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2009年10月

2009年10月31日 (土)

この頃のこと。

 秋晴れです。

 ブログネタにつきたので、この頃のことをお話しします。

Cimg2422  きょうかなぁ(?)、ハロウィンですよね。これはわが家ではなく、宿舎の1階の玄関先にあるカボチャです。

 娘が通う英会話教室でも、ハロウィンの行事があった模様です。お菓子をいっぱいもらっていました。

Cimg2427  わが家の近くにセブンイレブンが開店しました。開店セールの様子です。そういえばわたしが幼かった頃にも実家の近くにセブンイレブンが開店したことを思い出しました。当時は、言葉の真の意味での「セブンイレブン」でした。「セブンイレブン、いい気分。開いててよかった」というCMのコピー、いまでは想像もできないコピーですよね。

Cimg2429  きょう、職場で教職員の「ソフトバレー」、「ミニバレー」の大会がありました。その名も「学長杯」。毎年この時期に開催されているようで、それなりの盛り上がりを見せていました。

 わたしも同僚先生や事務職員の方と参加し、3位になりました(はて、何チームだったのでしょう~)。

 明日から勤務校では学園祭がはじまります。インフルエンザ蔓延中なので、是非、参加される方には、十分な注意をお願いしたいところです。またこの連休は気温が下がり天候も悪いようですから。

2009年10月28日 (水)

少年事件の実名報道は許されないのか

 清々しい朝です。そんな朝のひとときを利用して、松井茂記先生の『少年事件の実名報道は許されないのか:少年法と表現の自由』(日本評論社、2000年)を読みました。

 少年法61条は「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」と規定しています。

 本書は、この条文の「推知報道禁止」を絶対的禁止の意味で理解してはならないとの立場から書かれています。松井先生が書かれていることもあり、この見解が憲法学では有力であるといえると思います。

 また少年法61条は少年の更生を目的とした「刑事政策的なもの」で、実名報道されない「権利」を保障したものではない、という点も、憲法学的には妥当なものだと思います。

 さらにこの条文には旧少年法にはあった罰則規定がありません。この点をとらえて、本書は、「立法者は、罰則規定をはずすことによって、これをマス・メディアの自主規制に委ねた」と理解しています。仮に絶対的禁止を求めるなら立法者は罰則規定を残すはずですから、それをあえて削除したところに、立法者の絶対的禁止を否定する意図を読み取ることも可能だと思います。

 とはいっても、そのような少年事件でも、実名報道、推知報道が許されるわけではありません。著者は、大阪府堺市で起きた通り魔殺人事件について、「新潮45」が容疑者とされた当時19歳の少年の氏名と写真を公表した事件に関する大阪高裁判決に依拠して「少年の実名報道が正当化されるのか、公衆が正当な関心を抱くであろう重大な事件に限られる」(198頁)とすることも忘れていません。さすがは松井先生、穏当で妥当な思考だと思います。

 ところで少年事件の、あるいは広く刑事事件における容疑者の氏名等公表について、それは「いわれるような民主政原理との深い結びつきのような高い価値は見出しがたい」、従って、実名報道は不要であるとの意見があります。この点について本書はつぎのように言います。少し長くなりますが引用します。

 「たしかに、個々の事件の容疑者の氏名に、民主政原理とのそれほどの結びつきはないのではないかと想われたとしても仕方ない。しかし、公共の利害に関わるような事件が起きたとき、それを知り、それに対してどう対処すべきかを論じることも、公共的な討論に含まれる。事件の解決にあたって、警察の行動は適切であったか、裁判所の措置は適切であったのか、そして少年事件の取扱い全体が適切かどうか、これらの事項も公共的な討論事項である。そして、これらの討論を真に意味あるものとするためには、十分な事実が報道されなければならない。……少年の氏名そのものに価値があるかどうかではなく、氏名等を明らかにすることなく意味ある討論が可能かどうかを問題にすべきである。……少年に面識のある者に少年を特定することができないような報道しか許されないのであれば、現実に少年事件の報道が不可能である以上、少年の氏名等の報道も認めざるをえないのである」(150-151頁)。

 (ここでも使われ、また一般によく「公共の利害」といわれていることは、英語でいうと public interest です。これ「公衆の関心事」と訳した方が、もとの意味に近いのではないでしょうか。蛇足ながら……)。

 表現の自由、報道の自由、そして「知る権利」に重要な意味を見出し、そのためにときに少年の実名報道が許される場合もあるとする本書を、2000年刊と少し前のものであるのに、なぜいまのタイミングで読もうと思ったのか。

 その理由のひとつは、現在ブリティッシュ・コロンビア大学に勤務しておられる著者と公法学会のときに昼食をご一緒できそのときに本書のことを思い出したことがあるのですが、なによりもいま話題の「○○君・・・」本を入手できたからです。「○○君・・・」の内容というよりも、こうして少年事件の容疑者の実名を掲げて書籍を出版すること、そのことの憲法学的視点からの正当性を考えてみたいと思ったのです。

2009年10月26日 (月)

六法の献本。

 あさから降り続いていた雨もあがり、厚い雲に覆われてはいるものの、いまはときおり日差しもあります。

 毎年この時期になると、いくつかの出版社さまから、新しい六法の献本をいただきます。ありがたいことです。本日は、三省堂さまからいただいた『デイリー六法』と、有斐閣さまからいただいた『ポケット六法』を紹介します。

 学生にむかって「六法は毎年買い換えるものだ!」なんて言えるのも、こうして各出版社さまから六法をいただけるからです。重ね重ね御礼申し上げます。

2009年10月25日 (日)

The Lost Promise of Civil Rights

 曇りでございます(のち、雨が降りました)。学会出張、運動会を経て、久しぶりに自宅で過ごす日曜日になりました。

 ということでブログ・ネタがないので、「積読本」の紹介を。今日は、Risa L. Goluboff, The Lost Promise of Civil Rights (Harvard University Press, 2007) です。

 本書の著者 Risa L. Goluboff は、ヴァージニア大学の法と歴史学(法制史)の教授です。本書は、歴史学の Ph.D をもつ著者によるブラウン判決の歴史的意義についての実証研究です。

 合衆国では南北戦争後、奴隷制度が廃止され、合衆国憲法にも平等保護を目的とした条文が規定されたにも関わらず、南部では20世紀に入ってからも人種差別が横行していました。その原因は、平等保護の意味あいを曲解したプレッシー判決にあったのかもしれません。

 Plessy v. Ferguson (1896) は、人種分離制度それ自体は温存する判決内容をもちます。すなわち、学校、乗り物、レストランなどといった各種施設において黒人などの利用を拒否することは許されないのですが、黒人用/白人用を分離し、それぞれが同じ条件の設備をもつなら平等保護条項には違反しない、としたのです。いわゆる「分離すれども平等」なら許されるというのです。

 この「分離すれども平等」政策の容認を否定したのが Brown v. Board of Education (1954) です。本件は小学校での人種別学制を違憲とする判決を下し、以降、人種統合を目指して busing を実施したと聞きました。わたしが学部生時代にこの話を講義で聴き、英語辞書で busing を引いたことを思い出します。busing には「人種差別をなくすために黒人と白人の比率を適正化した人種共学を実施するための強制バス通学」という意味がるのです。

 本書はこのブラウン判決が出た当時の人種分離制度をめぐる訴訟状況や黒人労働者の生活環境から説き起こし、ブラウン判決のその後の合衆国社会に与えた影響を分析したものです。「積読本」なのでまだ中味を精読していませんが、この本にはつぎのような意義があると思います。

 公民権運動といわれて通常想起するその権利内容は、いわゆる参政権的なものだと思います。ところが黒人労働者の現実の生活を想起するなら、参政権的な意味での公民権ももちろん重要なのですが、なによりも政府による生活保障、労働者としての権利の獲得が重要だったのです。本書はエリート的な公民権運動ではなく、黒人、少数者が本当はなにを求めたのか、そしてブラウン判決以降の合衆国社会がその「声」に耳を傾けてきたのか、これらを再考する切っ掛けを与えてくれる本だと思います。 

2009年10月21日 (水)

科研費書類。

 晴れ、太陽がまぶしく輝いています。

Cimg2419

 そんな絶好の日和のなか、また科研費書類作成の時期になりました。この時期になると大学関係者の多くの方は「科学研究費補助金」を獲得するための書類を書きます。いえ、いまどきは、“書かなければならない”ようになっています。何らかのサンクションのある大学もあるようです(と、なにを隠そうわが勤務校にも、有効性の疑わしいサンクションがあります)。

 はじめはイヤイヤ書いている書類ですが、書き始めると“どうでもよい”というわけにもいかず、なかなか大変です。みなさまは、もうお書きになりましたか?

 昨今は申請書類の提出方法が「電子申請」なるものに変更されたため、以前のように提出書類を複数部作成し、左隅をのり付けし、右上にマジックで紫色などを塗る必要がなくなっただけよいものの、学内チェックなどがあり、なんだか気ぜわしいですよね。

 もうすぐ締切日なので、この仕事もなんとかしなければ、と思う今日この頃です。

2009年10月19日 (月)

運動会。

 きょうも秋晴れ。

 昨日も、ときおり曇りましたが、まぁ晴れの部類でした。そんななか娘の幼稚園では運動会がありました。

Cimg2399  「運動会」といえばお弁当ということで、昨日のお弁当です。あさ、娘もおにぎりを作っていました。

 年中さんになった娘は、そろそろ「競争」とか「勝ち負け」のことが分かってきたみたいなので、いろいろ心配していましたが、なんのことはない、余裕で運動会を終えることができました。

 わたしの学問研究とは違い成長著しい娘に、日々、感心させられることばかりです。

2009年10月15日 (木)

法学部生は知っておきたい!昭和・平成の法律事件(1)

 秋晴れ!昨日は10月採用の新人先生の歓迎会でした。@KKR。

 ところで、法学教室349号(2009年10月号)では、「法学部生は知っておきたい!昭和・平成の法律事件(1)」という特集が組まれています。349号~351号まで3号に渡っての特集のようです。

 その「(1)」として349号には、

1.農地改革(行政法)

2.平野事件(行政法)

3.占領政策と会社法(商法)

4.警察予備隊事件(憲法)

5.東洋精糖事件(商法)

6.苫米地事件(憲法)

7.四大公害訴訟判決(民法)

8.家永教科書裁判(憲法)

9.恵庭事件(憲法)

10.個人タクシー事件(行政法)

 これらの事件がラインナップされています。いままであまり見られない興味深い特集だと思いました。単行本化されるかも。

2009年10月14日 (水)

著作権の窓から

 少し雲もありますが、まぁ、よい天気でしょう。

 週末の学会にいく道すがら、半田正夫『著作権の窓から』(法学書院、2009年)を読みました。

 本書は、長い間、わが国の著作権法学界をリードしてきた著作権法研究者によるエッセー集です。著作権に関する四方山事が軽快なタッチで描かれていながら、本格的に著作権の問題を考えてみようと思う際の“かゆいところ”にも手が届く内容になっていて、面白い本でした。

 とくに研究助手に採用された後、図書館の書庫でウルマーの本を見つけ出す件など、この業界にいる者として羨ましい発見だなぁ、と思いました。ただ、院生・助手(いまは助教という)時代とは違い、いまとなってはこのような“鳥肌の立つ”ような経験をする余裕など、望めないのかもしれません。

 ともあれ読みやすく書かれているので、著作権法を学んでいない学部生にも、ささっと読めるお薦め本です。

2009年10月13日 (火)

またまた学会出張。

 曇っていますが、太陽の陽もあります。先週末は秋の学会シーズンということで、京都-大阪と学会をハシゴして来ました。

 わが国の公法学者のほぼ全員が所属していると思われる「日本公法学会」は、京都大学で開催され、テーマは「議会と行政」でした。この学会に出席するようになりもう10年ぐらいになりますが、ようやく壇上で話されている先生方の言っていることが分かるようになってきました。

Cimg2376  とはいえ難しいお話しをするのは抜きにして、これは2日目の昼食です。写ってはいけないものが1つ2つ写っていますが、それはご愛敬ということで。秋の京都ということで、季候も良く、日本だけでなく世界各国からの観光客で賑わっていました。

Cimg2382  学会「終了」後(なぜか「終了」は括弧書ですが・・・)、鞍馬寺に行きました。出町柳駅から叡山電鉄で行くと、鞍馬駅ではこの巨大な天狗のお面がお出迎えしてくれます。鞍馬寺のパワースポットでお祈りした後、下山して・・・

Cimg2383  世俗的欲望の強いわたしは、二条にある出世稲荷神社に行きました。この神社は、足軽から天下人にまで出世した秀吉か寄進したもののようです。

 京都から大阪に移動して、関西大学で開催された全国憲法研究会(「研究会」という名称ですが、立派な学会)にも、ちょっとだけ出席しました。今季のテーマは「憲法と私法-各論からの問題提起」というものでした。わたしの最近の研究テーマ「憲法と著作権」に関する報告を聞いた後、電車の都合上、会場を後にしました。

 結局3泊4日の学会遠征でしたが、いずれの日も天候に恵まれ、よい関西旅行(ではなく学会出張)になりました。

 

2009年10月 6日 (火)

運命の人(四)

 くもり、ときどき、小雨。

 週末の京都行きの道中で、山崎豊子『運命の人(四)』(文藝春秋社、2009年)を読みました。

 『運命の人』の最終巻であるこの巻は、外務省機密漏洩事件の被告人として有罪判決が確定した主人公が、その後の人生を沖縄で暮らすという設定のもとで書かれています。おそらくその多くがフィクションではないかと思われますが、太平洋戦争で国内で唯一の地上戦を経験した沖縄の戦争経験、軍用地として強制的に接収された土地をめぐる闘争、それから1995年に起こった米兵による「少女暴行事件」など、いまもなお続く「沖縄問題」を織り交ぜながら書かれています。沖縄国際大学に米軍のヘリが落下した事件まで、取り上げられています。

 本巻終盤には、主人公が入手した「沖縄返還に関する機密電文」が琉球大学の先生により、米国公文書館で発見される、というシーンが描かれています。この先生と面識があるわたしとしては、おぉ・・、と思いながら読みました。公文書を発見するに至るアメリカでの生活の様子まで描かれていて、この4巻の後半部分では、まるで琉大のこの先生が主人公のようです。

 『運命の人(四)』で作者・山崎さんが描きたかったことは、「機密電文漏洩事件」の単なる背景を超えて、沖縄の風土とそれに似つかわしくない米軍基地の存在、というようなことだったのかもしれませんね。

2009年10月 5日 (月)

学会出張。

 くもり。ちょっとだけ、雨が降りました。

Cimg2367  3・4日の週末は、京都・同志社大学にいき、「日米法学会」に出席しました。お目当ては、ハーバード大学教授のローレンス・レッシグ先生の講演です。

 レッシグ先生は、『CODE』(Version 2.0 が2007年に翔泳社から刊行された)や「クリエイティブ・コモンズ」運動でわが国でも有名な、米国の著作権法研究者です。とくに、著作権の保護拡大が表現活動に悪影響を与えているとする論点からスルドイ指摘をしています。

 このレッシグ先生の講演のあと、「アメリカ著作権法の動向~デジタル時代における環境変化と著作権法の相克~」と題するシンポジウムがありました。

 著作権の保護については実務的な視点からの分析も重要でしょうが、今回の学会は、どちらかというと法理論的視点からの報告が多く、大変、興味深く拝聴してきました。なかでも“著作物はpropertyか”という視点から、そもそも property 概念の再検討の必要性を説いた情報セキュリティ大学院大学(学長)の林紘一郎先生による報告がわたしの琴線にふれました。(まさに「琴線にふれる」という感覚を得ました)。

 また来週、今度は「日本公法学会」に出席するために、京都に行きます。秋の京都とはいえ、行楽できない忙しさです(でも、ちょっとはしますが・・・)。

2009年10月 2日 (金)

自然食レストラン「ティア」。

 昨日の晩から大雨でした。久しぶり。

 そんななか、熊本市本山町にある自然食レストラン「ティア」にランチに行きました。

Cimg2358  バイキング形式で自然食がいただけます。本日は60分の「ゆとり」コースで1人1180円でした。このほかに時間無制限だと思われる「ティア」コースが1480円、「おいそぎ」コースなら30分で780円です。

 店名の「ティア」とは、「土(Т)に命( I )と愛(A)ありて」の頭文字をとったようです。ひとつひとつの材料の生産地が付されていて、こだわりのお店でした。

 画像としては残していませんが、本当に数多い料理が提供されていて、人気のお店のようです。味も大変、よいものだったと思います。

2009年10月 1日 (木)

新聞記事から。

 どんよりとした曇り。

 10月1日ということで、わがファカルティも、ニュー・カマーを迎えてのスタートです。おもえばわたしも2年前の今日は、ニュー・カマーでした。もう薹が立ってしまいましたが・・・。

 きょうは憲法に関する新聞記事を。

 1.最高裁大法廷は9月30日、2007年夏に行われた参議院選挙における「一票の格差」4.86倍について、「合憲判決」を下しました。合憲判決が「  」付きなのには意味があります。15人の裁判官のうち、格差については違憲の疑いがあるものの、定数是正のためには相当の時間が掛かるので、なお是正できていないことには合理的理由があるとする「合理的期間論」に依拠して「合憲」とした人が10人、あとの5人は違憲であるとしているからです。

 より正確なところは新聞記事だけではく判決文を直に読んで分析すべきですが、通常は、①格差が生じる合理的理由に配慮してもなおその格差が「違憲状態」にあるか否か判断したあと、②是正措置に必要であると合理的に考えられる期間を経過しているか否か判断する、という手順を踏むところ、どうやら多数意見は①については明確に判断せず、②についてだけ判断し、未だ合理的期間内にあると判定しているようです。

 次回参議院選は、民主党が参議院においても単独過半数を得ることができるかどうか、換言すると、政権交代の完成度に関わる大一番だと思います。その前に、今回の最高裁大法廷の判決に、国会は真摯に耳を傾ける必要があるかもしれません。みなさんは、どうお考えになりますか?また、この時期に定数改正を求めるような判決文を書いた最高裁には、なんらかの政治的意図があったのでしょうか。「政治的なるもの」に疎いわたしには、検討もつきませんが・・・。

 ちなみに、参議院選挙の「一票の格差」について、「違憲状態」と判断されたのは、1992年選挙における6.59倍だけです。いままでの判例傾向によれば、今回の4.86倍は、①のハードルで「合憲」とされる水準だと思います。このように考えるなら、昨日の最高裁判決は、「一票の格差」に関する最高裁の一歩踏み込んだ見解が表明された、ということでしょうか。

 2.朝日新聞国際面に「英国、やっと最高裁誕生」との見出しがあります。えっ、と思われた方もおられると思いますが、イギリスは議会上院の一部の議員が裁判官の役割をして「最高裁」を形成していました。ところが記事によると、伝統よりも権力分立の徹底を求める世論をうけて、ブレア政権時から改革が進められてきたようです。

 新しい「最高裁」は12人の裁判官で構成され、正式に裁判官職に任命されたら、議員職から離れるようです。

 ところで、一応「最高裁」と「  」付きで表記しておきました。イギリス憲法を知らないわたしは、これを最高裁と呼んでよいのか、すぐには分からなかったので。ちなみに、新聞は裁判官のことを「判事」と表記しています。「最高裁判所判事」、「判事」、「判事補」というのは、わが国の裁判官に付された官職名だと思うので(裁判所法5条)、これを外国裁判所の裁判官に用いるのは、きっと誤っていると思います。ところで、裁判所法5条によれば、最高裁判所長官は「最高裁判所判事」ではありませんよね。なんか不思議ですね。

 3.選択的夫婦別姓制度を導入するための法案が千葉法務大臣と福島国務大臣(男女共同参画社会担当)との連携により、来年度の通常国会に提出されるような報道のあと、民主党内で慎重論もある、と報道されました。二人の大臣の「勇み足」だったのでしょうか。

 一方で「個人の尊重」を謳いながら(13条)、他方で「家族」という主体を想定している(24条)憲法からすると、家族の「姓」が自己決定の対象であるのかというところが論点でしょうか。また自己決定の対象であったとしても、それを制約する合理的理由があるか、という点も考えなければならないと思われます。この点については1993年に東京地裁が夫婦同姓制度について、主観的には夫婦の一体感を高める場合があり、客観的には利害関係を有する第三者に対し夫婦である事実を示すことを容易にするので、合理的理由があるとする趣旨の判断をしています。このことも考慮にいれなければならないでしょう。

 ということで、新聞をみて思ったことをつらつら認めてみました。

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