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2015年2月

2015年2月23日 (月)

週末の読書。

 cloud。東京、大阪、名古屋とか温暖のようですが、ここはそうでもありません。普通~か。

Dsc_2210 ここのところ、緊張感のない日々です。だからというわけではありませんが、この週末には、師匠・阪本昌成先生が『書斎の窓』に2001年4月号から2002年3月号(つまり、2001年度〔平成13年度〕)に掲載した「判例をとおしてみる憲法の話」を再読しました。

 その第1回「語りうるもの vs. 語りえないもの」(書斎の窓503号)の冒頭で、先生は「魔性を感じさせる学者」が好きである、と言われます。それは、ドイツ憲法学でいえばC・シュミット、わが国の憲法学でいえば小嶋和司、尾吹善人、そしてここにはありませんが、広大のコリーグだった中川剛、哲学でいえばL・ウィトゲンシュタイン、経済学でいえばF・ハイエク、M・フリードマンらのことを言います。こういう「魔性を感じさせる学者」の思想に影響をうけたであろう先生の目でみた憲法判例、憲法学説の欠陥が語られている連載です。

 最近、故あって先生の「業績目録」を作成したさい、あぁ、そういえばこういう文章もあったなぁ~、と懐かしく思い、再読しました。連載当時、わたしは助手を終え、最初の赴任地でこれを手にしていました。こんどは、先生の思考に、そして、少なからずわたしの思考にも影響を与えている「魔性を感じさせる学者」のもの(一部はよく読みました)も読んでみたいと思います。

 そのあと、いまをときめく若手憲法学者、木村草太さんの『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書、2014年)を読みました。

 本書の冒頭で本書のテーマが語られています。それは「憲法について考え、議論するのは、とても楽しい」ということを伝えることである、と。なんだか、頭のいい人は言うことも違うなぁ、と感じました。

 また、各種のメディアで磨かれた思考で、ときの為政者、改憲勢力について舌鋒鋭い批判をあびせているところとか、立派だなぁ、と思いました。“世界史を学び直せ”とか。わたしも学び直そうと思いました。

 日本国憲法についての木村さんの評価は、「立憲主義を実現する法技術上の文書としては、よく練られているし、外交宣言としてもその内容は極めて真っ当な内容である」(190頁)というものです。その「アバンギャルド」(いい意味で)の風貌とはうらはらに、まことにオーソドックスな思考。哲学者・思想家の大澤真幸さん、そして、最近亡くなられた奥平康弘先生との対談本も読んでみたいと思いました。

2015年2月19日 (木)

教授会のあとの会。

 わたしにとっては、もう、夜(現在、19時00分)。

Dsc_2205 きのうの教授会のあとも、いつものように「交流会」がありました。なんとはく、成績入力もおわり、しかも来年度まではまだ時間があるということで、みなさん「おひま」なのかと思っていたら、教授会そのものにも、いつもより多めの空席が。教授会からの流れ、ということで、「交流会」も若干、少なめ。わたしは、幹事先生のつぎ、2番目に参上しました。

 ところで、この会、いつも幹事先生がいろいろと準備してくれています。ただ、幹事といってもまったくのボランティア。仕事でもないし、まったく義務的なものでもないのですが、それでも、いつもいつも準備していただいています。まったく、頭の下がる思いです。最初の頃は、それでも「お手伝いしましょうか」的な感じのことを口にしていたわたしですが、いまは、それすら言わず、遅れてきては読み食いして帰るだけ。あぁ、なんて下品なのでしょう。

 そして、この会自体が任意参加のため、毎回、誰がどのくらい参加するのかわかりません。何となくメンバーは固定化しつつあると思うのですが、それでも、幹事先生は、毎回、今回は何人来てくれるのか、あるいは、きょうは果たして誰か来てくれるのか、と感じていると思います。(本人の気持ちをわたしなどが慮れるものではないのですが、でも、わたしならそう感じるのではないか、と思う)。

 でも、この会、はっきりいって、いままでのどの教授会よりも、また、どのFDよりも、充実した議論、討論がなされてきたと思います(これはこれで、語弊ありか。まぁ、いい)。わが社の研究教育にとって、大きな意義をもつものになっていると思います。

Dsc_2206 で、きのうは、その幹事先生が、嬉野のお酒を差し入れてくれました。「東一」。フルーティーなのどごしの読みやすいお酒でした。美味しかった。

 これから年度末。わが社でも大きなヤマがあるのではと予想され、年度がかわると、結構、怒濤の日々がはじまる悪寒さえします。ただ、こういうところで議論している皆さん、ときに毒吐かれますが(お前もだ!)、本当に生き生きしていると思います。だから、わたしは、皆さんから多くを学びたいと、なるべく酔わないようにしています。ということで、結構、正確に覚えています(ヒッ、ヒッ、ヒッ・・・)。性格悪いのです(おやじぎギャクか!)。

 と、話が無駄話になってきたので、幹事先生に感謝しつつ、この辺で。




2015年2月17日 (火)

宇波彰『引用の想像力』(冬樹社)

 sun

 定期試験の発表も終わりつつあるのか、大学はいたって静か。

 先日、宇波彰さんの『引用の想像力』(冬樹社、1979年)を読みました。

 ときは「複製技術」の発達時代にはいって久しい現代。「コピー文化」が隆盛しています。この時代に、純粋な意味での「生産」が成立するのか。むしろ「コピー文化」が優位である今日、コピー、模倣を含めた、いわゆる「引用」が文化産出手段として重要な意義をもつことを、本書は指摘していきます。

 こうした状況においては、純粋な意味での「生産」を概念する意義はうすく、生産されたものはすぐに引用というかたちで「再生産」されます。「プレテクスト」に対する除去、付加、歪曲、誇張などの操作(これが「引用」です)を経て成立した「テクスト」は、すぐに「プレテクスト」となることで、「テクスト」が再生産されていく。こうした引用、複製という行為自体が、複製の時代、コピー文化の時代においては「創造的である」というのです。

 上のように引用は、プレテクストに対する除去、付加、歪曲、誇張などの操作を伴ってなされる表現手法ですが、本書のなかには、これに関するおもしろい考察がありました。

 それは、柳田国男の『遠野物語』の評価についてです。『遠野物語』に収められている物語、記事、伝承などは、名もない民衆による報告や想像を佐々木喜善が引用して口述したものを柳田が言語化、文字化したものです。この過程における柳田の引用の操作のあり方をどう見るかで見解が分かれる、というのです。

 というのも、新潮文庫版の『遠野物語』の解説のなかで、解説者・山本健吉は、この書物を「事実の記録」として紹介しているとのことです。これに対して、岩波文庫版の解説者・桑原武夫は、これを柳田による「文学作品」として解説しているとのこと。桑原は、柳田はプレテクストに除去、訂正、改変を付して、そして新しい作品としたものが『遠野物語』であるとするのに対して、山本は、『遠野物語』を客観性をもつ民俗学的著作と評している、というのです。

 ところで、著作権法32条1項は、つぎのように定めています。

 「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」。

 そして、この引用該当性についての判例はつぎのように言っています。

 「〔著作物の〕引用にあたるというためには、〔①〕引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右〔②〕両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」(〔 〕は引用者)。

 ①を明瞭区分性、②を付従性(主従性、従属性)といいますが、法上の引用概念は、上の文学・芸術上の引用概念と乖離してすることにくわえて、引用著作物はまるで言語の著作物に限られるかのようなものになっています。

 法学的な引用概念と文学・芸術における引用概念はこうも違うのです。近年は、著作権法学界でも、最判の引用概念を修正し、いわゆる「パロディ」を著作権法上認める試みがあると聞きます。わたしも、文化・芸術論と法学を架橋するような論文を書きたいなぁ~、と思いました。

 

2015年2月13日 (金)

中島義道『東大助手物語』(新潮社)

 sun

 定期試験もおわり(といっても、わたしは例年、後期には大講義をもっていないので、採点の「祭典」は後期にはない)、大学はしばし「静かな」時期になっています。

 で、中島義道さんの『東大助手物語』(新潮社)を読みました。

 わたし、中島義道さんのヘビーな読者です。といっても、よく読んでいたのは院生から最初に就職したあたりで、最近はそうでもありませんでした。

Dsc_2198 でも、なんとなく本の題名に惹かれて、一気に読みました。中島さんは東大助手時代に教授から「いじめ」られていたことを他の本で知っていたので。

 たしかに本書は、中島さんを東大助手(たぶん3年の任期付)にしてくれた教授にうけた「いじめ」がメインテーマなのですが、それをモチーフとして「大学とはどういうところか、学会とはどういうところか、そこで研究するということはどういうことか」(「あとがき」188頁)が「ありのまま」に書かれています。予想通り、そんなに「綺麗な世界」ではないのです。

 その一端を垣間見れるくだりが随所に見られます。たとえば、まったく思索していない人がいる、「50歳を過ぎたらまったく研究しなくなる学者は数限りなくいる」(15頁)というあたり。中島さんの「教授」もその一人で、昨年の論文は論文ではく「エッセイ」だと厳しく評価しています。また、その「教授」のことを「学問的には何もない、何もない」(147頁)とする大森荘蔵(哲学者、中島さんの師)の言葉など。中島さんの「教授」に対する態度の根底には、学問的軽蔑があったのでしょう。哲学思想系の学者の場合、その学問と人間とを切り離すことはできない。学問的に全否定している「教授」を人間として尊敬することはできない(137~138頁)と言います。

 そして、この学問を基底とした「教授」への評価は、衆人の一致するところなのでしょう。この「教授」の演習からは学生が1人去り、2人去り・・・で結局みんないなくなってしまったこと、20年も勤務しているのに、だれもこの「教授」を味方する者がいないことなど。なんだか身につまされました。さらに、大学における教員採用の基準は不明確であること(110頁あたり)や大学設置審における教員評価のこととか同期、同僚の業績・能力評価をめぐる嫉妬が妬みなど、ああ、「大人の世界」はいやですね~(笑)。わたしも随分と汚れてしまいました。

 ところで、本書のメインテーマは「教授」からうけた「いじめ」です。その背景にあるのが、教授が助手(院生)の就職の世話をする文化だと思います。就職できないと助手(院生)に能力がないだけのようにも思われるのですが、むしろ教授自体の失策しされるという文化があるようです(いまでは、あまりこれはないのでは)。本書でも夏にドイツに行くという教授宅の芝刈りを頼まれ(命令)ています。それをめぐって、あれやこれやと・・・。〈教授-助手(院生)〉間にはこういう関係がある(場合がある)のでしょう。そういえば、教授といえば、一般の人からすれば、大変な権威者でときに権力者でもありますよね。うちも博士学位審査のとき、実家の父が先生に「お礼」(大人のお礼はdollarであると思われる)いるのだろうか、とか言っていましたから。さいわい、わが母校にはそういう文化は皆無でした。が、当時、ありましたよね~、世間を沸かせていたことが。

 ただ、学問の世界における師弟関係は、一種の「徒弟関係」であるとは思われます。それは、いまでもそういうところが残っているとも思います。もちろん、そこには指導者への尊敬、憧れと、指導者による寵愛を介してのものですが。たとえば、わたしも先生に文献コピーのお願いをずっとされていました。ここだけ見れば、教授の下働きなわけです。ただ、それは、わたしにとっては、いま先生が何を読んでいるのか、何を思索しているのかを知る、そして、それを「学ぶ=盗む」絶好の機会なわけです。しかも、わたしはいつもコピーカードをわたされ、必ず「2部とりなさい」と言われていました。1部はわたし用なのです。有り難いことでした。

 こういう関係、いまは「ハラスメントの温床」とか思われがちで、したがって、指導らしい指導もしづらくなっているように思います。ただ〈尊敬と寵愛〉の関係に基づく指導であるなら、傍から見れば理不尽なことであっても一線を越えることもない、とは思うのですが。難しいところですね。いまは、そもそもなにかあっては困るので指導しない、という方向に行ってしまっているような・・・。

 なんて思いながら、本書を読みました。

2015年2月11日 (水)

業績目録。

 sun

 もうすぐ師匠が70になるということで、いま、その古稀を記念、祝賀するための論文集が作成されつつあります。この業界では、功成り名遂げると、その方の人生の節目(還暦、古稀、退職など)にあったってお弟子さんが中心となり、論文集が作成されることがあります。

 で、わが師匠もめでたく古稀をむかえるということで、それを記念、祝賀する事業が着々と(であると思われる)準備されているというわけです。本当は、年長のお弟子であるわたしがちゃんとしないといけないのですが、わたしには論文集を作れるような力量がありませんので、学界の大きなお名前の先生にそれはお願いしていて、わたしはそれに掲載する自分の論文を何とかすることと、師匠の「経歴」を調べ、「業績目録」を作成することでお許しいただいています。

 ということで、まずは、自分の論文penですが、これは、一応、すでに提出し、いまは「初校」の段階です。内容をはじめとして注記の確認とか何とか、〆切までには何とかできると思われます。

 ということで、師匠の経歴を調べ「業績目録」を、いまは作成しています。

 師匠の業績って、あらためてみると、なんだか感慨深いですね。

 その初期における「わいせつ概念」の検討、そしてリーガル・モラリズムを否定する論文の数々。と同時に、「プライヴァシー概念」を検討することで、人格権に色づいた憲法理論を否定する数々の論文。こうした研究の初期段階における研究関心は、いまでも、力強く継続されていることが一目瞭然です。

 また、平成に入る頃、1990年前後には、「情報化社会」が到来したことに呼応して、情報公開や個人情報保護についての制度を考える論文が増えています。なかには、「ダイヤルQ2」とか「メーリング・リスト」とか通信概念(それを「コモン・キャリア」であるとした)をとり上げたものもあり、時代が反映されています。

 そして、1990年代中頃以降のものは、わたしもリアル・タイムで読ませてもらったものばかりで、その意味でも懐かしく感じます。このあたりから、法の支配、権力分立、立憲主義・・・といった憲法総論の「大テーマ」についての業績が目立ってきます。もっとも、あまり詳しくお聞きしたことが(不思議と)ないのですが、たしか修論テーマはたしか「行政」概念あたりだったとか。

 「目録」として一覧すると圧倒的です。論説等はまさに数えられないくらいなのですが、その他に研究書も複数あり、その中には法解釈論にとどまらない、哲学・思想論と言えるものまであります。また、わたしが教科書として使っていた本もそうですが、いわゆる言葉の本来的意味における「体系書」(『憲法理論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』)があります。こういう体系書を出せる学者は、もうそうはいないのではないでしょうか。

 ということで、目録を作成しつつ、ふと、わが身を振り返ると・・・。くらべてもみてもしょうがないのでしょうけど。経歴も同時につくっているので、何歳あたりで、これ書いているなんて考えると・・・。これはエライことではないか。最近、ちょっと天狗になって、後ろ姿ぐらい見えたのでは、とか思っていたのに・・・。

 まぁ、そう焦ってもよい論文が増えるわけではないので、ここは春休みに体勢を整えつつ、じっくりとやる、というところでしょうか。

2015年2月 9日 (月)

憲法の学習法について。

 さ~むい、けど sun

 週末、1ヶ月おくれて法学教室1月号(412号)を読みました。そこに阪大の松本和彦先生と東大の宍戸常寿先生による「憲法事例問題を対話する」と題する昨年の「有斐閣法律講演会」も様子が掲載されています。

 その第2部の冒頭に憲法の学習法が語られていて参考になったので、ここで紹介します。

 憲法の学習の最初は「基本書」の通読からはじまるのですが、そのあと、判例を読んで、基本書と判例の間を往復することが重要である、とあります。つぎのようにありました。

 基本書に一般論として書かれていることが判例にどう生かされているのか、研究者がどのような判例の議論を踏まえて、肯定的な評価をしているのか否定的な評価をしているのかを、基本書と判例の間を行ったり来たりしながら読む(26頁、宍戸先生)。

 まずは定評のある基本書(熊大生にとっては、昨年出版したわたしの『憲法Ⅱ 基本権論』(有信堂)と、もうすぐ出版する『憲法Ⅰ 総論・統治機構論』(有信堂)がこの役割を果たせればよいのですが)を読む。そして『判例百選』などで判例の事実の概要と判旨をチェックする。そして、また基本書と・・・

 また、松本先生はつぎのようなことをおっしゃっています。

 とくに最高裁の判例は法律家の共同体において、それがあると認められるのであれば、それに従わなければならないという作法が確立しているものである。この判例は間違っている、あるいはこの判例はもはや先例としての価値がないと論証できる場合でなければ、判例に従わなければならない。ただし、見掛けの上で判例であると思われる場合であっても、それをそのまま適用すると自分の不利な結論になると思われる場合には、事案の区別を試みなければならない。このテクニックが法律家にとっては重要である(29頁)。

 こういったテクニックを身につけるためにも、基本書⇔判例の往復学習は重要である、ということでしょう。

 そして、判例だけでなく基本書の記述も乏しいような論点については、演習書に目を通すことを勧めておられます(26頁、宍戸先生)。また、新聞やテレビのニュース番組を通じて、憲法問題について意識をもっておくことも重要である、とされています(同)。

 憲法問題は法解釈でもって解決するわけですが、意外と、当該問題の背景にある常識的な基本知識の差が答案の出来栄えにもろに影響する科目だと思います。そこで、新聞、テレビでこうした基本知識を得ることも有効であると思います。

 そして、いざ、答案作成ということですが。最近は、問題について、原告の立場と被告の立場、そして、それをふまえてあなたの見解を・・・という形式で出題されることが多いと思います。それについては、松本先生考案の「ジグザク論証」で対応するのがよいでしょう(38頁)。

 「ジグザグ論証」というのは、答案構成のさいに当該事例の争点をめぐって、主張(原告側)→反論(被告側)→再反論(原告側)→再々反論(被告側)という順で憲法論を説く論法のことです。このうちの、再反論、再々反論のところを私見(あなたの見解)として組み立てるとよい、とされています。

 基本書を読み込み、判例を確認し、ときに新聞・TVでの知識を生かしつつ、ジグザグ論証すれば、「百戦殆うからず」というところでしょうか。

2015年2月 7日 (土)

ゼミ新歓@くすのき会館。

 うっすら曇りかcloud

 昨晩、定期試験を終えた新ゼミ生(2年生)を迎えて、ゼミ歓迎会をしました。

Dsc_2193 新ゼミ生は16名。あらためて応募してくれたことに感謝したいと思います。決して男子ばっかり~、と残念がってはいません。まだまだトレードのチャンスはありますから(笑)。

 各地でいろいろな話題で盛り上がっていたようでしたが、わたしの周りでは、急遽六法を入手することになった話とか、T先生ああ見えて意外と若いはずだ話とか、「ディスりからの愛情表現」の話とかで盛り上がりました。それにしても「20世紀最高の憲法学者」はディスっているのでしょうか(笑)。

 まぁ、ゼミの時間それ自体が盛りあがるというのは、難しいことだと思うので、時間外には盛りあがるゼミになったらいいなぁ、と思います。

 また、いろいろ予定があるなか、4年生が2人、きてくれました。就職先をきめ、あとは卒業式を待つだけの4年生は下級生の目に輝いて映ったはず。3年生は来年、多くの2年生にとっては2年後(笑)、あのように輝いた存在になってもらいたいと思います。

 さいごに、申込のあった学生のうち、3名、ゼミ生としてとってあげられませんでした。申し込んでもらえることは本当に有り難いことなので、いまでも心残りです。二次募集は一次募集でのメンバーをみてから申し込めるという利点があるとか、他にもっといいゼミに入れたはずとか、こんな男ばっかりのところではなく(笑)とか・・・、自分を正当化するための言い訳をいっていますが、やっぱり3名は気がかりです。よいゼミに入れていればいいのですが。

 まぁ、ゼミ生であろうとなかろうと、わが社の学生であることに変わりはないので、わたしにできるようなことがあったら何とかするということで、お許しいただきたいと思います。

2015年2月 3日 (火)

佐伯啓思『西田幾多郎』(新潮新書)

 sun。定期試験まっただ中、ご自愛ください。

 先週末、佐伯啓思『西田幾多郎』(新潮新書、2014年)を読みました。

 西田幾多郎という哲学者、名前だけは知っていました。そういえば『善の研究』の著者であることもうっすら、知っていたと思います。しかし、その著作を読んだこともなく、そもそも「いくたろう?」それとも「きたろう?」(そんなはずないか)ってくらいの知識でした。お恥ずかしいかぎりです。ただ、いつかはちょっとはかじっておかないと、とは思っていました。

 で、ある日、本屋さんをうろついていると、佐伯啓思著の「西田幾多郎」本があることを知りました。それも、新書。保守派の論客である経済思想家の佐伯先生のご本は、院生の頃からよく読んでいました。その佐伯先生による「西田本」ということで購入しておいた次第です。

 この本は、西田の人生の根底には「悲哀」があり、それが西田の哲学の基底になっている、としています。この「悲哀」の源泉には、「人の死」、西田の「家族の死」があるというのです。

 西田は、13歳で姉と死別、34歳のときに弟が旅順で戦死し、36歳のときに5歳の次女を失っています。また生まれて間もない五女も失います。さらに、49歳のときに妻が脳溢血で倒れ、数年の介護を余儀なくされます。50歳のときには旧制第三高等学校生であった長男を失い、54歳のときには、介護の甲斐なく妻が亡くなっています。そのあと、70歳のときに四女を亡くし、74歳のときに長女を失います。西田の人生は、常に家族の死と隣り合わせであった、といっても過言ではないでしょう。

 本書は、西田はこの苦痛や悲哀を哲学にまで高めた、と評しています(41頁)。西田の哲学は、よく「無の哲学」といわれます。この「無」へと辿り着く彼の思索は、西田の人生上の苦難や悲哀と無関係ではない、というのでしょう。

 難解だと言われる西田の思想を、本書は、各章ごとにテーマを定め、現実の思考にまで引き下げて解きほぐしています。まさに、形而下の話題をからめつつ形而上のことをエッセイ風に説いた、というところでしょうか。西田哲学そのものを語ったわけではありませんが、「幾多郎」の読み方も定かではなかったわたしにとって、最初の一歩になりました。

 また、柳田國男、折口信夫、本居宣長、和辻哲郎・・・、この本にもこうしたわが国を代表する哲学者、思想家の名前がでてきます。無教養のわたしは、ほぼ、名前しか知りません。

 グローバル化が無条件に叫ばれている今こそ、日本独自の思想、思索を大切にする時なのかもしれません。

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