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2015年1月

2015年1月28日 (水)

新年会@桃花源。

 cloud

Dsc_2178 昨晩、県庁のお仕事関係の新年会がありました。本格的な新年会はこれだけです。

 会場は、熊本キャッスルホテルの地下1階にある中華料理“桃花源”さんでした。

Dsc_2166 こんなすてきなお品書きを用意していただきました。

 このお仕事、昨年、新体制が発足したので、お店のチョイスもいままでとは少し違う感じです。いままでは、料亭で日本酒bottle、という感じのチョイスだったので。

Dsc_2161 というわけで、最初にいただいたのは、前菜です。さしおり、ビールbeerということで。

 (カメラのモードをあわせそこねて、横縞がはいってしまた・・・)。

Dsc_2164 つぎにいただいたのは「百合魷片」。イカとユリ根の炒めものとのことです。

 ユリ根、小さい頃はあまり好きではなかったように思うのですが、おじさんになってから、好きになりました。

Dsc_2167 そして「宮保蛎黄」です。って、なんて読むかわかりませんが、カキと銀杏の唐辛子炒めとあります。

 さすがは四川、ということで、ピリリ・・・としていました。カキとても美味しがったです。

Dsc_2168 で、フカ胸ビレの姿煮込みフォアグラムース仕立て、です。フカヒレフォアグラ・・・って、今年もいい一年になりそうです。

 そうそう、一緒に写っているのは、老酒。砂糖らしきものをまぶした梅干し(スッパイマンのようなもの)をいれると、とても飲みやすく、危険な感じでした。

Dsc_2170 これは「金醤方餅」です。牛肉の醤油味噌炒め、とのこと。自分で挟んでいただきました。

 この辺で、大講義(と新聞)のときにだけコンタクト姿のわたしの話題が。そろそろ面倒になってきたので、大講義も眼鏡にしようかなぁ~。

Dsc_2173 そして後半戦、「乾焼明蝦」です。大エビのチリソース、です。

 そういえば、昨年、このエビの名前、車エビとかブラックタイガーとか、なんだか話題になりましたね。美味しければそれでよい、というわけにはいかないのでしょうね。

Dsc_2175 そして、お食事「陳麻婆丼」。四川激辛マーボー丼です。

 そうそう、このあたりでいい温泉はないか、というお話になり、あれやこれやと。わが家では、熊本インター近くの「つる乃湯」さんか、せいぜい玉名の「つかさの湯」さんなので・・・

Dsc_2176 そうそう、麻婆丼と一緒にいただいた「大頭菜湯」、カブの蒸しスープも絶品でした。

 中華料理もこうしていただくと、なんだか体によいものが使われている感じがしました。

Dsc_2177 さいごは「正宗杏仁」、古典式アンニンボウフで〆。

 なんだか久しぶりに全部、いただきました。最後のさいごまで、老酒、いただいていますが・・・

 本年も生意気なことをいっていろいろご迷惑をおかけすると思いますが、どうかご海容いただきたく存じます。






























2015年1月25日 (日)

法学部生による菊池事件模擬裁判。

 sun。本年度中に刊行し、4月からの講義の教科書として考えている概説書の校正をしつつ、法学セミナーの今月号に掲載された「法学部生による菊池事件模擬裁判」という特別企画記事を読みました。 

 この「法学部生」というのは、わが社、熊本大学法学部の学生なのです。

 菊池事件とは、1952(昭和27)年に殺人罪で起訴されたハンセン病療養所入所者に対する刑事事件のことです。現在、療養所内に設置された特別法廷の違憲性および公判における証人、証拠等の信憑性をめぐって、再審請求中であると聞きます。

 特別企画の冒頭では、菊池事件再審弁護団の弁護士による、菊池事件についての審理の問題点がまとめられています。それにはつぎのようにあります。

 ① 特別法廷の設置決定が裁判所法69条2項の場合に該当しないのでは。かりに特別法廷が許されるとしても、憲法37条、同82条1項が公開法廷を求めているのに、公開法廷ではなかったのでは。

 ② 特別法廷での審理の様子にハンセン病に対する差別、偏見の影響がみられる。「裁判官をはじめ被告人以外の関係者が白い予防着、ゴム長靴にゴム手袋を着用し、法廷内に入る際には消毒液にゴム長靴ごと入り、調書をめくるのに火箸を用い、証拠物を提出する際には割箸でつまんだとされている」(33頁)。弁護人も有効な弁護をしようとしていない。

 ③ 被告人の犯人性を認定する基礎となっている証拠の信憑性もはなはだ疑わしい。

 そして、つぎにこの模擬裁判を主宰されたわが社のO先生(わたしではない)がこの模擬裁判の意義について語られています。

 そこには、この模擬裁判や出演の学生を集めていった経緯、そして、なによりご自身で模擬裁判のシナリオを作成されたとのこと。これは大変。頭が下がる思いです。また、夏休み前までに菊池事件を通してハンセン病のことを学び、夏休みを通して、模擬裁判の稽古に励んだ学生。実に立派だと思います。

 この模擬裁判の意義はたくさんあると思うのですが、このO先生(わたしではない)は、ご自身の末文あたりでこう述べられています。

 「再審という形式の模擬裁判が、かつての有罪判決を支える旧証拠と、それによる有罪判決に疑問を生じさせる新証拠とを、改めて、より厳密に評価させるものとなるのであれば、こうした形式の模擬裁判には、かつての有罪判決をもたらした刑事手続全体の検証に資する面があるように感じられた」(39頁)。

 そして、いよいよ学生の感想です。それぞれの配役をこなした学生は、つぎのような感想を述べています。

 【被告人役】 予想以上に、被告人が弁論する機会が少ないと思った。刑事手続は圧倒的に検察官有利だと感じた。

 おお、これは冒頭から核心をつく感想だ、と思いました。そして、

 【弁護士役】 弁護人を引き受けた動機について。真実を知るのは被告人ただ一人、その被告人により近い立場にいるのは弁護人であるので。

 またまた、立派なことを言うと感心しました。つぎは、

 【証人役】 ハンセン病差別の問題をより広く社会問題としたいと考えて参加した。親族でありながら被告人を不利にする証言をして、弁護人だけでなく親族からも見はなされた被告人の心中を思いはかると胸が痛んだ。

 なんと意識の高い学生なのでしょう。わが社もすてたものではありませんね。

 【裁判員役】 充実した評議ができたと思う反面で、現実の裁判員裁判の評議では職業裁判官に対して素人である裁判員が自由に自分の意見を述べることができるのであろうかとの疑問を抱いた。

 そうですよね、学生同士なら気兼ねしないでしょうけど、現実はどうなのでしょう。

 【検察官役】 検察官は秋霜烈日の信念をもって法廷で人と向き合うといわれている。この学生もそう思っている。しかし、当時の社会におけるハンセン病に対する偏見や差別を払拭した上で証人の供述や証拠を扱うことをできていないのではないか。

 もはや、ここまでくると、ホントにわが社の学生か、と目を見張るほどです。

 【裁判官役】 唯一、台本に縛られない発言ができる役。その場面は判決の言い渡しの場面。その場面を晴れ晴れしい気持ちで迎えることができた。

 この裁判官役の学生の一言に、昨夏の準備、そして、昨年10月19日の菊池恵楓園での本番が充実したものであったことがあらわされていると思います。

 ところで、検察官役の学生はこんなことを言っています。「差別に抗うことのできない弱い人間を救いには司法の力が必要だということを学んだ」(43頁)。

 いまなお残る偏見や差別をおそれて、遺族は再審請求に及んでいない、と聞きます。死刑が執行されてしまっているいま、残された再審請求権者は検察です。しかし、その検察は、再審請求に及び腰である、と聞きます。「過ちては改むるに憚ること勿れ」といいます。この学生の意見は、検察にこれを求めるものです。

 さいごに、この特別企画を組んでいただいた法学セミナー編集部、そして、日本評論社様に感謝申しあけます(と、わたしはそういう立場にはありませんが)。とくに、この号でもたくさんの名だたる先生方の論説や記事が掲載されているにもかかわらず、そのなかで、学生の名前を表紙にまで出していただいていること。学生の記事を大切にしていただいた、と感じました。有り難いことです。

 ところで、こういう学生たちって、なんかの手立てで表彰できないものでしょうか。「学部長表彰」とかで、「これdollarでぱぁあーっとやってこい!」とかないのかなあ。

 

 

2015年1月24日 (土)

ゼミ募集に思う(続編)。

 cloud。PK負けして、なんだか脱力感。

 来年度の演習Ⅰ(新3年生、現2年生)、基礎演習Ⅱ(新2年生、現1年生)などのゼミ募集の結果が発表されました(演習Ⅰに関しては、第一次募集)。

 基礎演習Ⅱは、希望がかなったりかなわなかったりで悲喜こもごも、というところでしょうか。多くの先生は1年生にとっては「未知の先生」だと思うので、どっちかというと、期待していていいのではないか、と思います。

 で、本ちゃんは、やっぱり演習Ⅰという感じか。掲示板をみて直感的に思ったことを「つぶやいて」みようと思います。

 まず、第一次募集で決まったのは200名弱(197名だと思う)。あと市場にはどのくらい残っているのでしょう。ただ、わたしの経験からして、二次募集で応募してくる人、一次募集に劣ることはなかったと思います。過去のわたしの二次募集でのゼミ生も2年後、国税や県庁などの公務員になった人、大手民間に就職していった人がほとんどです。ということで、悲観することはいと思います。

 つぎに、政経ゼミが60名、六法ゼミが80名。これ、どうでしょうか。また、3つのゼミで4分の1、7つのゼミ(神セブンか、)で半分です。これは、どうでしょうか。そして、わがゼミは、女子が1割しかいません。おかしいなぁ~、このブログの読者は、3分の2が女性なのに。

 教育上の目的で人数を絞ったゼミなどあるので、人数だけでどうこう言えるわけではなく、ということで、いろいろ見方はあるのでしょうが、妄想にすぎないかもしれませんね。

 ただ、若手実力者のゼミが台頭してきたのは衆目の一致するところでは。今後、この傾向はまずます高まるはず。次回以降、ほかの若手も伸びてくるはずなので。これはわが社にとって喜ばしいことですね。学生は、やはり見るところは見ている、ということでしょうか。もう世代交代ですね。

 って、あきらめてはダメか。まだまだ若い者には負けないよう(裏で工作しつつ)、新年度にむけた準備をはじめていかないといけませんね。

 あっ、シラバス、シラバス・・・

2015年1月22日 (木)

リフった。

 cloud

Dsc_2158 きのうは教授会の日。そのあと、定例の「教員交流会」。で、ミュンヒナー・デュルケルbeerいただきました。

 教授会では「活発な議論」(笑)が。教授会で議論はあることは健全なこと。

 あたらしい科目つくってもキャップの関係でとれないのでは、とか、そうなると、2年生のあの科目をやめてこっちをとることになるのかなぁ、とか、そうでなくても、3年次以降でとる科目が少なくなっちゃうのでは(126で卒業しようとするはずだから)とか、必修で不可の心配は誰にでもある一般的危険なのでは、とか思ったけど、おっちょこちょいなわたしによくある勘違いかなぁ、と思い我慢することができました。まぁ、担当部署があるわけだから、それでよいはず。

Dsc_2160 そのあと、「法学部の裏事情(仮)」(笑)というキャッチーな本の出版にむけた話し合い。こっちは、まず1歩ふみだしたので、今後に期待!という感じか。そろそろ帰りたくなったので「出版社にお任せしよう」と発言してしまった。反省。フェイド・アウト、フェイド・アウト・・・

 そうそう、カラムーチョ、正月に実家に帰ったときの信州土産です。七味の名店、八幡屋磯五郎さんは善光寺門前にお店があります。

Dsc_2161 そういえば、学部長先生からこんな上等なお酒bottleを差し入れしていただき、ツイッターでまでつぶやいたのですが、わたし、いただけたでしょうか。なんだか、忘れてしまいました。

 舌禍とか、その一部としての「汎用性」とか、プロポーズ大作戦とか、ハイヒールで(以下、自粛)とか、ゲスなお話でおわりました。

 とうことで、これから非常勤に出掛けます。

2015年1月21日 (水)

熊本法学132号。

Kumalaw わが社の紀要誌「熊本法学」の第132号が刊行されました。

 ここには、昨年6月17日にわたしがお世話したシンポジウム「地域に学ぶ憲法」の様子も掲載されています。ゼミ生に原稿おこししてもらいました。

 いずれ熊大附属図書館のリポジトリでも公開されるはずです。どうぞ宜しくお願いします。

2015年1月17日 (土)

ゼミ募集に思う。

 cloud もありますが、概ね、sun。絶好のセ試日和ところでしょう。受験生のみなさんの幸運を祈りつつ・・・

 わたしは、ラッキーにも今年は業務から外れている(外されている?)ので、こうしてブログとか書いています。

 ところで、わが社では、年明け早々、つい前日まで、来年度のゼミの募集がありました。

 ゼミといっても、4年生が履修する「演習Ⅱ」、3年生が履修する「演習Ⅰ」、2年生が履修する「基礎演習Ⅱ」、そして、1年生が履修する「基礎演習Ⅰ」があります。その他にも・・・(以下、省略)。このうち、1年生はまだ入学前(って、未来の1年生は多くの場合、きょう、セ試を受けているのですね)、4年生の場合は多くは3年生からの持ち上がり。

 ということで、新3年生(現2年生)と新2年生(現1年生)が、来年度履修するゼミを選ばなければなりません。

 このうち、「基礎演習Ⅱ」(2年生が履修)は10クラスくらいしかなく、各クラスの人数もできるだけ平均化されます。ということで、1年生は確か第5希望ぐらいまで「申込書」に記載しなければならなかったかと思います。そのうちのいずれかのゼミに入れるわけですが、10クラスのうち第5希望となると「希望した」と言えるのか、なんて問題もあり、できるだけ高順位のところでクラス分けできればいいのでしょうが、諸般の事情で、そうすると、クラスの人数に極端な偏りが出て・・・。という感じで、事務方の腕の見せ所、というところですか。

 と、わたしは来年度は「基礎演習Ⅱ」を担当しないので、ついでに書きましたが、上の記述で重要なところがあります。それは、誰が自分のゼミ生になるのはを教員は決めていない、という点です。これ、ときに誤解されています。よく「なんで先生はとってくれなかったのですか(怒)」みたいなこと言われますが、あれには教員はタッチしていません。まさに「神の手」による決定なのです。希望したゼミにはいれなかったとしても、その先生を責めることはやけてあげてください。

 で、問題は原則全教員が開講する「演習Ⅰ」です。これは、全教員のなかから事実上(規則としてはそうではない)2年間はいるゼミを選ぶことになります。学生にとってもいろいろあるのでしょうが、教員にとっても、いろいろ思うところがあると思います。人気投票というわけではないことはわかるとしても、少ないとそれはそれで、いろいろと気になるもの(と、人間の小さいわたし、つねに心配しています)。

 ただ、たくさん来てくれるとそのこと自体は嬉しいのですが、では、ちゃんとゼミを運営できるかと言われると・・・。でも、せっかく希望してくれたのに、とってあげないというのも・・・どうかと・・・。優秀な学生が適量つねに来てくれるというのがいいのですが、そんな現象、起こるでしょうか・・・。

 一応、教員間の「申し合わせ」では15名までとればよいことになっています。でも、このルール、たくさんゼミ希望者がくる先生(15以上となると相当な少数だと思われる)に特別な負担を課しているというという意味で、厳格審査されなければいけませんよね(笑)。何人でゼミを運営すると効果的に教育できるのか、ということこそ、担当の先生の良識に任せればよい、と個人的には思っています。

 まぁ、というような一応のルールは置いておいて、では、お前はどうするのか、と。なんだか、迷っているんですよね~。上にも書いたようにわたしのゼミを希望してくれた、ということは誠に有り難いことであり、そもそも「来るか来ないかを心配していたとき」のことを思い出せば、全員を受けいれるというのが感謝の意を示す、ということでしょうから。ホント、希望者がいるというのは、有り難いことなのです。

 履修者名簿の提出は来週の月曜日です。「とってあげないと、来年のゼミ募集にひびきますよ~」とか3年生は言うし。でも、それでうまくゼミは運営できるのか、と。こう見えて、わたし、このブログにも何度か書きましたが、ゼミ、あんまり得意でないんですよね~~。

 少数精鋭のゼミ、っていうのが、いちばんいいですよね。教員、何もしなくていいでしょうから。

 

 

2015年1月12日 (月)

『神なき宗教』

 sun。成人の日。オフ。

 ロナルド・ドゥオーキン(森村進訳)『神なき宗教 「自由」と「平等」をいかに守るか』(筑摩書房、2014年)を読みました。

 ドゥオーキンは、20世紀後半かた2013年に亡くなるまで、合衆国でもっとも影響力のある法哲学者でした。その発言は、学問の世界だけでなく、リベラル派を代表する論客だったといえると思います。

 本書は、そのドゥオーキンの遺著で、2011年12月にスイスのベルン大学で行われた「アインシュタイン講義」に基づいています。

 内容は、4章構成で、第1章では宗教論、第2章では宇宙論、第3章では宗教的自由論、そして、第4章では死生論について、扱われています。

 詳細は読者に委ねるとして、第1章では有神論と無神論に共通する宗教的態度について語られています。それは、何らかの超越的、客観的価値の存在への信念というところでしょうか。

 第2章では、最新の物理学理論や宇宙論を紹介しながら、「美しいもの」「崇高なもの」と、その証明という営為について語られます。

 第1章では『利己的な遺伝子』で知られるドーキンズ、第2章ではラッセルやアインシュタイン以降もっとも重要な物理学者だと言われているファインマン批判が展開されている点でも注目されます。

 一転して、第3章では、合衆国最高裁判例を引き合いに出しつつ、宗教的自由という基本権について、論じられています。そこでは、宗教的自由にカテゴライズされるより広範な倫理的権利が合衆国憲法修正1条上の保護法益であると語られていて、いままでのドゥオーキン理論とはすこし違うと思いました。

 エピローグとしての第4章では、死生論とはいえ、人間は尊厳をもってよく生きなければならない、と語られています。

 ドゥオーキンの法理論は、アメリカ的実体的価値論を背景に、法解釈の中には道徳的考慮がはたらいているとするものです。そのアメリカ至上性はときに批判の対象にされますが、それでも、リベラルな価値の実現を目指す司法積極主義を信奉する第一人者として、わが国でも多くの読者を得ています。

 わたしも、いまの仕事がひと段落したら、もう一度、読み返してみたい論者の一人です。院生のときとは違った示唆を得れそうなので。

2015年1月 9日 (金)

『自然・人類・文明』

 sun。少しずつ、陽が長くなってきたように思います。

 帰省読書の第2弾、F・A・ハイエクと今西錦司の対談『自然・人類・文明』(NHKブックス、2014年)です。

 本書は、ノーベル賞経済学者のハイエクと独自の進化論を提唱することで西洋的生物観に異を唱えた今西錦司による1978年に行われた対論が収録されています。

 その対論は、標題の「自然」、「人類」、「文明」をそれぞれテーマに、3回、行われており、本書には、この他に、ハイエクの「人間的価値の三つの起源」、今西の「進化と突然変異」、そして、ハイエクと桑原武夫の対論「経済発展と日本文化」も附論として、収録されています。

 ハイエクは、自然科学でいう「自生的体系」、自身のいう「自生的秩序」をダーウィン的適者生存の理論をモチーフに展開しています。これに対して、進化というものは、自然選択とかそういうものではなく、ただ「変わるべくして変わっていく」、ただそれだけのこと、と今西は応酬していきます。

 ハイエク進化論と今西進化論の衝突で、わたしの新年はあけました。

 進化論といえば「ダーウィン進化論」しか知らなかったわたし(もっとも、その正確な理解はありません)、わが国に今西錦司というどうやら「知の巨人」らしき人がいたことは知っていたものの、何をご専門にされていたのか、ちっとも知りませんでした。

 本書の対論は、1978年当時のもの。これ以降、進化論はどのような展開を見せているのかわかりませんが、ダーウィン進化論って、けっこう怪しんだなぁ~、と思いました。

 【以下、メモです】

 「とにかく適者が生存したという確証がないのに、結果論的にみて、生存したものはすべて適者であるというのは、論理の逆立ちである」(今西・60頁)。

 「言語、道徳、法、金銭などの文明の基本的道具はすべて、設計の結果ではなく自生的成長の結果であり、後者の二つについては組織化された力がそれらを掌中におさめ、すっかり腐敗させてしまいました」(ハイエク・133~134頁)。

2015年1月 6日 (火)

『自由すぎると社会の秩序は崩壊する?』

 sprinkle。あったかい。

 帰省の途上、2冊の本bookを読みました。きょうご紹介するのは、そのうちの1冊。西川昌宏さんによる『自由すぎると社会の秩序は崩壊する? 自由主義者の反社会学講座』(文芸社、2014年)です。

 本書の帯には「リバタリアニズム=自由至上主義」の入門書の入門書とあります。

 ただ、リバタリアニズムは最小国家論であると思うので、本書は、著者も認めているように「無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)」の入門書といえると思います。

 本書が想定している無政府資本主義とは「政府」が存在しない状態のことです。したがって、医療、福祉、公共財の提供はもちろん、最小国家論者なら認めるであろう国防、警察、司法の供給も民営化すべきことが説かれています(40頁)。

 また、本書は、慎重にも、無政府資本主義が最適な統治形態(統治していると言えるかは別として)としているのではありません。現在のような自己増殖する政府(「決定的な悪」)と比べて、無政府資本主義の方が「より小さな悪」に止まるというのです(44頁)。

 さらに、それは、秩序もルールもなく暴力が支配している状態でもありません。無政府資本主義でもうまくいく理由、それは本書を読んでみてください。卑近な例をあげつつも、スミス、ロスバート、ミーゼス、ハイエク等の古典的自由主義者の哲学、思想に裏打ちされた本書の記述は、読者を必ずや得心へと導くことでしょう。

 ところで、本年1月1日の朝日新聞の「オピニオン」面は、『21世紀の資本』で一躍「時の人」になったトマ・ピケティさんのインタビューが掲載されています。「資産への累進課税」と「社会的国家」の実現を求めるピケティさんの議論、上の本の著者にはどう映るのでしょうか。

 いまの(経済的)格差=不平等こそ政府によってもたらされたもので、したがって、無政府資本主義に移行すれば、いずれはそれが「適正規模」に落ち着くということでしょうか。いや、「適正」かどうかは問題ではないということでしょう(そもそも、それをはかる基準はない)。政府に積極性を求めたいのは、(経済的)自由への介入ではなく、規制の撤廃であり、あとはプレイヤーに任せればよい、ということでしょうか。そうそれば、いまよりは「より小さな悪」に止まる、ということか。

 わたしも無政府資本主義、あるいは、最小国家論にそれなりのシンパシーを覚えます。が、しかし、国家を一から作るいざしらず、いまの現状から無政府資本主義へ移行するとなると、激変が・・・。ということで、われわれは、すでに政府を頼らざるを得ない状態になっている、あるいは、政府に飼い慣らされている、と言えるのではないでしょうか。

 本書にはつぎのような著者の嘆きがあります。

 「私は仕事の関係で医療福祉関係者との付き合いが多いが、非常に疑問に思っていることは、年金その他各種の公的社会保障制度が、財源をはじめとしてシステムの機能不全に陥っており、将来的には崩壊するのが確実視されているのに、なぜ国家に対して医療福祉制度の拡充を要求するのだろうか」(114頁)。

 自助しようにも、社会保障費によって自助のための元手が政府に吸い取られてしまっています。したがって“クニがキチント”してくれなきゃ~と。多くの国民は、こう政府に飼い慣らされてしまっているのではないでしょうか。

2015年1月 5日 (月)

賀正。

 cloud。熊本は、やっぱり暖かい。

 みなさま、新年、あけましておめでとうございます。本年もかわらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。

 Dsc_2089
 ということで、例年と同じく、年末年始は信州にいました。

 東京と長野の間に新幹線bullettrainが開業したのは1997年。冬季オリンピックにあわせて開業された長野新幹線は、本年3月に金沢まで延伸されます。それにあわせて新生長野駅の駅舎工事が急ピッチで行われていました。

Dsc_2083 初詣は、いつものように、善光寺。写真では随分と参拝客がいますが、それでも、例年よりずーーっと、空いていたと思います。昨年は、木曽の水害、御岳噴火、そして、地震と、長野も災害に見舞われました。とくに昨年11月下旬の地震の影響が大きいのでしょうか。白馬ではスキー客も減っていると思われます。本年の無病息災をお祈りしました。

 ところで、新年と言うことで、多くの年賀状をいただいています。なかには、簡単な近況をお知らせくださるものもあります。本年とくに目立ったのは、「4月より○○大学に移ります」というものと「学部、学科の改組中です」というものです。ともに複数ありました。

 前者は羨ましいお話です。大学を移籍できるということは、どんな理由、状況の下でも、市場で評価されたということを意味しているはずですので(一部例外があることを身近な事例で最近知りましたが)。また、心機一転というのは、やはりプラスイメージです。マンネリというのは、やっぱり・・・。

 そうそう、帰省の途上で読んだ本に、こんなくだりがありました。

 「この宇宙を形成しているありとあらゆるものは、現状維持を理想としているかもしれませんが、現状維持のままでいられるものは一つもない・・・。どんなものでも、必らず変わらなければならない、という約束があるんです」(今西錦司「進化と突然変異」より)。

 わたしの本年の願いは「現状維持」。でも、進化するためには、それでは許されないのでしょうね。わたしも僅かながら大学を移ってきました。そのたびに覚醒してきたという実感もあります。最近は、あまり積極的に移りたいと思わなくなりました(消極的には常に思っていますが〔笑〕)。なんだか、退化中のように感じます。ということで、4月より移籍という年賀状が羨ましく感じました。

 で、後者の「改組中です」というものは・・・ご愁傷様です。なんだか新年早々、可哀想だなぁ~、と。上の理屈からすると「変わる」ことはプラスのはずですが・・・、これをチャンスと捉えて・・・、そうなればいいのですが・・・。

 変化を生かすも殺すもその人次第、その組織次第、ということだと思います。なんとなく「改組」という言葉はいろんな意味でネガティブにしか響きませんが、それも気の持ちようかもしれません。これをチャンスと捉えて、自らの殻を破ることができれば、それは組織にとっても、そこで働く人にとっても、プラスに作用するはずですから。

 でも、学部や学科の改組となると、エネルギーがいりますよね。とくに、大学設置審を通すような規模となると・・・。業績不足とか、降格人事とか・・・、いろいろとあるようなので(って、改組の経験のないわたしの憶測にすぎませんが)。わが社は大丈夫なんでしょうか・・・

Dsc_2120 なんて思っていたら、もう5日です。早いです。

 今回の帰省での自分へのお土産。これもいつものものです。

 まずは、有名な七味屋さん・八幡屋磯五郎のイヤーモデル缶です。上で書いた長野新幹線の金沢延伸を記念してのE2型とE7型の新幹線が描かれています。その右横は、本年は7年に1度の善光寺御開帳の年なので、それを記念してのものです。

 それと、初詣でいった善光寺のお守り。例によって「健康長寿御守」。生きていれば何とかなると思うので。

 ついでながら、熊本駅でくまモンのパトカートミカを買いました。まだ持っていなかったので。

Dsc_2104 そうそう、1日には長野でも雪が降り、こんな感じになりました。熊本、なんだかんだいっても、暖かいですね~。









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