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2016年12月

2016年12月29日 (木)

今野晴貴『生活保護』(ちくま新書)。

 cloud。年末も押し迫ってきましたね。きょうは研究室の掃除(大掃除ではなく、いつもの掃除)をしました。

 で、ここ数日の年末行事(忘年会、年賀状書き、掃除など)の合間に、今野晴貴さんの『生活保護 - 知らせざる恐怖の現場』(ちくま新書、2013年)を読みました。

 副題にある「恐怖の現場」の意味は、生活保護という行政サービスが担当行政官(含・ソーシャルワーカー)次第で恣意的に運用されている現状を示してのものだと思います。ここにあるのはごく僅かの例外(と思いたい)だとは思いますが、それでも「まさか」という事例が紹介されています。

 生活保護には数年前に有名芸能人の親族が受給していると報道されて以来、さまざまな「バッシング」があります。そうした中で、本書は「世間の『雰囲気』で、行政の法的手続きが変更になる」(P55)ことが恐ろしいことであることを随所で主張しています。生活保護行政は、生活に困窮している人の生命に関わることだからです。本書の成功は、生活保護政策の思想的・イデオロギー的是非を論じるのではなく、生活保護行政において法治主義の徹底がはかられていない点に徹底的に迫った点にあると思います。

 また、本書は後半で賃金・社会保障における「ナショナルミニマム」の構築を提唱しています。この制度にわたしは詳しくありませんが、失業、医療、子育てなどに個別に給付するのではなく、ベーシックインカムを国民全員に保障する制度は、自由経済体制に適合的であるといわれているだけに、検討に値するものなのだと思われます。

 共産主義や社会主義ではなく自由経済体制であるからこそ必要であると考えられる公的扶助、生活保護制度。著者は、最後に「これからの日本に本当に必要なのは、国家の制度としての生活保護が、どのような意義を持ち、どれだけその機能を果たしているのか、という冷静な政策的視点」(P250)として、本書を締めくくっています。

2016年12月27日 (火)

忘年会も終わり。

 rain

 公私にわたってくり広げられた一連の忘年会beerbottleも終わり、年末気分ができていました。ということで「公」的な忘年会の反省を。

Img_1087 まずは、なんといっても職場の忘年会。毎年、12月教授会のあと、恒例となっています。

 ところで、この忘年会は、3部局が合同で実施しています。で・・・、あれ・・・、2部局しかありませんね。ここに掲記されていないあの部局こそ、来年度以降の改革の主役であるだけに・・・。ここに掲記されていないことが、いまのあの部局を象徴しているように思われて仕方ありません。

Img_1088 ただ、法学部構成員(したがって、わたしも)にとって、このことは他人事ではありません。むしろ、他人事のようにしてきた(見て見ぬふりしてきた)われわれにこそ、責任があるともいえる問題。過去どうだった、あの人がいけない、この人がいけなかった・・・ゆうてもダメですよね(いってしまいましたが)。いまこれから、自分たちはどうするのか、というところが重要ということでしょう。将来しか変えられませんものね。

 なんてことをcancercancercancerをいただきながら、考えました。職場の忘年会は、いつものように毒はきすぎました。反省(でもなおっていない)。

 で、昨晩は、お世話になっている県庁のお仕事の忘年会でした。

Img_1102 会場は、下通りダイエー横(これ、いつまで通用する呼び名でしょうか。いまの1年生とか、飲みの集合場所、なんていっているのでしょうか)の“青柳”さん。久しぶりにお世話になりました(なお、水曜日ではないので、舞妓さんはいなかった)。

Img_1103 この青柳さん、お部屋にあった屏風によると、釜めし屋さんとして名を馳せていたとのこと。昔は庶民派だったのですね。いまでは、有名店のひとつだと思います。

 で、この県庁のお仕事、ことしで3期目になりました。思えば、2期6年も務めさせていただいているのですね。最後のスマ×スマの放送日だったきのう、ふと、自分はこの6年どうだったのか、とか考えました。円滑な公共事業の実現の一翼を担う行政委員会であるだけに、すこしでも(すこしだけでしょうが)お役に立てていたならいいなぁ、と思いました。

 そして、この集まりには珍しく、2次会までいきました(みなさんがリーダーと慕う弁護士さんに連れられて)。で、昨晩だったので、「スマップしばり」のカラオケ(一部、ミスチルあり)。盛りあがっているところで課長にお電話が・・・。南関で鳥インフル発生の一報が・・・。

 ああ、思えば、今年の熊本は大変な一年でした。2回の地震集中豪雨阿蘇噴火、そして、年末のここにきて鳥インフル・・。直接は関係しない部署のようですが、それでも、県庁はじめ行政はこれから数日、てんやわんやでしょう。なんとかうまく終息してほしいと祈るばかりです。

 という感じで、やはり、ついつい飲み食べ過ぎています。年末年始があけたら、節制しようと思います。で、きのういただいたもののリストを・・・

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2016年12月18日 (日)

橘玲『言ってはいけない』(新潮新書)。

 sun

 先日の東京出張の途上、読みかけていた橘玲さんの『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書、2016年)を読了しました。

 現代の進化論、遺伝学、脳科学等の最新知見に基づき「不都合」、「口外できない」けれども「真実」とされることが勇気をもって書かれています。ただ、それぞれのテーマにはきちんと参考文献が掲載されていて、しかも、そのほとんどは邦語のものなので、だれでも検証できるはずということでしょう。参考文献の方もいずれは読んでみたいと思います。

 (この手の話の真偽の検証はきっと興味深いこと。のめり込みそうなのでほどほどにしようと思います)。

 Img_1086_2この本のオビには「警告」とあり「この本の内容を気安く口外しないで下さい」とあるので、ここではわたしがとくに注目したところだけ・・・

 まず、最近は大学の講義でも教員にプレゼン力が求められることがあります。ということで、パワポとか使って・・・なんてことを、わたしもときにすることがあります。そして、同じ内容の講義なら、たしかにプレゼン力の高い講義の方が学生による学期末の授業評価でも高い評価を得られたそうです(P128)。

 ところが、では、そのプレゼン力が学生の成果につながっているかというと・・・。必ずしもそうではない、とのこと。講義内容が同じなら、プレゼン力がよかろうが悪かろうが、学生の期末試験の成績には影響がなかったとのこと。つまり、「元になるアイデアが無価値ならなんの意味もない」(P129)と。

 こう言ってしまえば当たり前のように感じますが、1点、本書には講義の善し悪しをはかるヒントも書かれていました。それは、講義を映像で見るのではなく(本書ではYouTubeで見るのではなく、と表記されていますが)、「紙に書き起こしたものを読んだ方がいい」ということです。なるほどなぁ~と思いました。

 講義内容の薄さはときにプレゼン力でごまかされますが(これも、教員の技のうちでしょうが)、講義の善し悪しはたしかにプレゼン力(見た目)ではなく、内容で評価されるべきですよね。(って、どっちも心許ないわたしとしては、まずは、内容を高めるか、ごまかす技を身につけよ、ということでしょうね)。

 もうひとつ、どの親でも自分の子どものことには一生懸命になるはず。そして、さまざまな能力を身につけてくれたらいいなぁ~、とか感じながら子育てしているはず。

 ただ、子どもの成長、発達に影響する要因を、①遺伝的要因、②親の教育(これを「共有環境」)、③非共有環境(学校とか友だちとの関係など)とわけたとすると、認知能力(学業成績、一般的知能など)、性格(神経症傾向、外向性、調和性、誠実性など)、才能(音程、外国語、数学、スポーツなど)、社会的態度(自尊感情など)、性役割(男性性、女性性)、発達障害、物質依存(アル中、喫煙など)のどの要因をみても、①遺伝と③非共有環境でほぼ決まる、という研究結果があるとのことです。

 ということで、著者は「わたしはどのようにして『わたし』になるか」という問いに対して、それは親の教育ではなく、「遺伝と非共有環境」であるとしています。(ということは、家庭より、学校や友だち関係が重要ということなのですね)。

 子どもの人格形成に親の影響は皆無であるとするのは、なんだか身もふたもないことですが、でも著者は、それでも「子育ての経験があるひとならば、(この結果には)どこかで納得しているのではないだろうか。なぜなら、子どもは親の思いどおりにはぜんぜん育たないのだから」(P213)としています。子育て真っ最中(といっても、わたしはほとんど育てていませんが・・・)の身としては、残念なようですが、一面で、まぁ、思い通りにいかなくてもしょうがない、ということなのでしょうね。諦めもつく、というものでしょうか。

 というところで、当たり障りのないところだけ、紹介してみました。

 著者は「あとがき」で本書の企画についてつぎのようにいっています。

 話は2015年のフランスの諷刺雑誌「シャルリー・エブド」へのイスラム過激派襲撃からはじまります。この事件に、日本の「リベラル」な新聞社は「テロは言語道断だが下品な風刺画を載せた方も問題だ」として「ひとが嫌がるようなことをする表現の自由はない」としたといます(P248)。著者は、この言説に噛みついています。いわく「誰も不快にしない表現の自由なら北朝鮮にだってあるだろう。憲法に表現の自由が定められているのは、ひとが嫌がる言論を弾圧しようとした過去の反省によるものだ」と。

 そしてさいごに「不愉快なものにこそ語る価値がある・・・。きれいごとをいうひとは、いくらでもいるのだから」との言葉で本書を締めくくっています。

 本書の内容には批判も各方面であるのでしょう。でも、その批判は批判として論拠を示して文書で表現する、そういう国でなければならない、と思いました。

2016年12月16日 (金)

研究報告@明大。

 @東京。本日中には帰熊airplane

Img_1071 きのう、上京して、研究報告させていただきました。紫紺がスクールカラーのこの大学の「知財研究グループ」で申請された科研に研究分担者として参加させていただいているので。

 ただ、ここのところ勉強pencilできていないのでcoldsweats01、テーマは、昨年、師匠の古稀記念論集に寄稿した論文をもとにした「著作物のパロディ」について憲法学的視点から考察するもので許していただきました。

 研究会では、ここのところ、著作権法解釈と憲法理論は密接に関連しつつある、という認識を共有することができました。と同時に、そのなかにあって、わたしはすこし取り残されつつあるということも。とくに、一緒に研究報告をした気鋭の論者の最近の業績をみるにつき、そう感じますcoldsweats02

Img_1070 まぁ、そうはいっても、わたしにはわたしのペースというものもあるので、あまり気にしないで自分の仕事をしていくだけかなぁ、と思います。できる範囲のことしかできないわけですから。

 それにしても、東京の大手私大は、すごいですね。都心の一等地に機能的な校舎を配して・・・、地方大の田舎研究者としては、気後れするばかりです。まぁ、それでも「書いたもの勝負」のこの業界、ここにはどこに住んでいるか、どこに所属しているかは、関係ありませんものね。ここでも“自分として自分の仕事をどう評価しているか”ということが重要なことだと感じました。

Img_1073 こんなことを感じたのは、懇親会での話題から、です。(あ、そうそう、わたしパクチーというものを食べたことがなかったので、流行にのって食してみました。カメムシの・・・というの、よくわかりました。もう、しばらくは食さなくていいかと・・・)。

 で、懇親会の話題というのが、業績評価のことです。ある大学では、毎年の研究業績リストを学部に報告し、それに学部長がAとかBとか・・・評価をするとのことなのです。これも、きっと全学的な予算配分の絡みがありやりたくてやっているものでもないとは思うのですが・・・。でも、その制度が、いわゆる「書けない人」、「書けなくなっている人」にいらぬプレッシャーを与えていて、より「書けない」という状態に追い込んでいるのでは、というようなお話でした。

 われわれ研究者は、研究(文系では「論文を書くこと」pen)するのが仕事なので、毎年、論文を書いて公表していくことが当たり前であるとも言えるのですが・・・。いつもいつも論文を書けるわけでもないのです。いや、書かなければいけない、というのはその通りなのですが、「書けるか」といわけると、いろいろな事情とかスランプとかあるわけで・・・。って、こういう言い訳も一般社会からすると甘い、のでしょうが・・・。

 また、まだ学生のうちはそれぞれに先生というのがいて、ときに厳しく指導されることもあるのでしょうが、それで「守ってもらっている」部分もあるけれど、ひとたび大学にポストを得ると、もう一人立ちして生きていかないといけない(そうでないと、学生を指導していくというわけに行きませんよね。だれかに指導されている立場にある人に学生も指導されたくはないですよね)。ということで、本当の意味で自分のことを批判できるのは自分だけということになります。こういう状態で論文を書いていかないといけない・・・結構、厳しい職業ですね(って、それが甘い!のか)。

 ということで、地震があり、「そういえば熊本には大日方ってのがいたなぁ・・・」と思い出していただいたおかげで、ここのところ、研究報告のご用命をたくさんいただきました。ありがとうございました。

 われわれの業界は「活字」にしてはじめて研究業績。ここのところの学会、研究会でご意見、ご質問いただいたことをうけて、はやく「活字」にしていきたいと思います。





2016年12月12日 (月)

ゼミ忘年会@旭々(てるてる)ぼうず。

 12月12日で「ダースの日」。

Img_1039 昨晩、花畑町の「てるてるぼうず」さんでゼミの忘年会をしました。ひさしぶりに3・4年生合同の企画でした(野球以来?)。

 全員、進路を決め、ゼミ旅行からの卒業を待つだけになっている4年生と、いま進路にむけて準備真っ最中の3年生、ひさしぶりの合同企画ということで、つもる話も多かったと思います。いい話ができたでしょうか。

Img_1043 ちょうど、新ゼミにむけての説明会、見学会などがあり、新しいゼミにどんな2年生がどのくらい応募してくれるのか、気になる時期になりました。ただ、なんといっても、いまの3年生、4年生のゼミがまずはいいもの、楽しいものであることが重要。ということで、昨晩はいい飲みになったでしょうか。

 で、「恋ダンス」からはじまった二次会はkaraokekaraokeすこしbarはさんでkaraoke。4年生の「勢い」を感じる二次会でした。3年生はlovelycoldsweats02shockな感じだったと思います。この4年生のように・・・とは思いませんが(笑)、近年のわがゼミのいい流れにのっていってもらいたいと思います。

 つぎは、2年生、新ゼミ生がきまったら、またゼミ会を開きたいと思います。そのときには、時間のあるOB・OGもよんで。

2016年12月 8日 (木)

ゼミ見学会からの交流会。

 きょうはsun模様。

 きのう、来年度のゼミ生募集の一環として実施されている「ゼミ見学会」がありました。

 わがゼミも張り切ってゼミ生募集なので、どのくらいの2年生が見学会に来てくれるのか、期待と不安が渦巻いていました(なんか、緊張感あった)。それでも、おかげさまで、たくさんの2年生が見学してくれて、担当教員として嬉しいかぎりです。あわよくば、そのまま応募してくれると、なお有り難い

 で、ゼミの内容は、昨年の国税・財務専門官試験に出題された事例問題をアレンジしたもの。いつもはこういう題材設定はしないのですが、実は、ゼミ見学会用に仕向けてみました。とはいっても、問題はいたってオーソドックス。西陣ネクタイ事件をイメージさせるその問題を考えるために、小売市場開設距離制限事件と薬局開設距離制限事件で営業の自由に関する「目的二分論」を理解したあと、在宅投票制廃止事件で国賠法上の違法性について確認し、あとはそれらの法理論を問題にあてはめて検討していく、というものです。

 実は、同じ題材で前日にも見学会の予行練習をしました。とうことで、一部、「シナリオ」があったわけですが(笑)、それを乱した人もいましたね・・・誰だ?まぁ、準備してきた質問ばかりというのも面白くないですものね。報告班は「話が違う・・・」と思ったでしょうか。それでもまぁ、「」のゼミも垣間見られてよかったのでは。それでも、質疑応答は立派だったと思います。

 と、フォローしつつ・・・、この憂さは週末の忘年会beerbottlebarで晴らしてください。

 それから、ゼミ見学会にきてくれた2年生、本当にありがとうございました。教室、寒かったですよね。また、ちょっと難しい!と感じたようにも思います。ただ、そういう感じはいまの3年生も去年のいま頃、感じていたはず。きっと1年たつと、みなさんも先輩たちのようなゼミができるようになります。そこは安心してください。まぁ、ちょっと「よそいき感」はありましたよね。普段は、もっとリラックスムードです。

 ゼミ見学会がおわったあと、熊大法卒県庁若手職員と現役熊大法生の交流会に参加しました。

Img_1029 熊大法を卒業して県庁職員となったOB・OGと法学部生(2、3年生)との交流会は、今年で3回目となりました。このなかには、3年生のときこの企画に参加して、こんどは県職員となってこの企画に参加してくれたゼミOGもいて、有り難く感じました。また、これもいつものように先方の窓口になってもらった方あっての企画なので、学部長になり代わって(かわれませんが)深く感謝いたします。

 ところで、ここに参加してくれた法学部生は、2年生と3年生、あわせて16名でした。それぞれの学年の取りまとめ役を務めてくれた学生にも、この場を借りて御礼もうしあげます。県庁側の協力をいただいているからこその企画ですが、学生側のとりまとめをすることも、それなりの気苦労とか心配とかあったはず。わたしは人選等、丸投げでお願いしただけですが、こうして交流会が無事できたのも、参加してくれた熊大生、そして、取りまとめ役を引き受けてくれた2人の学生あってのこと。ありがとうございました。

 きのうの交流会、現役生にとっては、進路等の相談をざっくばらんにできる機会として、非常に貴重なものになったと思います。また、日頃の業務のなかではあまり絡むことのない熊大法学部卒「若手」県庁職員の交流の場ともなっているのでは、と自負しています。大学は卒業生にとっても貴重なものだと思うので、卒業生が自慢できるような大学、法学部でありたいと思いました。

2016年12月 4日 (日)

最近のできごと。

 熊本はrainでございます。

 ここ1週間の出来事は2つ。

 1つは、仲正昌樹さんの『いまこそロールズに学べ』(春秋社、2013年)を読了しました。

 学会とか研究会で、よく「大学院の頃はロールズをご研究され・・・」と紹介していただくのですが、ここ数年、まったくロールズ本を読んでいませんでした。そのことは、わたしのなかではすこしキズとしてあったのですが、ようやく久しぶりにロールズ本を読みました。

 ロールズ本は、そのあともずっ~~っと買い続けていたのですが、本棚に眠っていた仲正昌樹さんの『いまこそロールズに学べ』を読みました。

 標題から時事的問題が提示され、ロールズならこう言う・・・なんて感じの本かと思っていたのですが、なんのなんの、本格的なロールズ研究書でした。

 そのなかには、ロールズの私有財産論について、及び、ロールズが無知のヴェールによって排除しようとした偶然性と集合的資産論の関係について、拙著『ロールズの憲法哲学』(有信堂、2001年)を参照とあり、有り難く感じました。ああ、ロールズ研究も大切にしていきなければ、とあらためて思いました。

 本書の最後まで読むと、「いまこそロールズに学べ」の意味がわかります。それは、わが国には本来的な意味での「リベラル」(自由主義経済の枠内で社会・経済的な弱者に優しい政治を展開する現実的な左派)の思考法が根付いたことがない。「保守」に対抗するため「リベラル」とは何かを「いまこそロールズに学べ」。こう著者は言いたかったのです。

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Img_1012 はなしはかわって、29日には、刑法の澁谷先生のゼミとわがゼミ(3年生どうし)で野球の交流戦をしました。

 いまは偶然にも大所帯となっているこの2ゼミは、なんとなくライバル関係にあるのか(担当教員のイケメンさはたしかにライバル関係だが)、白熱した試合展開でした。

 というのも、相手のピッチャーはすごかった。そして、その球baseballをうけられるキャッチャーがいることも凄い!ふつう、捕れないでしょ。まぁ、それでも、わがチームが勝ってしまうところが、なお、すごい。

 わがゼミの勝因はなにかなぁ・・・、わたしの好投かなぁ・・・(それは、そうなのだが)。なんとなく、女子力、もとい、女子(の)力が勝因か。うちの得点にほぼほぼ絡んでいたのは女子だったので。そういえば、随分と女子が強く、男子が大人しいゼミになったような・・・ 

 あとは、お仕事で人吉にいったり熊本地裁にいったりしました。また、人間ドックにいって身体のメンテをしたりもしました。証拠写真cameraです。

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