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2009年7月28日 (火)

阿部謹也自伝

 くもっています。蒸し暑い日です。

 昨日の大学院の演習をもって、前学期の講義がようやくすべて終了しました。あとは8月早々にある定期試験の実施と採点です。

 というわけで、読みかけていた『阿部謹也自伝』(新潮社、2005年)を最後まで読みました。

 わたくし、結構、自伝本を読むのが好きで、頃合いを見計らって過去にも数冊、自伝本を読みました。阿部謹也さんは、ヨーロッパ中世研究の第一人者、『ハーメルンの笛吹男』や「世間」研究で知られた西洋史家です。

 本書でもドイツ留学中に『ハーメルンの笛吹男』に出会ったことや、後にどのような考えで「世間」研究にむかったのかが、述べられています。

 また阿部さんは、一橋大学で学長まで勤めた人です。国立大学に勤務しているわたしにとって、大学内部の出来事や文部省(現・文科省)と大学の交渉の過程を読みやすく描いているこの本は、大変、興味深い本でした。

 その中の一節を引用します。これは「教養とは何か」という小見出しの下に書かれた一節です。

 「教師はいうまでもなく、自分が教えている教科が誰にとっても絶対に必要なものだと思っている。教師は大学院で勉強した時から、そう思い込んでいるのである。ところが現在大学生は同世代人口の五割近くを占めている。それほどの数の学生達が、大学教師になったエリート達と同様な価値観を持っているはすがない。彼らは大学で教えられている教科がどのような価値をもっているのかを知らす、少なくとも自分とは関係がないと思っているのである。大学における教養教育はまずこのような学生を知ることから始めなければならないのである。そして彼らの一人一人が自分を発見し、社会の中における自分の位置が解るまで指導しなければならないのである。大学の構造が今では戦前と全く違ってしまっているのに、教師は今も自分が学んだ学問が誰にとっても価値があるものだと思いこみ、それを理解しない学生を馬鹿にしているのである」(240頁)。

 本文は改行のあと「大学はこのような状態の中で確実に死にかけている。・・・」と続きます。わたしは自分が教えている教科が「誰にとっても絶対に必要なものだ」などという自信は持っていません。が、阿部さんのこの文章から、いろいろ考えることもありました。

 それにしても、阿部さんが学長なら、一面で頼りになるかもしれませんが、反面で、耳も痛いことでしょうね。阿部さんが学長時代に『「教養」とは何か』(講談社現代新書)を書かれ、教官から総スカンを食らったのも、わからないではありません。「教養教育」って、難しいですものね。

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