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2017年3月

2017年3月28日 (火)

岡本真一郎『悪意の心理学』(中公新書)。

 温暖、sun

 きのうまでの東京出張の移動時間をつかって、岡本真一郎さんの『悪意の心理学』(中公新書、2016年)を読み終えました。

 いつも軽口ばかりたたいているので、舌禍wwwwにならぬよう、大人なのですこし気をつけようを思いまして。

 たとえば、セクハラの場面での教訓なのですが、「上司が思っている以上に、部下は上司の権力行使を恐れている可能性がある」(P156)という記述がありました。これ、よくわかりますし、わたしが一番、気をつけようと思っていることです。この世界に上司・部下関係はありませんが、それでも、評価は常に、上位者が下位者に対して行うという構造があります。なにかを頼むとき、常に、このことを気をつけて、なにかを依頼するときには、常に断っても大丈夫な環境でお願いしなければならない、と感じています。

 また、いわゆる伝言の効果、二次的情報、三次的情報では、聞いた人、伝えていく人の間に、なぜ情報の齟齬が生じるのかについて、わかりやすく説かれています(P215以下)。とにかく、ほかの人から聞いたことをニュアンスそのままに伝えることは難しいこと。ということで「〇〇さんが言っていたんだけど・・・」というのだけは、無責任かつ、〇〇さんにも迷惑をかけてしまう可能性が大きいので、くれぐれも注意したいと思います。誰かほかの人が言っていた話しても、その通りだと思ったら、自分の見解として表明しておいた方が、間違っていたときに責任もとれるので。

 さらに、自分に対する陰口は誰でも気になるもの。しかし、それを気にしていたら、きりがない。自分にとってのよくない評価は他の人の方がよくしっているとわりきって、自分についてのちょっとした批判なら、それを漏れ聞いても、寛容に考え、それを参考にして自分の行動を少し変えてみることが得策である旨、説かれています(P278)。その通りだと思います。

 わたくし、こう見えても小心者で、常に、周囲からどう見られているのか、他人の評価を気にしながら生きています。周りの人の評価を変えることは難しいのでしょうが、自分が言葉を発するときには、受け手の立場、意見等を尊重し、「コニュ障」を徐々に脱して行けたらなぁ、と思います。

2017年3月27日 (月)

東京同窓会。

 東京はrain。現地時間、7:55。いっしょか。

 昨晩は、東京・新宿で熊本大学法学部「東京同窓会」がありました。

Img_1624 ということで、お土産を持参しました。地震に負けない熊大を象徴する「闘魂手拭い」や熊本地震のときの大学の様子を報じた「熊大通信61号」です。

 同窓生にも、陰に日向に、ご支援・ご心配いただきました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

 ところで、この同窓会は、熊大法学部を卒業して東京で仕事、生活している同窓生に集まってもらって、近況を報告しあい、旧交を温める、そんな会です。きっと3年目のはず。わたしは、2年ぶり2回目の参加です。はじめて、わたしのゼミ生も参加してくれました。比較的小規模で和気藹々の同窓会でした。

 で、二次会、三次会と、、、、、まさに「型破り」な卒業生がいまして、、、

 「型破り」、一般的には「常識的な振る舞いから外れた振る舞い」というような意味でしょうか。文脈によっていい意味でも悪い意味でも使われそうですが、ここでは、いい意味です。最後まで残った数名の教員を圧倒する、まさに「法学部愛」、「後輩への想い」を感じました。それは、まさに、型破りに「熊大法の使命」を語り、それにむけての教員の使命を、われわれに説くものでした。そう、われわれ熊大法学部における教育の使命とは、何なのでしょうか。

 再び、「型破り」。平成中村座を立ち上げた18代目中村勘三郎さんは「型があるから型破り。でも、型がなければ、それは単なる、形無し」と説かれたそうです。卒業生の話を聞きながら、対学生という意味における熊大法の役割は、学生に、学問の型、中庸な思考といわれるものの型、そういった、社会科学の「型」を説くことではないかと。それを身に着けさせることが、熊大法の使命ではないかなぁ、と昨晩は考えました。

 てな感じで、一昨日の卒業式、そして、この同窓会を終え、帰熊したら、いよいよ新学期の準備を本格化したいと思います。

2017年3月26日 (日)

一夜明けて。

 きのう、勤務校では卒業式がありました。わがゼミの4年生も、無事、学位記を手にすることができたようです。

Photo 3年生も駆けつけてもらって、恒例の花束贈呈。これで世代交代、“伝統継承”です。4年生が去って、そして新しい「4年生」がきました。

 本年度の卒業生は、くり返されて言われているのとですが、やく1年前、熊本地震を経験した世代。就活中、そして、公務員受験を控えた彼らの、みずからの事情をどがえししての献身な姿が、昨日のように思い出されます。

 わが社はよい学生を育てたと思います。

Photo_2
 思い出のA1教室に向かう階段でも記念撮影しました。大所帯なので、ちょっとご迷惑をおかけしました。

 で、昨晩は、4年生と最後の「ゼミ飲み」。そこでは、思い出のDVDも上映され、そこでは「卒ゼミ生」、各人の言葉でゼミへの思いが語られていました。

 そこでは、一応、わたしもサプライズで登場したのですが、、、DVDでは中途半端なメッセージしか言えなかったので、この場をかりて、一言ずつ(ゼミ長風)。

Dvd IGちゃん:仲間思い、後輩思い。その気持ちを忘れずに。

 Uみ:繊細なだけに他の人を思いやれる。大胆な行動にも期待します。

 SSK:意外な行動力。震災のボランティアで活躍。感動した。

 E:責任感抜群。信頼できた。

 Kや:なんだかんだでわがゼミの良識だったと思う。

 Sトー:いじられキャラ、これは長所。ぜひ生かして。

 YG:謙虚。実にいい。きっと大丈夫。

Photo_3 ここらで一息。なぜがゼミのテーマ曲風となった「ボーイフレンド」。で、再開。

 Dのちゃん:クールでも熱いものあり。真摯なところよし。

 Sちゃん:ゼミ一番の頑張り屋。これも意外だった。

 Uっちー:法学部のスタースチューデント。東京に負けるな。

 Tせ:ゼミ生にしておてよかったと心から思う。

 MK:紅一点(T嶋もいたか!)。これからも輝いて。

 Tぢ:要領よくのりきれる。リーダーになれる。

 I本:型はできている。あとは飛躍あるのみ。

 S口:ゼミ長を頼んでよかった。一番伸びたと思う。

 数年前、「あまロス」という言葉がはやりました。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」終了と同時に、熱烈な視聴者だった人に訪れた喪失感のようなもののことのようです。

 普段、あまり何事にも熱中しないわたしには、「〇〇ロス」なんて、大げさだなぁ、と思っていました。

 わたしは、いま「ゼミ・ロス」にあっています。熊大法最後の「ゆとり(笑)」学年で男ばかり。正直、ワクワク感はなかったと思います。

 そのゼミ生たちが卒業してもう会えないかと思うと、なぜか、喪失感。大学での教員としてのわたしを支えてくれていたのは、彼らだったのです。残される方が、常に、寂しい。

 と、辛気臭くなっては折角の門出にいけないので、この15人の学生に幸あれ!と祈りたい。そして、留学で遅れる彼女が卒業するまで、このゼミは解散しません!

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Photo_5 そうそう、記念品、もらいました。

 高級(そうな)お酒です。

 お酒はお酒でうれしいので、なにかいいことがったときに、いただこうと思います。

 それにくわえて、

Photo_6 メッセージ、びっしり。この箱は一生ものです。心折れたときに、癒してもらおうと思います。







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