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2009年3月22日 (日)

「芸能と差別」の深層

 本格的な雨に、咲き始めの桜が晒されています。

 「沈黙の期間」に、三國連太郎さんと沖浦和光さんの対談『「芸能と差別」の深層』(ちくま文庫、2005年)も読みました。(沖浦さんは、比較文化論、社会思想史を専門とされる学者さんです)。

 日本の芸能には、社会の底辺にあって賤民視されていた遊芸民が深く関わっているようです(18頁参照)。本書は、能・狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎、大衆演芸といった伝統芸能の始原と、それらの演者をとりまいていた環境についての対談です。

 わたしは、釣りバカ日誌のスーさんでお馴染みの三國連太郎さんが、これほどまでに芸能史、芸能論を勉強していることに、驚かされました。三國さんの破天荒な人生も語られていて、あっという間に読み切りました。

 また、世阿弥の芸能論、『東海道四谷怪談』、『桜姫車文章』で知られる鶴屋南北、近世では永井荷風などの芸能論も適宜解説されていて、読みごたえもありました。

 どうやら芸能者が賤視されたのは、幹非の法家思想の影響のようです。直接生産活動に従事していない者が〈賤〉とされたようです。この意味では、学者もそうでしょうね。社会秩序を揺さぶり、ときに預言者的なところもあったのでしょうから。本書のなかには、シャーマン的な職も賤視されたとありました。

 本書で印象に残っている部分は、つぎのところです。三國さんの役作りについての話の場面で、以下のような対話がなされています(100頁)。

 (沖浦)「研究者も同じですね。自分の情念というか、『思い入れ』が入らない論文は、やっぱりいくら書いてもダメなんですね。『これは書かんといかん』『なんとしても書きたい』と、グーッと気持ちが入らないと、パンチ力のある生きた文章にならない。・・・」

 (三國)「よく分かります。私も自分の実人生と、演じている役柄は全く別人格だと思って、若い頃はやってきたんですけどね。しかし、自分と演じている人物は全く別の人格だと割り切って、その役を演じ切ることはできない、それは錯覚だったと気がつきました。・・・」

 わたしの研究など、ダメダメですね~。「〈気〉や〈情〉が入っていないと、いくら書いても自分の生きたコトバにならないで、形骸化した文章しかできません」という沖浦さんの言葉。耳が痛い言葉でした。

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