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2014年8月

2014年8月31日 (日)

読書脳

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 ちょくちょく読んできた、立花隆さんの『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』(文藝春秋社、2013年)を読み終えました。

 本書は、立花さんと東大図書館副館長・石田英敬さんによる「読書の未来」と題する対談と、立花さんの「週刊文春」で連載「私の読書日記」の2006年12月7日号から2013年3月14日号までを収めたものです。

 立花隆さんと言えば、稀代の蔵書家で、その書棚の様子は、このブログでも紹介したことのある『立花隆の書棚』(中央公論新社、2013年)で窺うことができます。

 わたしも立花さんを目指して本を読んだり、買ったりしていますが・・・。規模が違いますね。一方は「知の巨人」、他方は「知の凡人」(笑)。それでも、立花さんにあやかろうと、『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫、1999年)に引き続いての「書評集」を読みました。

 それにしても、立花さんの読書は凄いですね。羨ましい限りです。『読書脳』での対談にもあるように、

 「何かものを考える上で、いまでも本は重要だと思いますね。結局、『考える』という行為は頭の中で言葉を並べていく行為ですから、言葉を並べることで著者の思考過程を伝えるメディアである本を読むことが考えるのにいちばん役に立ちます。『書き言葉』の使い方を学ぶのにも本を読むことがいちばんです。」(15頁)

 とあります。本当、そうだと思います。読書の少なさ、常に身にしみます。その立花さんでも、

 「社会に出て一番感じた変化は、本を読む時間がこれほど減るのかということでした。・・・ ほんとに学生時代と社会人になってからでは、本を読める時間が全然違いますね。」(33頁)

 と言っています。そうなのでしょうね。「社会人」になったことのない(笑)わたしは、少ないながらも、学生時代と同じくらい・・・とまではいきませんが、読書を心掛けています。といっても、仕事のためのものが、ほとんどですけどね。読書は、やっぱり、仕事とは関係ないものが面白いですね。「面白い」からこそ、仕事ができないのですが・・・

 ということで、『読書脳』で紹介されている本、読みたいな~と思うものには付箋をつけたのですが、きっと読めないでしょうね。なんて言っては身も蓋もないのですか。

 ところで、皆さんは、本にどのくらいお金を掛けていますか?立花さんの『ぼくはこんな本を読んできた』には、「まずは金を使う」という小見出しの下、こんなくだりがあります。

 「私はまず大金を持って神田の書店街にいく。・・・“大金”というのは、私の生活水準からすると、3万円ぐらを意味する(1975年当時)。必ずしもこれで全部本を買ってしまおうというのではない。3万円持っていれば、1万5000円ぐらいまでは気軽に使える。欲しい本を前にしてケチらないですむように、懐は必要以上に暖かくしておいたほうがよい。」(67頁)

 わたしも人並みには本を買っていると思いますが・・・。そういえば、長野市出身ということで勝手に私淑している作家の日垣隆さん本にも、娘にはお金に制限なく本を買ってあげている、というところがありました。

 やっぱり当代、名のある人は蔵書家なのですね。

 

2014年8月30日 (土)

そして、月末。

 もう夏も終わりかと思っていたら、きょうは、暑いsun

 前期の残務整理のあと、沖縄airplane、長野airplaneへと帰省し、先生の別荘tennis、今年はハウステンボスeventへといった8月も終わろうとしています。という感じで、両実家への帰省、合宿、旅行と過ごした8月。

 どうやら、娘の宿題pencilも順調に終わり、来週からの二学期bookが、無事、むかえられそうです。ですが・・・

 まだ、わたしの夏休みは1か月ありますscissorsscissorsscissors

 まぁ、9月になれば、学務も再開され、お付きあいの宴席bottlewineもあり、そして、21~23日には韓国の提携校訪問があり・・・ということで、それほどひまでもなのでしょうが・・・。それでも、まだしばらく、講義から離れて自分の時間がもてそうです。

 (おっと、非常勤先の講義が始まるはずだsign01いつからだろうかsign02

 休みだからと浮かれずに、心・技・体の充実を目指そうと思います。

 

2014年8月24日 (日)

「憲法答案の王道」。

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 ゼミ生が、以前「憲法は難しい」と言うのを聞きました。どういうことかというと「憲法は、答案を書くにあたって、豊富な知識が要求される」、「いわゆる知識、あるいは、いわば常識が問われる」ということなのです。わたしも、これ、その通りだと思います。

 これと同じことだと思うのですが、今月号の法学教室(407号、2014年8月号)の君塚正臣先生の「憲法演習」は、政教分離がテーマなのですが、その解説に「国による宗教利用、国教化(一神教的全体主義のための利用)の歴史については十分に考えておき、答案にも深慮が窺えるようにしたいものだ」としたあと、「そうしたものこそ憲法答案の王道ではあるまいか」と述べられています(135頁)。

 ゼミ生が言っていたのはこのことだと思います。判例を通して事例研究をし、また、基本書を読んで知識を整理したとしても、そのことだけでは、本当の憲法の力はのびない。あるいは、一定のところで止まる。憲法の事案をバランスよく解決するには、違憲審査基準や基本原理とともに、いままで生活してきた中で培われてきた知識、常識のようなものがいるのです。これらが憲法問題を考える中で昇華されて、リーガル・マインド(わたしは「憲法する力」と呼んでいますが)となるのでしょう。これ、一朝一夕に習得できるわけではないだけに、学生にとっては「難しい」と表現されるのでしょう。もしかしたら、講義を通して得られるものですらないかもしれません。

 もうひとつ、上の今月号の法学教室にある蟻川恒正先生の「起案講義憲法」は、先月号に引き続き、2014年の司法試験論文式公法系第1問を題材とするものでした。タクシー事業の参入規制に関する問題で、新規参入業者には様々な規制がされているのですが、そのひとつに「自然環境保護地域における道路および自然保護についての知識を問う試験に合格していること」というのがあります。この合憲性を検討するなかで、蟻川先生は「〔このような〕試験に合格することを要求するのは過剰な規制といえるが、試験によりタクシー運転者に自然保護地域との間に一層密着した関係を築かせることは、自然環境を話題とした観光客との会話を促進するなどの付随的効果をも産み、地域の持続可能な活性化にとっては有用である」とも考えられる、と解答されています。

 その適否は措いて、この下線のようなことを書くことが憲法答案には求められていて、それは、判例研究や基本書精読で得られる力ではない、とゼミ生は感じているのです。下線の部分を書くことは、まさに一朝一夕に会得できるものではないのです。だから「憲法は難しい」と感じるのでしょう。

 わたしの先生に「憲法は大人の学問」であると教えてもらいいました。憲法問題を考えるには、政治学、経済学といった社会科学はもちろんですが、哲学・思想、歴史学等の知見をもってあたらなければならない。それは、司法試験の問題のような、まさに憲法および下位法令の解釈適用が問われる場合でさえも、あてはまる。なんと奥深い学問なのでしょう

 こうした学問に身を投じることを生業にできるというのは幸せなことだと感じています。

 

 

2014年8月23日 (土)

永遠の0。

 sun。残暑お見舞い申し上げます。

 昨日、一昨日と、広島県旧吉和村にある師匠の別荘にいました。

 院生の頃からかれこれ15年ぐらい、夏になるとこの別荘で「合宿」しています。はじめは、テニスラケットやグラブの他に、ロー・レヴューなどももって、高原の涼しいところで、まずは勉強会して、そして、テニスして・・・という感じだったのですが、いつの頃からか、テニスとキャッチボールと薪割という感じで、今日に至っています。

 先生のライフスタイルをみて、いつかはこういう「豊かな」生活をしたいと思いつつも、まだ、官舎住まい。わたしの「人間の小ささ」はライフスタイルに原因があるのでは、とか思ったりしています。

 で、熊本からピックアップしてもらう広島までの新幹線の車中は、読みかけだった百田尚樹さんの『永遠の0』(講談社文庫、2009年)を読んで過ごしました。解説を含め、文庫版で600頁弱を書評する力はわたしにはないので、簡単なメモ書きを。

 本書は、本当の(血のつながりのある)祖父が別にいることを知り、しかも、それが零戦のパイロットとして特攻によって命を落としていることを知った姉弟が、その人物像を戦友たちの証言をもとに追っていく、というストーリーです。そのなかで、太平洋戦争の実情や海軍の夜郎自大さ、そして、謎めいた祖父の生き様等が、描き出されています。

 そして、そのなかで、祖父は、一面で「臆病者」と揶揄されています。それは、皆がお国のために死をも辞さないというなかで、「生きて家族の元に帰りたい」と公然と口にしていたからです。しかし、それは、決して臆病、ということではない。命を粗末にしてはいけない、というメッセージだったのです。それを、祖父に関わった多くの戦友の口で、著者は語らせています。

 また、戦争というのは「綺麗事」ではなく「所詮は殺し合い」である、特攻パイロットは9・11のテロリストと同じ心理構造にある、海軍(陸軍も)の官僚主義が戦争の原因である、戦後高度経済成長を経験したが「道徳」が失われた、というようないくつかのサブ・テーマが散りばめられていて、その都度、読者の思考を促しています。

 さらに、戦争の現実、そのなかである特攻隊員の生き様を基底に、幾分打算的な姉、そして、司法試験を諦めつつあった弟(主人公)が、みずからの生き方を問うていく・・・

 でな感じの物語でした。太平洋戦争をテーマとしたこうした小説を読むのははじめてで、また、こうした小説を評価する立場にわたしはありません。ただ、これは百田尚樹さんのデビュー作とのこと。他のものも読んでみたいと思わせる本でした。

 

 

2014年8月17日 (日)

野尻湖ナウマンゾウ博物館。

 晴れsunていたのですが、さっき、スコールrainがありました。

 沖縄、長野と2箇所への帰省を終え、ようやく「自分の夏休み」という感じでしょうか。

 ところで、夏休みといえば、宿題。小学生の娘にも宿題があります。そのひとつに「新聞」を書くというものがあるとのこと。娘は、沖縄のお盆か長野のナウマンゾウを記事にするとのことで、2箇所への帰省中、取材活動をしました。

Dsc_1437 ということで、長野では信濃町にある「野尻湖ナウマンゾウ博物館」に行きました。これ、昨年も訪れたことがあり、その印象が強かったのでしょう。それもそのはず、ナウマンゾウの実物大の模型が、博物館の中央に鎮座しています。迫力満点です。

Dsc_1443 また、ナウマンゾウの臼歯の化石とかが、こうして展示されています。館内を丁寧にまわると、ナウマンゾウとマンモスやアジアゾウとの違いなどが解説されていて、大人も楽しめる博物館でした。

 ところで、野尻湖でナウマンゾウの発掘がいまでも行われていることは、長野では有名です。博物館では本年も発掘が行われたという新聞記事が掲示されていました。

Dsc_1464 帰りの東京行新幹線では、「トランヴェール」という車内誌に「冒険者たちが発見した日本」という特集記事があり、そこでは、明治期に来日したお雇い外国人の功績が紹介されていました。大森貝塚を発見したエドワード・モース、狩野永探理信という雅号をもつ日本美術に心酔したアーネスト・フランシスコ・フェノロサと共に、偶然なのですが、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが写真入りで紹介されていました。「ナウマンゾウ」というのは、ナウマンがゾウの化石の研究をしたことに因んでつけられたものです。

 なんだか、それなりの取材活動はできたと思うのですが、娘ははたして、沖縄を記事にするのか、長野を記事にするのか。それと同時に、宿題は、予定通りに終わるのか。それとも、月末の土日に、磯野家のように家族総出(といっても3名ですが)で・・・。







2014年8月12日 (火)

沖縄陸軍病院。

 熊本、sun

 あすから「お盆」ですが、沖縄のお盆は、旧暦の7月13日(ウンケー)、14日(ナカビー、ナカヌヒ)、15日(ウークイ)。新旧の暦の関係で、毎年、新暦での日にちが変わります。今年は、新暦8月の8・9・10日が沖縄のお盆でした。

 ということで、今年もこの間、妻の実家のある沖縄に帰省しました。沖縄のお盆は、いまでも親族一同が集うものなのですが、わたしは、まぁ、外の者ということで、毎年、とくにやることがありません。で、今年は、妻の実家のある南風原町にある「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」に義父に連れられて行きました。

Dsc_1296 この陸軍病院、もともとは、1944(昭和19)年5月に熊本で、第32軍の陸軍病院として編成されたものとのこと。その6月に那覇市内で活動し始めたのですが、それが米軍による空襲で焼失したために、南風原の地に移ってきたようです。

Dsc_1299 なかは、こんな感じです。崩れないように、天井および壁が補強されています。縦横1.8メートルくらい、ここに2段のベットをつくり、負傷者を収容しひめゆり学徒(沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒)が看病にあたったとのことでした。

 壕は第1号から第30号まであったようですが、まだ明確には確認されていないとのことでした。見学したのは第20号。ガイドの方に「ここで手術したのだ」、「ここは士官の部屋に続いている」などと案内してもらいいながら、約70メートルの壕を通りました。

Dsc_1297 また、だいたいこういう施設は、天然の鍾乳洞とかを利用するそうですが、ここは「手掘り」とのこと。病院がこの地に移るということで、南風原の住民総出で手掘りでつくったようです。その道具、つるはしも展示されていました。こういう狭い、鬱屈した空間で過ごさなくてはならない苦労はいかほどか、と思いました。

 1945年4月1日には米軍が上陸し、外傷患者は激増したとのことです。5月下旬には、第32軍司令部は摩文仁(糸満市)への撤退を決定。そのさい、重症患者には青酸カリが配られたようです。

 すぐそばには陸上競技場、野球場とかがあり、わたしが行ったときにもく草野球の試合をしていました。ここにも、戦争跡地で生活する沖縄の一風景がありました。







2014年8月 7日 (木)

講演録作成作業からの「飲放」@気晴れ屋。

 sun。晴天のオプキャン。

Symposium きのう、ゼミ生に手伝ってもらって、6月に実施した「憲法シンポ」の講演録を作成しました。具体的な作業は、テープレコーダーに吹き込んだ当日の内容を「忠実」に再現するテープ起こしです。わが社の『熊本法学』に掲載するとのことで、バイト代もでました。

 ほとんどのゼミ生がはじめての(わたしも)作業ということで、なんだか戸惑った感もありますが、要領よく効率よく、その日のうちに一応の作業を終えることができました。

 ということで、いただいたバイト料をパァーーっと、つかって・・・

Dsc_1280
 熊本市役所裏にある「気晴れ屋」さんでうち上げ。最近のシャレオツな学生にはちょっと別世界のオジサン系飲み屋さんでした。

 仕事の後のbeerbeerbarはうまい!といっても、きのうのわたしは、監督者。どっちかというと、ゼミ生におごってもらった形か。

 定期試験を終え、その結果も出そろってきた昨日、学生の会話は教員の振舞に。学生はよく見ていると思いました。また、ああして教員ネタで盛り上がるところは、いまも昔も変わらないとも思いました。「学生と、教員の交流を・・・」、「ああ、またはじまった・・・」という耳打ち・・・(笑)。わたしも、どこかでよくも悪くもいわれていることでしょう。でも、学生の話題に上るというのは、プラスでしょう。いるのかいないのか、わからないよりは、ずーーーっと。

Dsc_1276 そうそう、学生にとって「飲放、食放」にお刺身がつく、というのは格別な感じとのこと(というより、お刺身自体が格別という感じか)。まぁ、きのうは、お仕事のあとのお楽しみだったわけだから、よかったのでは。

 そういえば、はなしは、中高時代の「武勇伝」(他人を含む)に。ヤンチャなのか、なんなのか、まぁ、すごい環境だった人もいるわけで・・・。それでも、いまではそれなりに生きている。それはそれで、立派なものです。

 こうして、前期の仕事も一応、終わり、あすから帰省×2、の生活です。帰熊したら、レジャーして、レジャーして・・・。きょうは、立秋とのことですが、夏はまだまだはじまったところです。






2014年8月 4日 (月)

「ニコ倫」、「プロ倫」。

 台風接近中の模様。そろそろ、定期試験、レポート等おわり、夏休み突入でしょうか。

 夏休みといえば「読書」。最近の学生は本を読まなくなった、と言われていませんか?(わたしも言われていました)。

 ところで、大学を卒業して大学院に進学した頃、大学院生ともなると先生ともいろいろとお話できるようになります。まぁ、いまは、だいぶ敷居が低くなりましたが、学生にとって先生はそうとっつきやすい存在ではなかった。きょうは、直接指導してっもらった先生ではありませんが、ある先生がされたお話です。そのときも、「最近の学生は本を読まなくなった」という話題で・・・

 「君ら(←わたしたち)の世代あたりから、プロ倫、読まなくなっているってね」と。「プロ倫」とは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のことです。わたし、学部生時代にかろうじて読んでいたので、内心、セーフと思いました。その先生は、わたしより10~15歳くらい上だと思いますが、その先生は

 「僕らの世代あたりから、大学生は、ニコ倫、読まなくなったといわれているんだ」と。「ニコ倫」とは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』のことです。これ、そのときのわたしは読んだことなかったので(ちなみに「ニコ倫」の意味はわかった)、冷や汗・・・し、その後、一読、しました。

 という感じで、昔の大学生は、内容を理解できなかったとしても、背伸びして、読書していたものです。

 ところで、この「プロ倫」、「ニコ倫」基準には、当然、それ以外のものは読んでいるということが含意されています。そう、社会科学を学ぶ大学生なら、そもそも読んでいるはずの本があるのです。それは、

 ルソー『社会契約論』ロック『市民政府論』J・S・ミル『自由論』です。

 この3冊、わたしが大学生の時代なら、読んでいる読んでいない、という話題にならないくらい、当然に読んでいました。もっとも、一部は自発的なのですが、一部は、レポート課題等で。でも、これは読んでいた。

 先日、ゼミ生とこういう話になったとき、そういえば、いまの学生は『社会契約論』、『市民政府論』、『自由論』って、読むんだろうか。読まないんだろうなぁ~、と感じました。案の定、読んでいない。ということで、さっきの「ニコ倫」基準がいまの60代あたり、「プロ倫」基準がいまの40代とすると、それ以下のどこかの年代で、すでにルソー、ロック、ミルを読んでいない人たちの世代があることになります。

 まぁ、読書の効用はそれぞれで、また、何を読むのかも自由ですが、一応、世間的には上位校であろうわが社の学生がこうした本を読んでいないとなると、およそ日本人の多くは読んでいないと予想されます。岩波文庫、きっと、売上、落ちているんだろうなぁ~。

 旧制高校生のように「デカンショ、デカンショ~」とはいいませんが、この夏、目の前にそびえたつ啓蒙思想家の本に挑戦してみませんか。

 【読書の参考に】 最近、めっきり顧みなくなったわたしのWPに、つぎのページがあります。

 文庫と新書 de 憲法学

 文庫と新書 de 法律学

 小説 de 法律学

 憲法学の読み物

 あんまり更新していないので、最近のものは含まれていませんが、上のロック、ルソー、ミルの本等も紹介していますので、参考にしてみてください。

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