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2017年4月16日 (日)

村木嵐『やまと錦』(光文社、2017年)。

 sun。昨年より、温暖。昨年は外にいたので、よくわかる。

 明治憲法制定に奮闘した井上毅(作中名・多久馬)を題材にした、村木嵐『やまと錦』(光文社、2017年)を読みました。村木嵐さんは京大法学部卒。参考文献の欄では、大石眞先生の『日本憲法史』(有斐閣)から貴重な示唆を得たとあります。

 いまちょうど憲法の統治機構に関する講義で「日本憲法史」と題して明治憲法制定の意義を説いているところです。あすの講義では日本国憲法の制定過程について講義します。

 その明治憲法制定の意義ですが、講義では、① 外的要因として、憲法をもつ近代国家になって、江戸幕末に締結した不平等条約を改正すること、② 内的要因として、民権運動を抑制して天皇制国家を確立することである、と説いたところです。その様子が本書は生き生きと描かれています。

 また、社会秩序を維持するために、いかに天皇が利用されていたのかについても、作中のいたることをで垣間見ることができます。たとえば、西郷・板垣の征韓論を抑えるところ(45頁あたり)や欧米のキリスト教のかわりとされているところなど。

 ところで、本書は「法」というもの、について主人公に次のように語らせています。「法とは無から作るものではなく、歴史のなかで少しずつ発達してきたもの・・・。法を定めるとは、すでに私たちの中に蓄積されてきているものを書き起こす作業だ」(134頁)と。これ、わたしが昨年の講義(基本権領域を講じた「憲法Ⅰ」)ではじめの頃にお話ししたことですよね。その端緒・発祥の一点を見れば「人為性」があるのだろうが、しかし、法とはその人為性が薄れてきて普遍性・一般性を得たものである。こうした非人為性をもつ規範による統治が「法の支配」であると。

 さらに、この本を読んでいると、形式的意味の憲法(ここでは明治憲法)が制定されてはじめて「国家」というものが成立するのではなく、すでに実質的意味の憲法に基づく官僚組織体があって、その中の担当者が憲法を制定していったことがわかると思います。実質的意味の憲法に基づく官僚組織体こそ、われわれが頭の中で「国家」と思っているものの正体であるとも講義ではくり返しています。

 その明治憲法も、臣民の権利を保護することで君主の権力を抑制するものなのですが、同時に、もっとも恐れなければならいのは民権派の暴力である(186頁あたり)であったことも。憲法は急進的な動きを抑制して統治を安定させるためのものなのです(このことも、くり返し講義で説きました)

 そうはいっても、憲法は政府のためにあるのではありません。作中で“憲法の文言に幅をもたせているのは、未来に向かって国家権力を抑えるために開かれているのであり、為政者に好きに使わせるためではない”と主人公(189頁)および大津事件の際の大審院長であった児島惟謙(247頁)の口から語られています。物語の終盤では「立憲制」の意義が説かれています。

 (立憲君主制の一端について、つぎのような記述があります。「憲法の五十五条には、各省の大臣が天皇を補佐して、責任はその大臣が取ると書いてある。また天皇は議会の協賛がなければ法を定めることができず、詔勅も勅令も、大臣の著名があってはじめて効力を得るとなっている。憲法はそこまでして天皇の個人的な恣意を排除しているのだ」〔220頁〕と)。

 明治維新から流血もなく四半世紀で立憲君主制へ。この統治体制の変革と確立が平穏に行われたことこそ、まさに「革命的」なできごとだったと思います。あと2週間もすれば「憲法ウィーク」(ゴールデンウィークか)。「憲法」というものの基本を考えることができる良書だと思いました。

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