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2012年6月17日 (日)

今週末の読書。

 軽く雨が降りました。

 今週末は、次回の2年生ゼミの課題が、J・S・ミルということで、『自由論』(岩波文庫)を中心に読書しました。

 ミルの『自由論』(On Liberty)といえば、ご存知の通り、近代憲法の基盤にあるリベラリズム思想を余すことなく展開した本です。

 とくに、各人の自由を制限することができるのは、他者の権利・自由を侵害するときだけであるとする「他者加害の原理」は、国家のパターナリズムを警戒する法理論として、現在でも多くの憲法学者に支持されています。また「内面/外面」区分論を否定し、内心における思想の自由は、その表出の自由まで含んでいるという彼の自由論も、現在の憲法学の理論的基盤を提供していると思います。

 そのなかでも、とくにわたしが好きな彼の理論は「愚行権」論です。「愚行権」とは、その名の通り、愚かな行いをする権利のことです。ミルは、自由の制約論拠を「他者加害」だけであるとしていたので、誰にも迷惑をかけないなら、わたしたちは、それがたとえ“愚かな行為”であっても、当該行為をする権利がある、と説いています。親や先生の言いつけを守らなかったり、ときに「有害図書」に触れながら、わたしたちは、こうして立派に育ってきました。仮に「愚行」をきっつく禁止されていたなら、こうした“立派な大人”になれなかったのでは・・・(禁止されていたら、もっと立派だったのでしょうか・・・)。

 ときに国家は、わたしたちの選択・決定を拘束します。たとえば、稼いだお金を全部使ってしまってはあなたは将来困るでしょう、といい、国営の年金制度に加入させたり・・・。そうすれば、預かったお金をわたしたち(国家)が有意義に運用して、将来のあなたの生活を安定させます、と。そして、現在のお年寄りのためにも、役立てますと。国営年金制度は、わたしの老後というよりも、世代間の所得再分配政策なのでしょう。

 稼いだお金の使い道を、なぜ、わたしが決めてはいけないのでしょうか。国家運営のために、一定の税金を納めなければならないのは、わかります。自由も制度的なものなので、この自由を守る制度を提供する資金は必要でしょうから。ところで、残ったお金は、なぜ、いま、好きなように使っていはいけないのでしょうか。マンガを買ったり、高級車を買ったり、ときには“いかがわしいサービス”を購入したり、そして、子どもに投資をしたり、実家の親に仕送りをしたり・・・。やっぱり、それでは将来、あなたは困るでしょう、と国家は言います。でも、わたしの将来のことは、わたしが一番、心配しています。

 「ミルなら、どう見る」のでしょうか。なんて、おやじギャグでした。

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