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2010年2月

2010年2月28日 (日)

一般誌で憲法学。

 はれました。陽気も温暖です。

 スピードスケート女子団体「追い抜き」での銀メダル獲得、おめでとうございます。それにしてもメダルは補欠の方には与えられないのでしょうか?

 話は変わりまして、憲法理論については、法律専門誌だけでなく一般誌や他分野の専門誌で扱われることもあります。法律専門誌の場合は、解釈論が意識されている場合が多いのに対して、専門誌以外の場合にはそれがなく、法学嫌いの人でも意外と興味をもって読むことができる場合があります。

 そんな論文のひとつとして、日比嘉高さんが『思想』2010年3月号に書かれている「プライバシーの誕生」があります。

 副題を「三島由紀夫『宴のあと』と文学、法、ゴシップ週刊誌」とするこの論文で、日比さんは、「宴のあと」訴訟の原告の狙いを、「プライヴァシー」という新奇概念を法理論として確立しようとしたことにみます。そして、当時の「肥大化するマスメディアとその暴力性の問題」(54頁)を論点に据えることに成功したことが、原告の勝因であるとします。

 またモデル小説の「虚実の入り交じった記述」(63頁)が「読者の能動的な想像力」(61頁)により小説内の人物を実在の人物と結びつける「危険性」(63頁)が裁判では認定されたといいます。

 さらにこの「人の想像力の前には『公私の区別』が究極的には成り立た」ないので「プライヴァシーの境界はつねに侵犯の危険にさらされざるをえない」ということを、「宴のあと」訴訟は明らかにした、と分析しています。

 日比さんは日本近代文学・文化論を専門としている方のようです。法律解釈論に疲れた方には、文学理論に基づく判例分析というのも、興味深いのではないでしょうか。

 もうひとつ、今度は一般誌『世界』の2010年3月号に、小泉直樹さんが「グーグル・フェアユース・表現の自由」という論文を掲載されています。

 この論文で小泉さんは「日本版フェアユース」(最近では、米国版のものと区別するために「権利制限の一般規定」と呼ばれているようです)や、このブログでも紹介したことがある「3ストライクアウト法」を紹介するなかで、憲法が保障する表現の自由と著作権の「衝突」について、簡便に述べられています。

 小泉さんは著作権法学者です。専門家による一般誌での論文は、その問題の検討をはじめる道しるべを提供してくれます。

 学年末のこの期間、法学部生のなかには法学科目の「洗礼」を浴びて、政治学などへの方向転回を考えている人もいると思います(それはそれで、よいのですが・・・)。でも解釈論だけではない法的問題の見方というのもあるのです。解釈論に疲れた方も、一般誌・他分野のものなどをちょっとみて、今度は法的問題を多角的に見てみてください。

2010年2月24日 (水)

獄中記

 もう春でしょうか。温暖な日が続いています。

 沖縄では佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年)を読みました。いつか読もうと思って購入したまま本棚に置かれていたものをようやく読むことができました。そうこうしている間に、本書は文庫化され、安価での入手が可能になっています。ハードカバーを購入しておきながら読まずにいて、後に文庫化されてから読むという経験、何度もあります。なんとなく損した気になるのは私だけでしょうか。(「私だけ・・・」といえば、だいたひかるさんは、お元気でしょうか?失礼しました)。

 本書の著者、佐藤優さんの肩書は「起訴休職中外交官」。テルアビブの国際学会に関する背任容疑および国後島のディーゼル発電事業に拘わる偽計業務妨害の疑いで逮捕・起訴されています。本書では、その佐藤さんの東京拘置所での勾留生活が綴られています。

 本書で佐藤さんは、鈴木宗男代議士および佐藤さん他の外務省職員に関する逮捕・起訴を「国策捜査」であるとします。ただ「国策捜査」の必要性を佐藤さんは否定しません。時代が「ある時代」から「つぎの時代」に転換を遂げるために、それは必要とされることもある、といいます(56頁)。この時代の転換を、佐藤さんは往時の国家政策(公平配分型社会を目指していた。鈴木宗男さんもこれに与していた、と本書はいいます)から新自由主義政策(小泉さん的)への転換と捉え、この移行過程で、本件一連の「国策捜査」が必要であった、というのです。「国策捜査」とはどのようなものであり、それがなぜ司法機関によって担われているのか、ということについては、是非、本書をお読みください。佐藤さんの見解によれば「司法の中立性」は擬制に過ぎないことになります(86頁を参照してください)。

 「国策捜査」に関する佐藤さんの見方も興味深いものなのですが、わたしが注目したのは、なんといっても拘置所における佐藤さんの勉強(読書)生活です。佐藤さんは、自らに対する捜査がなぜ行われたのか、それを「国策捜査」と位置づけた上で、その適否を裁判過程のなかでどのように「思考する世論」(この表現は本書で何度も出てきます)に問うていくのかの戦略を得るために、ハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』や『認識と感心』、ヘーゲルの『精神現象学』などを読み進めます。どうも拘置所というのは勉強・思索によい環境が整っているようです。40歳をこえた段階で511泊512日という勉強期間を得たことは(実際には最初の100日ぐらいは取り調べなと煩わしいこともあったようなので、集中できたのは400日ぐらいのようですが)、今後の人生を大きくステップアップさせる礎になるのではないでしょうか。大学院を出てからいままでそういう時期を持てないでいるわたしにとっては、むしろ羨ましささえ感じます(笑)。

 ところで、本書は拘置所での生活がどのようなものであるのか、についても詳しく記されています。たとえば、未決拘留者が所持できる本の冊数(書籍・雑誌は3冊まで、辞書・学習書などについては許可を得て7冊まで、計10冊)とか、9時・15時のコーヒータイムで生活・勉強のメリハリがつくとか、拘置所内でも季節を感じられる(夏にはアイスクリームが楽しめる)など、興味深い情報が端々に散りばめられています。また、時計がないため時間が分からないとか、鏡はないなどの豆知識まで。

 どうやら囚人は食事に強い関心をもつようで、食べものに関する記述も満載です。東京拘置所の食事を、佐藤さんは高く評価しています。正月には豪華なお節料理もふるまわれるとのこと。またまた羨ましい・・・。

 さらに朝7時のNHKラジオニュースが検閲後、12時から放送されている(12時のものは検閲後、19時に流される)とか、差しいれられるハーバーマスやヘーゲルの本も、検閲されるという「検閲ネタ」も興味深いものでした。広辞苑も検閲を受けるようで、佐藤さんは「二週間ぐらいかかる」と予想しています(46頁)。検閲官も大変ですね・・・。

 ということで、本文502頁にわたる本書の内容は、大変刺激的なものでした。佐藤さんはこの本で国家、国益の維持・獲得にとって、いかに「諜報」(インテリジェンス)が重要であるかということも説いています。本書は、その意味で、外交官を目指す人におすすめの一冊です。

2010年2月23日 (火)

沖縄で社会見学。

 快晴ですね~。

 きょうも沖縄ネタで。先週末の帰省では「社会見学」をしてきました。妻の実家の近くのスパ、「うちな~ゆ」で“ぐて~っと”していただけではありません。

 見学先は那覇市真地にある沖縄県病害虫防除技術センターということろです。

Photo 建物にある←このマークが目印です(といっても、大通りからは見えません)。ここは沖縄の害虫根絶事業の「基地」です。

 ここを見学した切っ掛けは、小林照幸さんの『琉球弧に生きるうるわしき人たち』(岩波書店、2004年)のなかで、「ウリミバエ根絶事業」が紹介されていたことにあります。

 ウリミバエは、もともとは沖縄の在来種ではないのですが、大正期に八重山群島に侵入して以来、沖縄諸島に蔓延してしまった害虫です。沖縄本島では昭和47年にはじめて確認されたようです。このミバエ、ゴーヤーやマンゴーなどに多数の卵をうみつけます。したがって、このミバエが根絶される1993(平成5)年まで、沖縄のゴーヤーやマンゴーなどは、持ち出し禁止でした(検疫を通過する必要があった)。

 このミバエの根絶事業がこのセンターで行われていたのです。根絶方法は、コバルト60の照射による「不妊ミバエ」をヘリをつかって大量に散布し徐々に野生種を減らしていくという根気のいるものだったそうです。根絶まで約20年の歳月が費やされました。

 ところでウリミバエの根絶、わたしが在沖していたときにも話題になりました。この施設自体の存在は知らなかったのですが、今回ここに行ってみようという切っ掛けを与えてくれた小林さんの本にはつぎのようにあります。

 「唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄に、放射能施設があるのが興味深かった」(161頁)。

 ほんとに、そう思いました。子連れだったので「工場」(不妊ミバエ生産工場)を隈なく見て回るというわけにはいきませんでしたが、それでも放射能の平和利用により「野菜と果物の本土復帰」(同頁)を果たした先人の偉業に触れてみたかったのです。

Photo_2 というわけで、これは根絶の記念碑です。まだまだ再侵入には警戒がいるようです。いまでも「トラップ」をかけて、定期的に「人工種」ではないミバエの有無を検査しているとのこと。季節になると沖縄の実家からゴーヤーやらマンゴーなどをもらえるのも、「根絶事業」に従事した先人のお陰だということを深く感じた「社会見学」でした。

2010年2月22日 (月)

ぜんざい。

Photo_3 那覇空港にある、その名も「ぜんざい屋」で、黒糖ぜんざいをいただきました。

 沖縄でぜんざいといえば、かき氷にお汁粉がかかっています(←この表現は、適当でないかもしれません。が、まぁ、そんな感じです)。したがって、「お汁粉」部分は温かいこともあるのですが、ここのは冷たいものでした。「お汁粉」のようなものなので、白玉がはいっています。

沖縄で食べたもの。

 晴れました。気温も温暖です。

 先週末は沖縄に「帰省」しました(妻の実家です)。沖縄ですが、意外と寒かった~。

Jacks 空港に着いたその足で、那覇市西、沖縄ポートホテル裏にある(昔は不二ホテルだった)、ジャッキー・ステーキに行きました。沖縄では有名なステーキ店で、かれこれ20年ぶりぐらいに行きました。

 食したのは、テンダーロインのMです。Photo A1ソース(沖縄でステーキといえば、これ)でいただきました。なんか、懐かしささえありました。

 といっても、ステーキは沖縄の食べものではないでしょうが。

Aw_1  さらに、A&W に行きました。これは名護店です。A&W は、ハンバーガー・ショップです。これまた、沖縄では有名。通常「エンダー」と呼ばれています。何度もいったことがあります。試験前になると、徹夜で勉強したりします。沖縄のファースト・フード・ショップは、大抵、24時間営業なので。牧港にあるモスやマックが、試験勉強ではよく利用されています。

Aw_2  ちなみに、商品はこんな感じ。A&W は「ルート・ビア」(もちろん、ノン・アルコール)という飲み物が有名です(お変わり自由)。ただわたしは、あれだけはどうしても飲めませんでした。なんとなく、薬草ちっくな飲み物なので・・・。

 画像左下にポテトがあります。わたしは、ファースト・フード店のポテトのなかで、A&W のものがいちばん美味しいと思います。ちなみに、あとから持ってきたので映っていませんが、沖縄では、ポテトにケチャップを必ずつけます。はじめは、え~、と思っていたのですが、いまではケチャップなしでポテトを食べるなんて・・・と思います。ポテトにケチャップはつきものです。

Photo_2  もちろん今回も、ひーじゃー汁をいただきました。ひーじゃーとは山羊のことです。山羊は、沖縄では、ひーじゃーといいます。ベーベーも山羊を指しますが、これは赤ちゃん言葉とのこと(ちょうど犬のことをワンワンというようなもののようです)。この臭いを嫌う人は、沖縄の人でも山羊汁を食べられない人もいるので、これを食べられれば「旅の人」としては及第点というところでしょうか。

 今回は、沖縄と言えば・・・という、オーソドックスなところを紹介しました。

 ※愛用のデジカメが故障してしまい、携帯のカメラで写しています。画像が不鮮明なのが残念・・・。

2010年2月17日 (水)

しばしの一人暮らし。

 ちょっと、曇っています。

 日曜日から久しぶりに一人で暮らしています。学会等でわたしが家を空けることは多かったのですが、わたしがお留守番は、何年かぶりだと思います。

 一人暮らしはいいですよね。家は静かだし、好きなものを食べれるし。ただ、洗濯はめんどくさいでしょうか。短期間なので、掃除なんてしませんし・・・。まぁ、気ままなものです。

 でも、今日の会議に出た後、明日からわたしも帰省です。南国とはいえ、2月はそれなりに寒かったような・・・。遅ればせながら、わたしも沖縄でキャンプインです。

2010年2月14日 (日)

Active Liberty

 くもりです。寒さが戻ってきました。それにしても上村さんは惜しかったですね。オリンピックという大舞台で、何回も安定した成績を残すことは非常に難しいと思います。7位、6位、5位、そして4位という成績は、世界トップといってもいいのでは。

 はなしは変わって、今日は、Stephen Breyer, Active Liberty:Interpreting Our Democratic Constitution, Vintage Books, 2005. を紹介します。

 著者の Stephen Breyer (1938~ )は、クリントン政権下で任命された(1994年)、現職の合衆国最高裁裁判官です。レンキスト・コート下で、レンキスト首席裁判官やスカリア裁判官といった「保守派」に対立したいわゆる「進歩派」の代表者です。

 本書の「Active Liberty」という題名に込められた意味あい、それが本書を理解する肝でしょう。それは「古典的自由」(コンスタン)や「positive liberty」(バーリン)に対比する概念で、人民を「自己統治」の主体と捉える術語です。この自己統治の概念を憲法および制定法の解釈方法に関連させて提示しようというのが本書の内容です。

 この視点から見たら、ブライヤーが司法に謙抑性(司法ミニマミズムと言ってもよい)を求め、連邦議会の立法に敬譲を示したことがよく理解できます。連邦議会による立法こそ、人民の意思が体現されたものなのですから。

 本書は注や index を含めてもB6判で160頁あまり、日本円で1300円程度で購入可能なので、政治献金規制やアファマティブ・アクションを肯定する「民主党的」(もちろんかの国の)政策と裁判所の判決の関連性を簡便に理解することができる1冊だと思います。

 (なお本書については、日米法学会の学会誌『アメリカ法』2007-2に、岸野薫さんによる解説があります)。

 バレンタインデーのきょう、妻は娘を連れて実家に帰ってしまいました。といっても、単なる帰省です。(だといいのですが・・・笑)。

2010年2月11日 (木)

いまこそ『資本論』

 風雨の強い一日になりました。建国記念の日ですが、午前中に定期試験に関する業務が割り当てられていたため、出勤しました。

 定期試験に関する業務というのは「教務委員待機」というものです。この業界にいる方ならなんのことかお分かりでしょうが、定期試験中になにかあった場合に対処する業務ということです。奥歯に物が挟まったような言い方ですが、ようするに「不正行為」があったときに、事情聴取等の対応をする業務です。でもその発生件数はごく僅か(でないと困りますが)なので、事実上、研究室にいるだけです。ということで、研究室では週明けの修論審査のため、修士論文を読んでいました。

 修論を読み終えてさらに時間があったので、嶋崇『いまこそ「資本論」』(朝日新書、2008年)を読みました。

 嶋崇さんは雑誌編集者のようです。『資本論』専門家ではない方による入門書、実に分かりやすいものでした。

 嶋さんが『資本論』に注目する理由、それは「まえがき」冒頭に書かれています。

 「『誰もがヒルズ族になるチャンスがある!』などの言葉に踊らされてみたものの、現実にあるのは、アルバイトや派遣の仕事ばかり--。いったい今の世の中はどうしてこうなんだ?僕たちはどうすればいいんだろう?と考えている人に、再度注目してもらいたいのが『資本論』です」(3頁)。

 本書を読むと、なぜ資本主義だといまのような経済状況が生まれるのか、よくわかります。資本家というのは「特別剰余価値」(賃金を抑えることで利益=剰余価値を得るだけでなく、商品生産コストを下げることで得られる他者とのコスト差からの剰余利益)を求めるもの。だからそれを得るための手段、たとえば「中間搾取制度」(終身雇用をやめたり、派遣労働者を雇ったり)をとろうとしたり、大資本は小資本を吸収しようとしたりするようです。これ、いい悪いは別にして、資本家にとってはそれが合理的思考で、資本主義とはそのことを許す経済メカニズムということです。

 この資本主義にとっての脅威が社会主義でした。本書の解説者・村串さんは、つぎのおうに言います。

 「資本主義の暴走を許した大きな理由は、社会主義の崩壊である。・・・20世紀の初頭におきたロシア革命は、資本主義陣営を恐怖におとしいれた。資本主義陣営は、労働者に妥協し、労働組合の権利を拡大したり、社会保障制度を確立して、労働者の労働・生活条件を大幅に改善した。また経済政策では、独占的大企業の横暴をおさえる独禁法を制定し、資本主義の暴走を自制し、資本主義の延命に努力してきた」(212頁)。

 村串さんによれば、資本主義の暴走を制御していたのが社会主義で、その制御装置がなくなったあとに訪れたのが今日の社会状況であるというのでしょう。

 ただ社会主義が正しくて資本主義が誤っているというのでありません。村串さんのつぎの言葉は非常に重要だと思います。

 「それぞれの経済学は・・・あらかじめどれが正しくて、どれが間違っていると客観的に決めつけることができない。いずれの経済学、あるいは何らかの経済学にもとづく一定の経済政策は、国民の選択にゆだねられているわけで、経済学というものは、そうした政治的な選択にまかされるものなのである」(216頁)。

 ここでもわたしたちに負わされている役割は重要のようです。

 本書は1冊で文庫本13冊にも及ぶ『資本論』を解説するもので、わたしでも理解可能な入門書でした。お奨めの1冊です。

2010年2月 9日 (火)

クリエイティブ・コモンズ

 朝の雨もやみ、暖かくなっています。本当に2月上旬でしょうか。春のような気候です。

 定期試験の採点、成績評価・入力も終わり、一応、春休みというところでしょうか。それでも、春はなにかと忙しいですね。

 それでもちょっとだけ空いた時間をつかい、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン編『クリエイティブ・コモンズ デジタル時代の知的財産権』(NTT出版、2005年)を読みました。

 おぉ、赤いカバーなのですね。研究室の本なのでカバーはないもので(剥いだら、真っ白です)。

 現行の著作権制度では、著作物利用に関する権利は、すべて著作者がもちます(All Rights Reserved)。クリエイティブ・コモンズの運動は、この著作者がもつ著作権について、著作物の利用許諾条件をあらかじめ作者に決めておいてもらい、それを共通のマークで表示することで、作者が利用者に対して初めから共有を認めるようにしておくよう求めることに特徴があります。つまり、All Rights Reservedを「いくつかの権利は留保されています(Some Rights Reserved)」とするその条件をあらかじめ誰にでもわかるようにしておけば、著作物の利用が容易になり、さらなる創作活動の誘因となるであろう、というのです。実際にどのようなマークでどのような内容を表示しようとしているのかについては、本書またはクリエイティブ・コモンズ・ジャパンのHPをご覧ください。

 このクリエイティブ・コモンズの運動は、アメリカの憲法学者であり情報法学者でもある、ローレンズ・レッシグの提唱にはじまり、本書を編集したクリエイティブ・コモンズ・ジャパンがわが国での活動拠点となっているようです。わたしは昨年の11月に同志社大学で、来日したレッシグ先生のご尊顔を拝することができました。講演も、Web上にある「コモンズ」を利用した、非常に楽しいものでした。

 さて本書は、レッシグ先生提唱の運動をわが国に根づかせようとする試みを紹介したものです。規約の翻訳やFAQの作成など、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン立ち上げの様子が描かれています。ただ事は著作権法の解釈・適用とも関係するので、たとえば弁護士法との関係で、気をつけなければならないこともあり、苦労する場面もあるようでした。

 ようやく著作権感覚、権利保護意識が根づき始めたわが国で、この団体の運動は非常に有意義なものだと感じました。

 

2010年2月 8日 (月)

ダンス発表会。

 はれています。またまた暖かい一日です。

Cimg2619_2

 きのう、娘の幼稚園が出場するということで、大江の県立劇場で開催された「熊本県学校ダンス発表会」にいきました。撮影不可のため、垂れ幕だけです。

 昨年も観に行ったのですが、昨年は出遅れて2階席しかなく娘の方が探しきれなかったでの、今年は並んで3列目に陣取りました。年中になった娘にも少し余裕ができてきたようで、壇上から父・母を見つけ、かるく手を振っていました。わが子の成長は早いものです。

 この「ダンス発表会」は幼稚園児から大学・一般の団体まで参加するのですが、プログラムの最初に幼稚園児の演技があり、そのために父母が(ときには一家総出で)前の良い席に座っています。ただ演技が終わるとその場で解散・お迎えとあるので、前の良い席がガラッと開いてしまいます(といっても、わたしも帰ってしまうので、ガラッと開いた光景は想像に過ぎませんが・・・)。なんとなく、申し訳ないですね。でも子どもが帰りたいというもので・・・。

 おっと、これから定期試験の監督です。大学院の授業もきょうで終了の予定です。あとはきょうの定期試験の採点だけ・・・って、それが大変なのですよね~。

2010年2月 6日 (土)

超訳『資本論』

 はれ!暖かいよ。

 不起訴とか引退とかいろいろあった一週間でした。そんななか、的場昭弘『超訳「資本論」』(祥伝社新書、2008年)を読みました。

 大学院のときの先生が、アメリカでは三大社会科学者として、マルクス、ウェーバー、フロイトがあげられると言っていました。前二者は納得いくのですが、フロイト(?)と思ったことを記憶しています。きっとフロイト放った影響は、社会科学にとっても、大きかったのでしょう。なんとなく最近では、眉唾物のようでもあるようですが・・・。

 ところで、ウェーバーやフロイトは少し読んだことがあります。たとえば、『プロ・リン』、『職業としての学問』や『精神分析学』、『夢判断』などは大学生のときに読みました。ただマルクスだけは、その重要性を意識しながらも、なんとなく遠ざけてきました。そのときの自分に必要なかったのでしょう(レポートを書いた記憶もありませんし・・・)。

 そういうわけで、わたしのマルクス知識、マルクス理解は、中等教育で止まっています。これでは恥ずかしいと思い、とはいっても『資本論』を初めから読むのは・・・と思ったので、とりあえず本棚にあったこの本を手にしました。

 著者の的場さんは、今の時代だからこそ、『資本論』が読まれるべきだといいます。でも、いきなり『資本論』というのも酷なので(よくわかります)、その入門的解説書をつくったとのこと。ありがたいことです。本書には、『資本論』第1巻の主に後半部分のエッセンスが解説されています。また、章・節は『資本論』のものに対応しているので、つぎに実際に『資本論』を読むときにも役に立ちそうです。『超訳「資本論」』は3分冊で『資本論』を解説しています。

 的場さんは「はじがき」で「この本をきっかけにして、人類への温かい贈り物である『資本論』を読まれる方が増えることを切に祈る次第です」と記しています。的場さんにここまでいわせた『資本論』を、近いうちに読んでみたいと思います。

 マルクスのことを知らないなんて、ほんと社会科学者としては恥ずかしいですよね。

2010年2月 3日 (水)

林家正蔵・壱

 はれました。

 修論審査の準備も整ったので、8代目林家正蔵さんの落語でリラックス。

 最近、6代目三遊亭圓楽さんの襲名が話題になりましたが、この8代目正蔵さんは、3代目の圓楽さんです。また江戸期から続く大名跡の林家正蔵は、海老名家のもので、初代三平さんからこの正蔵さんが借り受けていたものを、三平さんの死後、海老名家に返上したことは有名な話ですよね。8代目正蔵さんは、その後、林家彦六を名のっています。また9代目の林家正蔵さんは、かつて林家こぶ平を名のっていたことは、記憶に新しところです。

 ところで、きょう聴いたのは「中村仲蔵」、「鰍沢」、「あたま山」の3話です。サスペンスものの「鰍沢」、ナンセンスな面白さで無条件に笑える「あたま山」もいいのですが、「中村仲蔵」は賢妻のいい話です。

 歌舞伎役者の仲蔵がようやく「名題」という最高位についたのに、ついた役がせいぜい「名題下」が演じる役(斧定九郎)。悔しがる仲蔵にその妻が、「いままでにないいい定九郎を演じて」と声をかける。その期待にこたえようと仲蔵は発奮します。発奮し精一杯、定九郎を演じるのですが、どうも聴衆からは期待した反応がない。これは失敗したと思い、修業しなおそうと上方へ向かう途中で、仲蔵は、自分の演技を評価してくれる声を聞きます。仲蔵は「広い世界でたった一人でも自分の芸をわかってくれる人がいた」と思い、このことを感謝の気持ちとともに妻に伝えようと、自宅に帰えったら、そこには座長・師匠の使いが来ていて、仲蔵の定九郎をほめてくれる。そのことの感謝を妻に・・・という話です。

 正蔵さんの奥さんも賢妻であったとのこと。落語家や役者、それからプロスポーツ選手の奥さん、家族というのは、いろいろ大変でしょうね。学者の奥さんはどうでしょうか・・・。学者といっても、大学人は、普通のサラリーマンですからね~。

 ところで、きょうは、所属している大学院の研究科長選挙があります。どこの組織でも「長」のつく職、また最近では「理事」の選挙でもいろいろありますよね~。そういうわけで、これから「一門会」です(笑)。

2010年2月 1日 (月)

マルチメディア社会の著作権

 雨が降っています。

 先週末には修論審査準備の傍ら、研究室にあった『マルチメディア社会の著作権』(慶應大学出版会、1997年)を読みました。

 著作権法は、その実務的な事柄について解説する書物が多い中で、「著作権」という概念そのものにスポットライトをあてている書物があまりありません。本書はそういった状況のなかでは異色の本だと思います。

 とくに全篇を通じて、著作物を相手に知らせる行為のところに焦点をあてて、この行為をめぐる法的問題を検討しているところに本書の特徴があると思います(このことを著者たちは「アウトプット論」と呼んでいます)。

 「アウトプット論」と従来の著作権法理論との違いについては今後の検討課題でしょうが、それでも従来の著作権論とは違う考え方(コンセプト)を示そうとした試みは高く評価されてよいと思います。

 今週から定期試験がはじまります。定期試験を受験される方も、監督・採点される方も、季節がら、どうぞご自愛ください。

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