嘘の効用 上
熊本にも♪「粉~雪~」。
年末年始の帰省中にもう1冊、読みかけていた本を読了しました。末弘厳太郎の『嘘の効用 上』(冨山房百科文庫、1988年)です。ある先生が学部1年生ゼミの課題にしているのを知り、帰省の鞄に忍ばせていました。
原典は大正年代のものもあり、若干、読みにくさもあるのですが、会話体で書かれているところなどは、読みやすかったと思います。またその会話もウィットに富んでいて、楽しめます。
印象に残ったところを引用すると、まず学者の役目について、つぎのようにいいます。
「学者の役目は、裁判所や立法者と協力して、一方においては、現在の法律はかくかくのものであるということを一般国民に示してその拠るところを知らしむるにある。であるから、できるならば、所謂学説の数を減らすことをひたすら心掛けてこそ、立派な学者である。・・・いたずらに小智恵にとらわれて末節にのみ走り、積極説、消極説に次いで折衷説、更に第四説、第五説を生み出すごときに至っては、全く法律家のまさに執るべき態度を踏み違えたものと言わなければなりませぬ」(9頁)。
うぅ~、痛いことを言われてしまいました。講義中に通説批判ばかりしているわたしにとっては・・・。
でも教師の意をくむつぎのような痛快な記述もあります。
「試みに、今の学生を見よ。小学一、二年生の溌剌たる自己表現性は、年を経るに従って漸次に消え失せる。先生の質問にむかって『先生!先生!』と声高に先きを争うて答をなさんとするあの活き活きした子供の意気は、最早中学生においてこれを発見することはできぬ。いわんや大学生においてをやである。彼らは一般に先生の質問に対して自ら進んで答えようとはしない。『おれは知っている、しかし答えようとは思わない、それはあまりに子供らしい、誰か答えればよい、そうして間違えればよい、そうしたら思う存分笑ってやろう』。学生の多数は、通常の場合、かくのごとき顔つきをして先生の質問に対するのである。『教える』ということは『習う』ということと相対してのみ意味を持つ。果してしかりとすれば、かくのごとき学生にむかって完全なる教育を施し得ないのは、もとより当然。今の世に教鞭をとる人々、たれかこの嘆なき者があろうか?」(161頁)。
ゼミをやっても発言は少ないですよね~。わたしの聞き方、教え方にも反省すべき点が多々あることを重々承知しながらも、もうちょっと、もうちょっと、と思うのですが・・・。
ただ大学人として、つぎのことは肝に銘じて、今後の糧としようと思います。
「『大切なことの一つは、学生が何かを尋ねたとき、先生自らの知らぬことは潔く知らぬと明答すること。他の一つは学生が誤りたる答、愚かなる答を与えたとき、決して笑ってはならぬ、他の学生にむかって笑うべき機会を与えてさえもならぬということである』。学生は習うのである。先生の質問にむかって常に必ずしも正しき答を与えないのは当然である。彼らが間違えたとき、なぜそれがおかしいのか?先生はよろしく百方苦心して種々の方面より質問を重ねた上、終に学生自らをして正しき答をなさしむべきである」(162頁)。
そうなんですよね~。分かってはいるのですが、これが難しいんですよね~。
最後にこの本は「近代社会が特に法学的の訓練を受けた人間を大量的に必要とする」理由、すんわち“法学部の存在意義”という注目すべきことについて、要約するとつぎのようにいいます。
①近代社会における官庁や企業といった組織では、「すべてがあらかじめ定められた行為規範によって秩序正しく行動することが要求される」(351頁)。その組織内部での行為規範というのは、法律的でさえある。
②資本主義的経営は、合理的資本計算によってのみ、成り立つ。行政・司法といった国家機能も、あらかじめ定められている規範によって予見可能下においてのみ、遂行可能である。「法治主義的の司法や行政に信頼してのみ近代資本主義的の経営は可能」となる(同頁)。
③「団体と団体の関係、人と人との関係も、すべてあらかじめ定められた法規範によって『結果を予見し得るように』規律されていることが必要」。「かかる法的保障あるによってのみ、故人の行動の自由とそれを基礎とした民主的社会秩序とが成り立ち得る」(同頁)。
④このような法的秩序は「特に法学的の訓練を受けた専門家がその運用に当たることが必要」(352頁)。なぜならが「いかに精密な法規範体系を用意しても、それの自動的作用のみでは法秩序の円滑な運用を期することはできない」。「法には一面、機械のように正確な規整作用を行う」面があるかれども「同時に個々の場合の具体的事情に応じて具体的に妥当な処理が行われなければ、全体として円滑に動かない面を持っている」(同頁)。
そして結論として「だから、裁判所はもとよりその他の官庁や企業団体等にも、必ずかかる具体的処理を担当する専門家が必要であ」る。
法学部で教育を受けた「専門家」によってのみ、社会の「法の機能は円滑に動く」(同頁)。末弘先生によれば、これが全国各地に法学部がある理由であり、そのような「専門家」(これは法曹三者という意味ではなく、法学部で教育を受けた「法的思考力をもつ者」という意味でしょう)を育てるのが、その法学部の役目である、ということでしょうか。
法学部に来たからといって、LSに進学する人は、少なくとも勤務校では多数派ではありません。では、法学部の役割は・・・。このような疑問をもっていたわたしに、末弘先生の『嘘の効用』は、思考の手引きを与えてくれる本でした。
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