、眠れる夜をお過ごしのことでしょう。

 それにしても、午後から雨予報のなか、天気がもちましてよかったと思います。これから肩・肘をケアーして、そして祝杯を!

 あっ、スコアーボードの写真を撮るの、わすれた~~。

2008年11月14日 (金)

21世紀図書館

 少し雲がかかっていますが、それでも晴れの部類でしょう。

 来週の講義準備の合間に、評論家・立花隆さんと起訴休職外務事務官で作家の佐藤優さんとの間で行われた討論「21世紀図書館 ― 必読の教養書二百冊」(文藝春秋12月号)を読みました。

 それぞれ100冊ずつ、教養書としての必読書を上げ、その選定理由を中心に興味深い討論がなされています。合計200冊のなかでわたしが読んだことがあるものはあまりなかったのですが、それでも立花隆さんがロールズ『正義論』をあげていたのをみて、これは読んだことがある(笑)と思ったりしました。

 具体的な書籍のリストは現物を見てもらうことにして、討論のなかで気になったフレーズについて。それは、読書をすることの重要性を説く中でのことです。

 佐藤さんは、田邊元の『歴史的現実』(こぶし書房)を必読書にあげているのですが、それは、立花さんが「個人の生命は有限であるが、大義のために死ねば永遠に生きる、ということを説いた本ですね。ある意味で大東亜戦争のイデオローグになった。」(164頁)と評する本です。でもなぜ佐藤さんはそれを必読書としてあげているのでしょうか。佐藤さんは、立花さんの発言に続いて、以下のようにいいます。

 「そうです。目で追って読めば論理は相当怪しいのですが、声に出して読むと今の我々が読んでも『ああ、やっぱり悠久の大義のために命を差し出したい』と身体が反応するんですね。田邊元が京都帝国大学で昭和十四年に行った六回の講演をまとめたものですが、当時の京大生は、田邊の声を直接聞くことで『これだ』と直感し、本を携えて特攻機に乗っていったわけです。ですから、音の世界、声の世界に騙されないようにする、読書による知的トレーニングは現代でも必要ではないかと思いました。」(164頁)

 同じページにはこれも佐藤さんの発言のなかに、毛沢東も本を読めば人間は愚劣になるという論文を書いて、中国における読書文化を立ち、思考する脳回路を停止させようとした、ということが述べられています。

 大学における講義もこのことがあてはまると思います。ある説によると、講義の内容を自分で勉強しようとすると、その3倍の時間がかかるといいます。だから講義は効率的に学習できる有意なものだ、ということなのですが、ただ、自分で読書するなかで、効率的ではないけれども、自分の頭で納得できるまで学習するということも重要ななのではないでしょうか。あるテーマ、事例について、自分はどのように理解したのか。判例について、先生は・・・・と解説しているけど、実際に判決文を読んでみて、自分の理解を構築してみる。それは稚拙でもよいと思います。自分にはどう読めるのか、ということを実践するなかで、豊かな思考力は身についていくのでしょう。

 と偉そうにいいますが、はたして自分はどうかといえば、これは心もとないです。とくに学生時代にそんなことをしたかといえば・・・・。また、大学で教える身でありながら、講義の効用に懐疑的だなんて・・・・。

 だんだんとりとめもなくなってきましたので、また講義の準備に戻ります。

2008年11月12日 (水)

平凡な日々。

 本日は、秋晴れなり。

 ここ数日、平凡な日々を送っています。とくに心煩わされることがないかわりに、心踊らされることもありません。後期の講義負担も少ないので、心身の「老化」が進みそうです。

 というわけでブログに書くようなネタがありません。今日は午後、臨時教授会があるのですが、入試の合否判定だけで(どの入試?)、「エキサイティング教授会」を期待することもできません。もっとも、教授会がエキサイティングしても、そのままブログには書けないでしょうが・・・。

 そうそう、有斐閣さまから、『判例六法』の平成21年版をいただきました。

 たいして「プロフェッショナル」でもないわたしに、『有斐閣 判例六法 Professional』をいただき(5000円+税)、ありがとうございます。ここに記して、感謝いたします。

2008年11月 8日 (土)

最近の出来事。

 朝方降っていた雨も、いまはやんでいます。本日予定されていた対学園大戦(教員野球)は、来週に延期されました。

 最近の出来事といえば、なんといっても、スーパー・チューズデーでのオバマ氏の圧勝でしょうか。福井県の小浜市も、長崎の小浜町(?)も、デンジャラスのノッチさんも、さぞお喜びのことでしょう。

 わたしにとっては、パソコンを新調したことが、最近の一番の出来事です。今まで使っていたFM‐V BIBLOが如何ともし難い状態になってしまったので、VAIOに変えました。もちろん(?)、校費で。OSも迷ったのですが、いまのところは、XPにしてもらいました。まだ使い慣れないせいか、キーボードの打ち間違えに、ちょっとイライラ感があります。

 ところで、小室さんのことには驚きました。音楽著作権をめぐる詐欺容疑で逮捕されるとは。それにしても、資産が50億円あったこともあるとは、すごいですね。貯金通帳に記載できるのでしょうか(桁は足りるのでしょうか)。余計な心配ですね。

 あ~あ、はやく定額給付金、こないかな~。これもプリキュワの洋服に変わってしまうかもしれませんね。わたし、新しいグローブが欲しいのですが・・・。

2008年11月 5日 (水)

新・近代立憲主義を読み直す

 まずまずの晴です。少し身体を動かすと汗ばみます。

 昨日の学園祭休みを利用して、わが師の本『新・近代立憲主義を読み直す』(成文堂、2008年)を読みました。

 本書の前半(第Ⅰ部)は、近代啓蒙思想批判にあてられています。

 J・ロックやJ・ルソーに代表される近代啓蒙思想は、個人の合理的・理性的自由意思に基づく国家樹立を説いてきました。この思考法がわが国の憲法学に与えている影響は絶大です。これに対して、D・ヒュームやA・スミスに代表される伝統主義は、日常生活に従事する市井の人びとの相互承認のなかから徐々に規範が生成され、その規範のエンフォースを確保するのが国家の役割であると説きました。本書は、後者の思考法の上に、新しい国制論を展開するものです。

 第Ⅱ部は、立憲主義思想にとってときにその典型例とされるフランス革命・フランス人権宣言批判にあてられています。

 この議論を展開するにあたり本書が重視したのは、G・ヘーゲルによるフランス革命の見方でした。ヘーゲルは革命期こそ「新しい世界」の到来を賞賛しましたが、のちに、革命思想の空虚さをつぎつぎと明らかにしていきます。とくに自然権的権利の抽象性を否定して、ヘーゲルは、権利は市民社会のなかで生まれ、国家という実体に支えられてはじめて有意となることを説きました。自然権というのは、制度的支えを持たない空虚な権利である、というのです。わが国におけるヘーゲルは、マルクス(主義)の影響を受け、相当なバイアスのもとで理解されてきてしまっているようです。

 わが師が本書の初版刊行を準備していた当時、わたしは院生・助手(←懐かしい響き)としてその近くにいました。師の謦咳を接しながらわたしも本書執筆のために参照された同じ書物を読みましたが、理解度には雲泥の差がありました。昨日、今日と、この本を読み返してみて、その差はまだまだ少しも縮まっていないように感じます。

 学問の道は険しくで遠いことを思い知った学祭休みでした。

 ところで、この学祭期間中は、放送大学で講義をしました。学生のほとんどが社会人ということもあって、実に真剣な講義態度でした。久しぶりに緊張感のある講義になりました。教員を育てるのは学生であることを実感しました。

2008年11月 2日 (日)

学園祭と面接授業

 予報はくもりです。

 昨日から勤務校では学園祭がはじまりました。生協-図書館前-五高記念館というデルタ地帯に模擬店が密集していて、こぢんまりですが、華やかさもあったと思います。

 その喧騒のなか、わたしは図書館隣り(図書館内?)にある放送大学で面接授業をしました。アットホームな授業をしたいと思っていたのですが、受講生がマックスに近い50名程度いたので、「面接授業」とはいえ通常の講義形式となってしまいました。

 放送大学の講義は1コマ2時間15分。昨日は、喧騒のなか、あいだに休憩を挟みながら3コマ(6時間45分)をこなしました。今日は、これからまたあの喧騒のなか、2コマ(4時間30分)のお仕事です。

 大学教員は体力勝負であることを思い知らされた一日でした。

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