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2009年6月

2009年6月30日 (火)

大雨洪水警報発令。

 でもいまは雨は少しです。Cimg2162

 さっきは窓の外が霞むぐらいの雨量でした。9時14分分に熊本地方(熊本市)に大雨洪水警報が発令され、12時30分現在で解除されなかったので、わたしの本日の担当講義は2つとも、休講になりました。

 講義がなくなるというのは、学生でなくても嬉しいものです。ただ、どこかで被害があっても困るので、梅雨時期とはいえ、雨量はほどほどでお願いしたいところです。

 それにしてもいつ解除されるか、いつ解除されるか気にしながらの生活も、すこし疲れました。

2009年6月28日 (日)

黒豚だけでなく。

 雨が強く降っています。さっき、数分の間、停電しました。

 昨日は黒豚を食べに、ではなく、学会のため鹿児島に行きました。

Cimg2153_2  鹿児島中央駅に着いてすぐ、駅にほど近い甲南通りにある「黒かつ亭」というとんかつ専門店で、定食をいただきました。画像はトンカツに焦点が当たっていませんが、味はやはりよいものでした。

 学会では憲法の報告を3本と、「志布志事件」の担当弁護士さんによる講演を聞きました。

 憲法のセッションの第1報告は、アメリカの「象徴的言論」に関する判例を追うなかから日本の言論の自由論への示唆を得ようとするものでした。

 第2報告は、これもアメリカの「障害のあるアメリカ人に関する法律」が州・地方自治体に課した健常者・障害のある人の間の平等取扱原則を紹介したものでした。

 第3報告は、憲法14条の規定をもとに同性婚を基礎づけてみようとするものでした。これも同性婚を認めないのは「性的志向による差別」であると捉えるアメリカの理論を参考にしたものでした。

 いずれの報告も現代的問題を扱った興味深い内容のものでした。

 そのあと行われたのが「志布志事件」に関する講演です。

 「志布志事件」とは、平成15年に行われた鹿児島県議会議員選挙おいて、志布志地区を舞台に行われたとされた買収行為に関する刑事事件です(無罪が確定しています)。講演者はこの事件の弁護を担当した弁護士さんで、現在は鹿児島LSで先生をされている方でした。実際の事件を担当していた方のお話だったので、事件の不自然さからアリバイ立証の背景、違法・不当な取り調べの様子など、興味深いお話を伺うことができました。

 という感じで学会にも出ていたことを証明して、夜は、天文館にある「地鶏のみやま」で、地鶏をいただきました。モモ、砂ズリ、皮、ハツ、ナンコツの6種類が一挙に楽しめる「焼き盛り」は溶岩プレートでいただきました。刺身もおいしかったです。あまりにおいしかったので画像に残すことを忘れましたが、お昼によった「黒かつ亭」とともに、『るるぶ鹿児島』で紹介されているお店ですので、そちらでご確認ください。実はわたしも出発時に熊本駅ビルの本屋さんで『るるぶ』を購入し、学会出張に備えて行きました。

 ちなみにわたしは“るるぶ派”です。あなたは“マップル派”?。

2009年6月26日 (金)

マイケル・ジャクソンさん死亡。

 曇っています。なんだかんだ忙しく、更新をさぼりがちです。勉強する時間もないので、更新するにもネタがありません。

 忙しい忙しいといいながらネット・サーフィンをしていたら、マイケル・ジャクソンさんが亡くなったとのニュースにふれました。日本時間7時の段階で情報が錯綜していたようですが、ロスの検死官が確認したようです。50歳とのこと。

 なんだかんだと話題の多かったスーパー・スターの死だけに、日本でもこれから大きく報じられることでしょう。

 わたしの研究室にある、Michael Jackson “The Ultimate Collection”で、きょうは追悼の一日にしようと思います。

 といきたいところですが、本日も、午後から外部審議会に出席です。審議会の会場近くにある「緑地」です。月に一度、いい空気を吸いに行っています。

Cimg2150 Cimg2151 Cimg2152

2009年6月23日 (火)

現代法哲学講義

 大雨です。あす1限の講義準備を終え、いまから帰ります。講義回数を重ねるにつれ、学生からの質問も徐々に確信をつくものになってきて、回答を準備するのに四苦八苦する毎日です。

 ところで、きょうは本の紹介を。

 以前、お仕事を一緒にしたことがある信州大学の関良徳先生(法哲学)からご本をいただきました。井上達夫(編)『現代法哲学講義』(信山社、2009年)です。なぜ法哲学を学ぶのか、また法科大学院などの実務教育でも、なぜ法哲学が重要なのかがわかる良書です。地頭を鍛えるにはもってこいの本だと思います。オススメです。

2009年6月21日 (日)

父の日ということで。

 どんよりと曇っています。まだ雨は降りはじめていません。

Cimg2148  父の日ということで、先日、娘が通っている英会話教室で作ったお手紙(?)です。

 今日もなにかと慌ただしい一日でしたが、また明日から、一所懸命に働こうと思います。

2009年6月19日 (金)

臓器移植A案衆院通過。

 きょうも晴れそうです。健康診断があるためご飯が食べられず、ふらふらです。

 昨日「改正臓器移植法案」のA案が衆院で可決されました。A案というのは、脳死をひとの死とし、臓器移植の年齢制限を撤廃し、本人の拒否の意思表示がない場合には家族の同意で臓器提供を可能にする改正案です。

 これまで国内でできなかった子どもの臓器移植を可能にする法案で、また、臓器提供者そのものも増えそうな法案なので、一見よいもののように思われます。ただ「死生観」は区々でしょうから、参院でさらなる議論が深まればと思います。その意味では、衆院での、それもA案可決は予想に反していたようですが、市井での議論を深めるよい契機になると思われます。

 ところで、票決を欠席した共産党をのぞいて、久々に「党議拘束」がはずされた投票では、面白い結果が生まれましたね。

 麻生総理は反対、河村官房長官、細田自民党幹事長は賛成されました。民主党では、鳩山さんは反対、小沢さん、岡田さんが賛成。公明党では太田代表が反対、北側幹事長が賛成に回っています。おっと、3党首はみさなん、反対のようです。党議拘束がはずれると、議員さんひとりひとりの投票にも注目が集まって、これも市井での議論が高まる要因にもなると思います。

 現行法は臓器移植時に限って脳死をひとの死としていますが、改正A案は、一般的に脳死をひとの死とするもののようです(これ、間違っていますか?)。仮にこの法案が成立したら、現行法の考え方に影響は与えないのでしょうか。たとえば死亡時期などに関連する諸法令に。

 A案の衆院通過はなんとなく「脳死は人の死ではない」と考えていたわたしの「死生観」を揺るがす出来事でした。

2009年6月16日 (火)

生存権

 きょうも晴れです。テンションが上がらないのは疲労のせいでしょうか。前期も半分が過ぎ、なんだか中だるみ真っ最中です。

 そんななか、立岩真也・尾藤廣喜・岡本厚『生存権』(岩波書店、2009年)を読みました。

 本書の編集者「堀切くん」(?)が3人の論客と生存権をめぐって対談しています。生存権といえば憲法25条を思い浮かべますが、憲法の読み物というよりも、社会保障法の読み物という感じでしょうか。生存権訴訟の先駆けとなった朝日訴訟から、「ワーキング・プア」問題といった現代的話題まで、扱われています。

 そのなかで尾藤さんが地方分権と生存権保障(社会保障)との関係を、その費用面から述べているところに目がとまりました。尾藤さんはつぎのようにいいます。

 「生存権の保障を分権化した場合にですよ、地方に財源がないということで、それで生存権の空洞化っていうのはあり得るわけで、私は地方自治の問題も実は二十五条と関連しているんだということを忘れちゃいかんと思うんですよね。あんまり言われていませんけど。自民党の案では、地方自治の条項の面で、そこが後退しているんです」(66-67頁)。

 先日2年生のゼミで2005年11月3日に発表された自民党の「新憲法草案」に少しふれました。それは地方自治体の経費について、94条の2で、つぎのようにいいます。

 「地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ、条例の定めるところにより課する地方税のほか、当該地方自治体が自主的に使途を定めることができる財産をもってその財源に充てることを基本とする」。

 上記尾藤さんの発言は、この条文を想起しながらのものだと思われます。自主財源を得てこその地方自治だとは思いますが、国民の最低限の生活保障(この意味あいにも注意すべきことは立岩さんが述べています)こそ、国家の役割であるともいえると思います。社会保障のナショナル・スタンダードを維持し高めていくことは、地方分権化のなかでも国家の、そして国家にしかできないことかもしれません。

 いずれにしても『生存権』は下級生にも読みやすい内容と長さになっています。是非、一読してください。

2009年6月15日 (月)

父の日参観。

 梅雨とはいえ、よく晴れています。

 父の日が近いと言うことで、昨日は、娘の幼稚園に「父の日参観」に行きました。恒例の親子でおもちゃ作りをしました。

Cimg2142  画像は「紙コップおばけ」です。この他にもおもちゃをいくつか作ったのですが、これがお気に入りのようです。「おばけ」というわりには、かわいい顔ですが・・・。

 それにしても昨年のこの行事はわたしがもっぱら制作者でしたが、今年は娘も色を塗ったり、絵を描いたりして、共同制作できました。

 父は退化している反面、娘は進化していることを感じた一日でした。

2009年6月12日 (金)

リフる!

 曇っています。少し蒸し暑いようです。

 昨日、2年生ゼミのメンバーとコンパしました(注:コンパは company が語源のようです)。勤務校の校舎の改装されできた「リフレッシュ・ルーム」を使用しました。この部屋でリフレッシュすることを「リフる」といいます。

 2年生ともなれば個々の都合もあるでしょうが、それでも参加してくれた学生には感謝いたします。もうすぐ社会の荒波に晒されるであろうから、せめてその前のひととき、楽しい時間を過ごしてほしいと思います。わたしのように社会に出ることもなく、ずーっと、楽しい(?)時間を過ごしてしまっている者に言われても、説得力ありませんが・・・。

 ある先生の「六法パフォーマンス」の話題で盛り上がったりで、楽しい時間でした。

2009年6月10日 (水)

裁判員の教科書

 雨が降っています。昨日(9日)に九州南部は梅雨入りしたようです。

 橋爪大三郎さんの『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房、2009年)を読みました。橋爪さんは昔から注目して多くの著書も読んできた社会学者です。

 本年5月21日(わたしの誕生日)からはじまった裁判員制度については、多くの書物が誕生しています。本書は、その中でも読みやすく、また裁判員制度の解説を通して、わが国の刑事裁判制度の神髄を解説した良書だと思います。

 いま「刑事裁判制度の神髄を解説した」といいました。それは橋爪さんのつぎのような刑事裁判についての見方に表れています。

 「刑事裁判で裁かれるのは、検察官である」。(14頁。他の頁にも同様の表現があります)。

 本書は、刑事裁判で裁かれるのは検察官であり被告人ではない、という一貫した視点から書かれています。また「刑法は、裁判官にあれた命令です」(26頁)ともいいます。この二つの命題の真意は、この本のなかにあります。

 そこで橋爪さんによる裁判員の役割とは。「それは、眼を皿のようにし、聞き耳を立てて、検察官の言動に注意を集中することです。検察官が犯罪を立証し、被告人の有罪を証明しようとしています。これが成功しているかどうか、判定する。これが、裁判員の役目です」(71頁)。

 さらに本書の後半では、現行刑事裁判制度に対するいくつかの問題点も分析されています。そのなかで、平成19年から導入された被害者参加制度についての橋爪さんの見解が述べられています。被害者参加制度とは、刑事裁判に被害者やその遺族が参加し、証人尋問や被告人質問ができるというものです。この被害者や遺族の意見は、裁判員に影響を与えずにはおかないであろう、と橋爪さんは考えて、この制度に否定的見解を表明しています。いわく、

 「感情も、人間に自然にそなわったものなので、裁判に反映しがちです」(194頁)とした上で「感情は、正義とも、刑事裁判のルールとも、関係ありません。むしろ、感情が邪魔をして、正義がわからなくなり、ルールを逸脱してしまいがちです。というわけで、率直に言えば、被害者参加制度は、刑事裁判にとってお荷物以上のなにものでもありません」(同)。

 というわけで、いつものように収まりの悪い終わり方ですが、裁判員って、困るな~、と思っている方にお薦めの一冊です。なんといっても日本語がわかりやすい。この辺にも橋爪さんの思考力の高さが表れていると思います。

2009年6月 8日 (月)

「グーグル和解」続報。

 快晴です。きょうも暑い一日になっています。

 金曜日のブログに『思想』2009年6月号との関係で「グーグル和解」について書きました。その『思想』に掲載されている高宮利行さんの「書物のデジタル化」と題された論文のなかに、つぎの一節があります。

 「読者の中で著作を出版したことがある人には、この四月の半ば以降、その版元から回状を受け取った方もいよう。文面は出版社によって差異はあろうが、その内容は、著作権をめぐって争っていたグーグルと米国の作家や出版社の団体が、和解合意に達した、裁判がアメリカ独特の『集団訴訟』だったので、その合意条件は同様の状況におかれた日本の作家や出版社にも影響を与える可能性がある、そしてそれを避けるためには五月五日までに和解を拒否することもできる、という説明だったはずである(ニューヨーク連邦地裁は最近になって、和解離脱の申請期限を九月四日までに延長した)」(166頁)。

 はて、わたしには来ていないよう~、と思っていたら、土曜日にお世話になっている出版社から、高宮さんのいう「回状」が自宅に届いていました。やっぱりわたしも当事者だったのですね。わたしの本など市場的価値のないものですから、もうどのように扱われてもよい(なんて、無責任なことはいえませんが)、出版社サイドで適切な対応を考えていただいているようなので、安心してお任せしようと思います。

 本日は夜にも大学院の講義がある苦しい一日です。

2009年6月 5日 (金)

思想2009年6月号

 さっき雨が降りました。依然として不安定な空模様です。

 きょうは掲載されているいくつかの論文が気になったので、岩波書店から刊行されている月刊誌、『思想』の1022号(2009年6月号)を読みました。この月刊誌は今世紀にはいってから定期購読しています。

 なぜ気になったかというと、「グーグル検索」、「グーグル裁判」(和解)をめぐる読み物が数点、掲載されているからです。

 「グーグル検索」とは、グーグルが世界に名だたる大学の図書館や公共図書館に所蔵されている書籍をデジタル化し、インターネット上で無料で提供する、という試みです。グーグルは、すでに下記のことを行っています。

 ①世界の著名な図書館に所蔵されていて、すでにパブリック・ドメイン(著作権の切れたもの)にある書籍をデジタル化し、全文を検索可能な状態で、インターネット上に提供する。

 ②まだ著作権に守られている図書館所蔵本でも、それをデジタル化し、本文の抜粋をインターネット上に提供する。

 この②に対して、アメリカでクラス・アクションが提起され、その訴訟が2008年の10月に和解に達しました(ニューヨーク連邦地方裁判所)。クラス・アクションとは、多数の利害関係者(クラス)がいる問題で、そのクラスの代表が全体のために訴訟を提起し、勝訴・敗訴にかかわりなく、その判決の効力はクラスの全員に及ぶというアメリカの訴訟類型です。ちなみに訴訟を提起したのは、全米作家協会と米国出版社協会です。

 上記の和解の条件はちょっと複雑なので割愛しますが、この和解の対象者は、2009年1月5日以前に出版された書籍で、アメリカ国内で著作権を有する者のようです。わが国の権利者は、著作権に関する条約であるベルヌ条約により、アメリカ国内でも著作権をもちます。ということは、わたしも和解の当事者(?)。

 「思想」に論文を掲載している福井健策さんも「なんとも強引」と評しています(144頁)。

 この「グーグル和解」に対して、権利者としての選択肢としては、日本書籍出版協会によると、以下のものがあるようです。

 ①和解に参加する。なにもしなければ自動的に和解したことになる。

 ②和解への参加拒否の意思表示をする。2009年9月4日が期限のようです。

 ③2009年9月4日までに異議申し立てをする。

 ④和解に参加した後、絶版、市販中止となった書籍の削除をもとめる。

 ⑤和解に参加した後、特定の書籍については削除をもとめる。2011年4月5日までなら、和解後でも、希望する書籍については、グーグルのデータベースからの削除を求めることができるようです。

 昨日(4日)の朝日新聞の記事によると、日本文芸家協会は、会員に「和解してデータを非表示にする」(⑤?)という選択肢を薦めているようです。

 和解云々というのはともかく、なんだか大変なことになっているようです。「思想」に「グーグルと書物の未来」という論文が掲載されているロバート・ダーントンさんは、このグーグルの試みについて「近い未来、読者に書籍を届けるやり方に甚大な影響を及ぼすであろう」(174頁)と予言しています。

 グーグルの試みは「世界最大の図書館」(ダーントン論文181頁)をわたしたちにもたらしてくれるのでしょうか。でも、ダーントンさんによると、懸念材料もあるようです(詳しくは「思想」掲載の論文を参照してください)。

 ということで長くなりそうなので、この辺で・・・(中途半端で済みません)。

 【お知らせ】司法試験短答式の合否が発表されました。短答式の大学院別の結果はここです。(法務省ホームページにあるページにリンクしています)。

 ところで、こういう時の合格率は出願者ベースでしょうか、受験者ベースでしょうか。一部では出願者ベースで評価しているようです。こうすると、辞退者も不合格者にカウントされて、正確ではないように思います。受験者ベースなら、勤務校は、よかった~とはいえないかもしれませんが、落胆するような結果でもないように思います。

 

2009年6月 3日 (水)

最高裁の人事。

 雨です。

 最高裁の人事といっても日本のはなしではありません。本日の朝日新聞によると、アメリカ・オバマ大統領は、今開廷期限りで引退するスーター裁判官の後任に、ソニア・ソトマイヨール裁判官(ニューヨーク連邦控訴裁判所)を指名したようです。ヒスパニック初の連邦最高裁判所裁判官の候補者なので、注目されているとのことです。ちなみに、ソトマイヨール氏は女性です。

 以前このブログでもお話ししたように、アメリカの連邦最高裁の裁判官人事は、その候補者がどのような政治思想をもっているのか注目されます。なぜなら朝日新聞の記事を引用すると「人種や妊娠中絶、銃規制、同性婚といった、米国の価値観の根本にかかわる社会問題の数々について判断を下し、時には大統領の判断を揺るがすほど」最高裁には強い権限があるからです。

 現在の連邦最高裁裁判官の顔ぶれは、大統領とおなじリベラルな政治思想の持ち主として、通常、スティーブンス、スーター、ギンズバーグ、ブライヤーの4裁判官があげられます。このうち、スーター裁判官が今期限りでの引退を表明していて、その後任としてやはりリベラルのソトマイヨール氏の名前があがっているところです。ちなみに、ギンズバーグ裁判官が女性なので、ソトマイヨール氏が上院で無事に承認されれば、女性裁判官が2名になります。

 リベラル派は、「米国の価値観の根本にかかわる社会問題」である妊娠中絶、銃規制、同性婚について、それぞれ容認の立場にあります。

 これに対して保守系とされているのは、ロバーツ長官の他に、スカリア、トーマス、アリトウの4名です。保守派は上記の問題について、それぞれ否定的見解を示しています。

 この4対4の構成のなかで(もちろん、山積する問題について、すべて〈リベラル 対 保守〉という図式が成立し、つねに4対4に分離するわけではありませんが)、政治的には中道であるとされているケネディ裁判官が重要な役割を果たしています。

 先ほど少しふれましたが、合衆国連邦憲法2条2節2項により、大統領により指名された連邦最高裁判所裁判官候補者は、上院の助言と承認の後、任命されることになります。共和党側はソトマイヨール氏の過去の人種差別的発言を指摘して承認に難色を示しているので、上院ですんなりと承認されるか注目されるところです。

2009年6月 1日 (月)

そして、また日常。

 晴れています。

 週末は勤務校の1年生の合宿研修のために、阿蘇に行きました。1年生はクイズ大会で交流を深めたり、日曜日には阿蘇山に登ったりと、充実した研修となったことでしょう。が、わたしは「不良教員」なので、麻雀、温泉、飲み食いのあげく、阿蘇にも登らずに、日曜日早々に帰宅しました(しかも、行き帰りは学部長先生の車で)。

 この合宿研修は「法学部行事実行委員会」という学生組織によって実施されています(といういわけで、教員は飲み食いに勤しんでいてもよいのです・・・なんてね)。あれだけの研修を企画立案し、宿泊所・バス等を手配し、当日の運営までこなした「行事実行委員会」のみなさんには頭の下がる思いです。この後もスポーツ大会、演習ガイダンス、卒業祝賀会等、法学部はまだまだ「行事実行委員会」にお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 というわけで、阿蘇登山はどうでしたか。当日は快晴というわけではなかったでしょうが、かえって登山にはよかったのでは。ヒールを履いていたような1年生への洗礼となったでしょうか。

Cimg2140

 わたしは本当に「午前様」なので、一応、お土産を買って帰りました。なんの変哲もないものですが、これでもないよりはよい、と最近学びました。

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