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2016年7月31日 (日)

國分功一郎監修『哲子の部屋Ⅰ 哲学って、考えるって何?』(河出書房新社、2015年)

 sunrainthundersun

 ちょっと軽い哲学本が読みたくなったので、本棚にあった、國分功一郎さん監修の『哲子の部屋Ⅰ 哲学って、考えるって何?』(河出書房新社、2015年)を読みました。

 「哲学」とは何かって、なんだか難しいそうですが、本書は90分くらいで読めて、目から鱗がとれる内容でした。

 まず、哲学の歴史は、プラトンやアリストテレスの活躍した古代からなのですが(それはわたしも知っていた)、近代の新しい哲学は、なんといってもルネ・デカルトから。

 このデカルトは「疑う」というところから哲学をはじめています。このデカルトですが、実は中高の数学でおなじみだった「座標」の考案者とのこと。それは、方程式を図を用いて描くという発明でした。このように、往時の哲学者は数学者でもあったのです。

 また、哲学者でもあり心理学者でもあったフロイトは、心は「無意識」に支配されていることを提唱しました。「無」意識というものが「有」るとしたのです。

 このように哲学とは「新しい概念」(「概念」とはモノの見方、考え方のことです)を作り出すことであるとしたのはジル・ドゥルーズでした。方程式を座標にしたり、無意識という概念を生み出したり。

 おお、なんと明晰!

 で、では、人はどんなときに考えるか。ここで本書で登場するのは「習慣」というキー・ワードです。

 本書は「習慣」を日々のくり返しから「違い」を無視したものとして説明します。たとえば、毎日通っている道にあった建物がある日、取り壊されている。このとき、前にあった建物がなんであったか、思い出せないことって、よくありませんか。この道を通ることが「習慣」となっているので、実は、目には入っているけど見ていないということが起こっている。

 こういう習慣は、実は、悪いものではない。こうした習慣は生活を安定させるものである。でも、あるとき「不測の事態」が起こる。そのとき、人はビックリして対処法を考える。

 ということで、われわれは、モノを考えているではなく、実は「考えさせられている」のであるとも本書はいいます。

 習慣は思考の母である。習慣があるからこそ例外的な不測の事態のときに思考ができる。そう、毎日不測の事態ばかりだったら、われわれは思考できないのです。

 おお、平凡な日々というのは、いかに哲学に向いているか。逆にいうと、いつも不測の事態に対処しなければならないとしたら、思考できない。それは、つねに「肝試し」しているようなものだから。

 さて、いまの大学はどうでしょう。思考に向いている環境にあるのでしょうか。なんて、何を読んでも嘆き節につながってしまいます。

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