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2015年1月 6日 (火)

『自由すぎると社会の秩序は崩壊する?』

 sprinkle。あったかい。

 帰省の途上、2冊の本bookを読みました。きょうご紹介するのは、そのうちの1冊。西川昌宏さんによる『自由すぎると社会の秩序は崩壊する? 自由主義者の反社会学講座』(文芸社、2014年)です。

 本書の帯には「リバタリアニズム=自由至上主義」の入門書の入門書とあります。

 ただ、リバタリアニズムは最小国家論であると思うので、本書は、著者も認めているように「無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)」の入門書といえると思います。

 本書が想定している無政府資本主義とは「政府」が存在しない状態のことです。したがって、医療、福祉、公共財の提供はもちろん、最小国家論者なら認めるであろう国防、警察、司法の供給も民営化すべきことが説かれています(40頁)。

 また、本書は、慎重にも、無政府資本主義が最適な統治形態(統治していると言えるかは別として)としているのではありません。現在のような自己増殖する政府(「決定的な悪」)と比べて、無政府資本主義の方が「より小さな悪」に止まるというのです(44頁)。

 さらに、それは、秩序もルールもなく暴力が支配している状態でもありません。無政府資本主義でもうまくいく理由、それは本書を読んでみてください。卑近な例をあげつつも、スミス、ロスバート、ミーゼス、ハイエク等の古典的自由主義者の哲学、思想に裏打ちされた本書の記述は、読者を必ずや得心へと導くことでしょう。

 ところで、本年1月1日の朝日新聞の「オピニオン」面は、『21世紀の資本』で一躍「時の人」になったトマ・ピケティさんのインタビューが掲載されています。「資産への累進課税」と「社会的国家」の実現を求めるピケティさんの議論、上の本の著者にはどう映るのでしょうか。

 いまの(経済的)格差=不平等こそ政府によってもたらされたもので、したがって、無政府資本主義に移行すれば、いずれはそれが「適正規模」に落ち着くということでしょうか。いや、「適正」かどうかは問題ではないということでしょう(そもそも、それをはかる基準はない)。政府に積極性を求めたいのは、(経済的)自由への介入ではなく、規制の撤廃であり、あとはプレイヤーに任せればよい、ということでしょうか。そうそれば、いまよりは「より小さな悪」に止まる、ということか。

 わたしも無政府資本主義、あるいは、最小国家論にそれなりのシンパシーを覚えます。が、しかし、国家を一から作るいざしらず、いまの現状から無政府資本主義へ移行するとなると、激変が・・・。ということで、われわれは、すでに政府を頼らざるを得ない状態になっている、あるいは、政府に飼い慣らされている、と言えるのではないでしょうか。

 本書にはつぎのような著者の嘆きがあります。

 「私は仕事の関係で医療福祉関係者との付き合いが多いが、非常に疑問に思っていることは、年金その他各種の公的社会保障制度が、財源をはじめとしてシステムの機能不全に陥っており、将来的には崩壊するのが確実視されているのに、なぜ国家に対して医療福祉制度の拡充を要求するのだろうか」(114頁)。

 自助しようにも、社会保障費によって自助のための元手が政府に吸い取られてしまっています。したがって“クニがキチント”してくれなきゃ~と。多くの国民は、こう政府に飼い慣らされてしまっているのではないでしょうか。

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