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2017年7月21日 (金)

憲法Ⅱ(第25回)。

 きょうも猛暑、酷暑の予感。ということで、憲法Ⅱ(統治機構)の第25回講義のレビューを。おっとその前に、講義後もらったSBSカードのなかに「今回が最後の講義ということでSBSはもう出ないので感想とさせていただきます・・・」というものがありました。が、まだ講義はあと1回あります(24日が最終)。それと、その24日にもらった質問は、やはりSBSプリントにまとめて、Moodleに掲載しようと思います。ひとまず、ここ重要! 講義はもう1回あります

 (0) SBSで、

 ① 「司法権の範囲」の問題と「司法権の限界」の問題の違い、もう理解できたでしょうか。

 ② 上に関連して、議院自律権政治部門の裁量のところで「司法権は及んでいる」ということの意味あいについての質問がありました。これについては、議員の懲罰決議については司法権は「及ばない」、議院の議事手続決定権については議事録掲記主義なので完全ではないが司法権は「及んでいる」(完全なら口頭証拠主義)、政治部門における裁量についてもたとえば「合理的期間」を設定してその範囲内であるか否かをみるのは司法権が「及んでいる」ことになる、というように回答しました。これもSBSで確認してください。

 ③ 部分社会の法理については、一般市民法秩序と関係する事柄であれば「司法権の範囲」にあると考えられるれどもそれについては「司法権の限界」の問題もある、という点に質問がありました。その意味は、対象者の一般市民法秩序における法的地位に変動をもたらす団体の処分・決定については、それが「適正な手続」によってなされているのかについては裁判所で判断できるけれども、その処分・決定の実体としての当否については、裁判所で判断できるわけではないということろが「司法権の限界」の問題であることを確認してください。

 ④ 「司法権の範囲」(「法律上の争訟」該当性)、「司法権の限界」といった法理論は、団体の内部的自律権を認める近代法の大原則(私的自治)や司法権に対する政治的中立性の要請にも関係することも講義しました。とくに後者は重要です。政治的な事柄から隔離されていてこそ裁判所は政治的に中立な立場において国民の権利救済を実現することができ、その結論について法的な正当性を担保できると考えられるのです。国家統治を担う「政治原理部門」(=国会と内閣)と「法原理部門」(=裁判所)の役割分担、国家統治の正当性を判断するのは第一義的には政治原理部門の役割であること(例外として国民の権利救済に付随して違憲審査権を行使しうる)、法原理部門は国民の権利救済に原則としてその役割は限定されるべきこと(例外として客観訴訟において国家行為の適法性を審査)、という権力分立論をよく理解してください。本編でお話した統治行為論もこうした思考基盤から生まれてきた判例法理です。

 本編は、違憲審査制についてお話しました。

 (1) まずは、違憲審査制とは何かを確認したあと、各国がとる違憲審査制には抽象的審査制(憲法裁判所型)付随的審査制(司法裁判所型)の二類型あり、わが国の制度は、警察予備隊違憲訴訟からすると後者であることを理解してください。日本国憲法が採用している違憲審査制は、付随的審査制(司法審査制)であるとすると、それは76条1項の司法権(「事件性の要件」を満たす「法律上の争訟」を裁判する権限)を行使することに付随して81条の違憲審査権を行使し得るということになります。

 (2) で、上のように考えると、客観訴訟で違憲審査することには疑問が生じることになります。客観訴訟とは、紛争当事者の個人的な権利利益の保護とは関係なく、行政活動の適法性維持や公共政策の是正を目的とするために提起される訴訟(お馴染みの例でいうと、議員定数不均衡訴訟〔公選204条〕、政教分離訴訟〔自治242条の2〕)だからです。それは、司法権の行使ではないのです。

 これについては「事件性の要件」を擬制し得るもの客観訴訟における違憲審査は限定されなければならない。ドイツ風の抽象的規範統制は現行の日本国憲法では認められていないであろうから、と講義しました。つまり、① 法律が制定された段階、② 当該法律に基づく行政活動があった場合、③ 国民の権利が侵害された段階と3段階を考えると、裁判所が違憲審査権を行使し得るのは③(司法権の行使)と法律において訴訟類型が規定された②(「事件性の要件」が擬制できる客観訴訟)に留まるべきで、①の段階における違憲審査は許されないと考えるべきであることになります。

 こう考えると、公選法204条に基づく議員定数不均衡訴訟において違憲審査することは憲法上の疑義があることになります。プリントP70の【Q】ですが、青本P319で確認してください。

 (3) 違憲審査制(司法審査制)には憲法上の大きな法原理からの疑義があります。それが、① 民主制との関係での正当性、② 権力分立制との関係での正当性の問題です。これについては、プリントP77~P78及び講義中に指示した青本該当箇所を熟読してください。

 (4) 最後に「司法審査権の限界」の問題をお話しました。司法審査権の限界とは、ある紛争が司法権の対象となる(したがって「法律上の訴訟」性=「事件性の要件」を充足)としても、民主制や権力分立構造に配慮して裁判所は司法審査権を発動しない、という事態のことです。この典型例は「統治行為」であるとも講義しました。

 国家機関の行為のうち「直接国家統治の基本に関する高度の政治性ある国家行為」のことを「統治行為」といいます(参照、苫米地事件)。このような国家行為については、それが「事件性の要件」をみたしており、したがって憲法76条1項の司法権の対象とはなり得るとしても、争われている行為が「統治行為」であるとの理由から、憲法81条の違憲審査権の対象から外されるために、結果として裁判所は76条1項の司法権の行使もできなくなる、という判例法理のことを「統治行為論」といいます。

 なぜこのような法理論が適切なのか。この点については、統治行為論が「二元的裁判制度」をとる大陸法由来の法理論(念頭にるのはフランス)であることから解説しました。彼の国においては、統治に関する高度の政治判断は司法裁判所ではなく、執政府、行政裁判所(行政機関の一種)が行っています。したがって、「一元的裁判制度」ととるわが国であっても「統治行為」に該当する国家行為の是非は国民に政治的責任を負っている国家機関で判定されるべき事柄であり、司法裁判所における審判に適さない事柄であると考えられるのです。

 統治行為論と似て非なる法理論として、「政治問題の法理」(郵便貯金目減り訴訟)と「政治部門の裁量」(砂川事件)がありますが、タイムアップだったので、最終回はここから講義します。

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