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カテゴリー「お勉強」の20件の記事

2014年11月15日 (土)

沖縄に行ってきました。

 suncloud

 一昨日の木曜日と、昨日の金曜日、沖縄airplaneにいました。レジャーではなくお仕事で、です。

 わたしは、公共事業の円滑な実施と私有財産の保護との調整をはかる収用委員会の委員をお引き受けしていて、その九州全体の委員が集まって実施される年に1回の研修会が沖縄であったのです。

 ということで、九州8県の収用委員会委員とその事務局(県庁職員)の方が沖縄に一堂に会して研修会が実施されました。

 一日目の研修会は、各県で出しあった「問題」についての検討会ですpen。実際にあった問題をアレンジしたものやこれから起こりそうなことを想定しての問題を検討しました。

 わたしが経験した研修会のうち、これほど事前に準備して、当日も本格的な検討をする会も珍しいように思います。とかく「研修」というと、お偉方のお話を聞く、という形式のものが多いように思うので。

 二日目は「現地視察」。開催県で実施された公共事業や各県の特徴ある建物、文化施設などをまわります。

Dsc_1893 沖縄ということで、いま大きな問題となっている普天間飛行場を見学しました。これは、宜野湾市にある嘉数高台からの普天間飛行場です。修学旅行生もたくさん来ていました。

 真ん中、右あたりの黒いテトラポットみないなのが「オスプレイ」とのことでした。こうしてみると、住宅地にいきなり滑走路があるのがわかります。

 ちょうどこの週末(日曜日)は沖縄県知事選挙。この飛行場の扱いが、まさに争点です。沖縄の街は、選挙カーが忙しそうでした。と思ったら、熊本市長選も同日ですね。

Dsc_1903 そのあと、モノレール・おもろまち駅近くにある、沖縄県立博物館・美術館で琉球王国と沖縄の歴史を学びました。

 写真は中国との貿易につかった進貢船の10分の1の模型と「万国津梁の鐘」(これは、本物。現在首里城にあるのはレプリカとのこと)です。「一国」であった琉球には、ヤマトとは違う独自の文化、歴史があり、大変、興味深いものでした。

 また、ホテルや高層マンションも建設されていて、経済発展も感じました。ことしの旅行客は700万人を超え、将来的には1000万人が目標とのこと。確か、人口も増加中ですよね。でも、県民所得は、たしか最下位だったようにも思います。

 日本のなかの琉球、独自の平和文化と米軍基地、経済発展・観光客増加と所得最下位。穏やかな時間が流れつつも、なんだか複雑な感覚に陥った沖縄出張でした。

 と言いつつ、わたしはここに6年いて、妻もここ出身。この「複雑な感覚」の一端は、そうしたわたしの素性にもあるのかもしれません。そういえば、研修会でも二期上の大学の先輩(弁護士さんになられていた)から声を掛けていただきました。その節はお世話になったはずなのに、すっかり忘れていました。あらためて、沖縄にちゃんと向き合わなければいけない、と思いました。



2013年1月12日 (土)

薬のネット販売を禁止する厚労省令に無効判決。

 きょうも sun

 最高裁は、きのう、薬のネット販売を禁止した厚生労働省令(薬事法施行規則)に無効判決をくだしました。

 薬の販売に関しては、2009年に、薬事法が改正されました。それによると、薬の副作用リスクに応じて薬が3分類され、リスクが高い「1類」(胃薬や毛髪薬など)と「2類」(風邪薬、漢方薬など」以外は、薬剤師のいない店舗での販売が許されるようになりました。ところが、厚労省は、同時に、これらをふくめて薬のネット販売を禁止する省令を定めていたのです。

 こうした省令による販売規制について、その効力が争われていたところ、きのうの最判は、薬のネット販売を一律に禁止した厚労省令について、2009年改正薬事法の委任の範囲を逸脱する省令であるとして、無効判決をくだしたのです。ポイントは、職業活動の自由論(22条)というよりも、委任立法論(41条)で結論を導いている(「国会中心立法の原則」に反する)、というところでしょうか。(法律論レベルの議論としては、本件薬事法施行規則は、行政手続法38条1項に反するので無効である)。

 この判決により、薬剤師が顧客に薬の情報を提供できる体制が整えられているなら、薬のネット販売も可能になったことになります。もうすでに、実施されてもいるようです。ただ、うえで触れたように、本件は、22条ではなく41条で勝負されています。つまり、薬のネット販売規制自体を問題にはしていません。厚労省は、新しい規制ルールの検討に入ったようです。

 なんとなく「規制改革」の象徴的存在として扱われてきた薬のネット販売に関する判例なので興味深い結論でした。

2012年12月18日 (火)

改正規定の改正。

 cloud

 さきの日曜日の第46回衆議院議員総選挙は、自民党(+公明党)の圧勝!におわりましたね。その選挙戦のさなか、いくつかの重要政策が宣伝され、そのうちのひとつに憲法改正がありました。きのう、あるTV番組をみていたら、安倍総裁の会見が放送されていて、憲法改正の第一弾として、“改正規定の改正”を考えているとのことでした。具体的には、現在は「両議院の総議員の3分の2」必要とされている国会での改正発議要件を「2分の1」にする、というものでした。

 わたし、こうみえても、学生の頃から憲法を勉強していて、“改正規定は改正できない”と教わったと記憶しているので、安倍総裁の発言を機にちょっと考えてみました。なぜ、改正規定は改正できないのかというと・・・

 憲法改正には限界があると考えられています(もちろん、無限界説もありますが、ここでは措いておきます)。なぜ限界があるのかというと、それは「憲法制定権と憲法改正権は、法理論上、別の権限である」と考えられているからです(憲法制定権は、ギョーカイ用語で「制憲権」とよばれています)。それはどういうことかというと、

 憲法制定権とは、なにものにもない状態で、憲法を制定する権限です。したがって、この権限を拘束するものはありません。この制憲権が発動され、憲法が制定されて、そして、お馴染みの立法権とか行政権とか司法権とかが「憲法上の権限」としてつくられるわけですが、これらの行使(発動)は、制憲権とはことなり、憲法の拘束を受けることになります。(わかりやすい例が41条の立法権の発動は59条に拘束されるというところでしょうか)。そしてこの「憲法上の権限」として、改正権という権限が制憲権によってつくられているので、この改正権の発動も憲法に拘束されます。それが96条です。今回の安部総裁の意見は、制憲権でつくった改正規定を、改正権で改正する、というものです。

 「制憲権/改正権」区別論にもとづく憲法改正限界論からすると、主権の所在とか基本的人権の保障という憲法の根本原理とともに、この改正規定は改正権では改正できないのでは、との疑問がうかびます。これについて、学部生時代に読んだ本をひもといたら・・・

 「特殊な問題として、憲法改正規定である第96条の改正を、第96条そのものによって根拠づけることができるかという問題がある。これに対しては、原則として不可能であると答えなければならない。なぜなら、・・・ 改正規定は、憲法制定権にもとづくものであって、憲法改正権にもとづくものではなく、改正権者が自身の行為の根拠となる改正規定を同じ改正規定にもとづいて改正することは、法論理的に不可能であるばかりでなく、改正権者による改正規定の自由な改正を認めることは、憲法制定権と憲法改正権との混同となり、憲法制定権の意義を失わしめる結果となるからである。」(清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』〔有斐閣、1979〕411頁)。

 ただし、読み進めると、つぎのようにもありました。

 「ただし、改正手続による改正規定の改正を絶対に不可能とするのが憲法制定者の意志とは思われない。制定権と改正権との混同にならず、しかも改正権の根本に触れない範囲の改正、例えば、・・・ 国会の議決における『硬性』の度合いをいくぶん変更したりする程度の改正は、改正権者の意志に委せられていると解せられる。」(同書411~412頁)。

 ということで、安倍総裁案にいう“3分の2 → 2分の1”が硬性」の度合いをいくぶん変更する程度の範囲の変更といえるかというのが、法論理的な論点となると思います(政治的には、そんなの関係ねー、かもしれませんが・・・ちょっと、古いか・・・)。

 というのが、本日のゼミでのわたしのオープニング・トークです。

 【本日の問題】 ついでに、つぎのような問題も、ゼミではなしてみました。

 勢いあまって解散してみたものの、惨敗してしまったN総理。官邸には落選議員が押し寄せて、てんやわんやです。わずか生き残った閣僚をあつめて、善後策を考えるN総理のもとに、なぞの人物Oがあらわれ、こういいます。「なにシケタ顔してるんですか、総理!いっちょ、もう一回解散しましょう」。

 さて、先日惨敗してしまったN内閣は、いま、もう一度、解散することはできるのでしょうか?

2012年6月30日 (土)

オバマケアに合憲判決。

 突然、雨がつよくなりましたrainrainrain

 もう6月も最終日となり、そろそろ定期試験が気になりはじめました(なにを出題しようか、という意味で)。

 ところで、このブログでも、本年3月30日の回でとりあげていた「オバマケア」と呼ばれる米医療保険改革法に、連邦最高裁は合憲判決を下しました(28日)。

 3月30日のブログは、ここからどうぞ。

 争点は、国家運営の医療保険制度に加入しない者に「罰金」を科す「個人加入条項」が契約の自由に反するのではないか、という点にありました(と思っていました)。が、

 連邦最高裁は、保険加入を個人に義務づけることはできないとしながらも、非加入者に科す「罰金」は「課税」と解釈できると判断しました。この辺のロジックは判決文を検討しないといけませんが、連邦最高裁は、本件は、保険加入の義務化が争点だったのではなく、いわゆる間接強制の手段としての「罰金」を科すことの合憲性が問われていた、とみたのでしょう。いずれにしても、オバマ政権の目玉政策には、合憲の判定が与えられました。

 ところで、連邦最高裁は9名の裁判官で構成されています。本件は、5対4の僅差での判決でした。本年実施される大統領選での対立候補のロムニーさんは、この「国民皆保険制度」の是非を大統領選の争点にする、とのこと。憲法上要請されていない(それは、わが国でも同じだと思いますが)政策は、民主制のもと、主権者(有権者?これが同一概念であるかも検討の余地がありますが)の政治判断に委ねられた、ということでしょう。

 平等は、自由の制限により、実現されます。社会保障政策とはいえ、それが所得再分配機能をもつとき、やはり財産権の制限により実施される、と見るべきでしょう。自由を至上のものと考える彼の国にとって、医療保険の重要性は理解しても、なぜ国家運営の保険制度に加入しなければならないのか、という点には疑問があるのでしょう。それは、医療保険制度を通じた、所得再分配政策に陥るからということなのでしょう(わが国のように)。

 憲法は自由も平等も、といいます。でも、平等は自由の制限により成り立つ、と考えたとき、自由と平等のバランスが“憲法に書かれていない”ことにも気づきます。このバランスをどこでとるのか、ここが主権者(有権者)の判断に委ねられているのは、アメリカでも日本でも同じことではないでしょうか。

 社会保障を充実させようとすれば「大きな政府」が要請されます。「大きな政府」を運営するためには財源が必要で、で、消費税が上げられようとしています。わが国の主権者(有権者)は、この憲法に書かれていない政策について、どの程度の水準を求めているのでしょうか。どの程度の財産権の制約なら許すのでしょうか。

 ボーナスから「ごそっと」引かれていました。ボーナスをいただける有り難みを感じつつも、もっともっとという国に……。

2011年3月20日 (日)

法学教室2011年2月号

 雨が降っています。日曜日ですが、教授会があるために、休日出勤です。さいきん時間がなくて(言い訳ですが)定期購読している法学雑誌もあまり手つかずにいたのですが、昨日から今日にかけて、法学教室2月号で特集されていた「『法と経済学』にふれよう」を読めました。

 「法と経済学」という学問手法は、端的にいうと、法的現象を経済学的手法(とくにミクロ経済学のそれ)で分析する、というものです。もうわが国で紹介されて久しいと思いますが、こうして学部生でも読む法学雑誌に特集されることは珍しいと思います。それだけ、もうこうした学問手法を知っていてよい、または知っているべきである、ということなのでしょう。

 わたしも学部生時代にこうした学問を学ぶことはありませんでしたが、大学院に入ってからは、指導してもらった先生がこの学問手法に関心をもっておられたこともあり、また、憲法学でも「法と経済学」の考え方を前提にした説明をされる論者も現れてきたことから、少しだけ勉強しました。

 この特集ではまだまだ「公法」それも憲法の領域ではこの手法でうまく説明のつく法的現象が少ないような書きぶりです(たしかに、アメリカの文献をみても、刑罰のあり方についてぐらいしか「法と経済学」ではまだ扱われていません)。が、それでも経済的自由はもちろんのこと、表現の自由や平等原則については、「法と経済学」の知見を生かした研究論文が発表されてきています。あとは、憲法学・公法学のメインテーマである国家機関の行為をコントロールする場面において「法と経済学」が果たす役割を明らかにされれば、憲法学・公法学においても「法と経済学」の考え方を生かせる法的現象は多いと思います。

 ともあれ、公法と同時に私法を学ぶ法学部においては、もう「法と経済学」という学問手法、その基盤にあるミクロ経済学を会得しなければならないことがわかる特集記事になっています。とくに渡辺智之先生の「経済学者から見た法と経済学」には「法と経済学」の基本的な考え方と学習案内があります。これから勉強をはじめたいとお考えの方は、この特集記事では一番最後に出てくるものですが、ここから読み始めることをオススメします。

 【追伸】 勤務校のが開花しました。もう春です!

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2010年3月31日 (水)

適用違憲/処分違憲

 くもりです。

 東京高等裁判所は3月29日に、旧社保庁職員が政党機関紙を配布した行為が公務員の政治的行為を制限した国家公務員法違反に当たるか争そわれた「旧社保庁職員赤旗配布事件」(←これ、わたしが勝手にネーミングしました)について、無罪判決を下しました。

 公務員の政治活動に対する制限の合憲性が争われた事例といえば、昭和49年の「猿払事件」最高裁大法廷判決が有名です。今回の東京高裁の判断は、基本的には「猿払」を踏襲しながらも、当時よりも表現の自由は重要であるという認識が国民のなかに深まっている現状を踏まえて、「国家公務員の政治的行為を制限した国家公務員法の規定は合憲」としながらも、今回の旧職員の行為に罰則規定をもつ国公法を適用することは「違憲」とする判決を下したということです(朝日新聞の3月30日の報道による)。

 この東京高裁の違憲判断の手法は「適用違憲」と呼ばれる手法です。適用違憲というのは、法令の規定が文面上は合憲と判断できる場合でも(法令違憲ではない)、それが適用されようとしている訴訟・事件に適用される限りで違憲である、と裁判することです。朝日新聞の解説は、わかりやすくそのことを伝えています。

 ところがそのあと、社会面では「最高裁が判決・決定で適用違憲を認めたケースは戦後、10例しかない」とあり、ここでわたしは「えっ、知らない・・・」と思い記事の続きを見たら、刑事裁判で最後に適用違憲とされたのは1972(昭和47)年の「高田事件」判決、民事事件では1997(平成9)年の愛媛玉串料訴訟である、とありました。

 もうみなさんはお気づきですよね。これらの違憲判断の手法は、適用違憲に似て非なる「処分違憲」という手法ですよね。(もっとも、処分違憲を適用違憲に含めて解説する場合もあるようですから、朝日新聞の記事は一般の人に分かりやすいように説明されたのだと思います)。

 処分違憲というのは、法令違憲や適用違憲の場合のように、法令の規定についての合憲性を問題にするのではなく、裁判を含めた国家機関の権限行使(これをここでは「処分」と呼んでいます)の合憲性を審査し、違憲の判断を下す手法です。愛媛玉串料訴訟は、愛媛県が靖国神社等へ玉串料の名目で公金支出した行為(ここでいう「処分」)を憲法20条の政教分離原則に違反すると判断したのだから、処分違憲の典型例といえます。また、「高田事件」も下級裁判所の刑事裁判手続きが憲法37条の要求する迅速な裁判に違反すると判断したものです。約15年も審理を中断していたことを不作為の「処分」とみれば、「高田事件」も処分違憲の例である、と大学では説明されますよね。

 ちなみに、最高裁の少なくとも多数意見では、適用違憲の例はないのではないでしょうか。よく昭和48年の全農林警職法事件での田中二郎裁判官(←五高出身)他5裁判官の「意見」で示された判断方法が適用違憲の例である、と大学では紹介されると思います。また、下級審判決には適用違憲の例を見ることもでき、さっき紹介した「猿払事件」の第一審判決などが適用違憲の例であるとされます。

 ところで「旧社保庁職員赤旗配布事件」(←あくまでも、わたしが名づけました)は、最高裁に上告されるのでしょうか。朝日新聞の社説(3月30日)には「裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いという」とあります。最高裁がどのような判断をするのか、注目しときましょう。

2010年2月28日 (日)

一般誌で憲法学。

 はれました。陽気も温暖です。

 スピードスケート女子団体「追い抜き」での銀メダル獲得、おめでとうございます。それにしてもメダルは補欠の方には与えられないのでしょうか?

 話は変わりまして、憲法理論については、法律専門誌だけでなく一般誌や他分野の専門誌で扱われることもあります。法律専門誌の場合は、解釈論が意識されている場合が多いのに対して、専門誌以外の場合にはそれがなく、法学嫌いの人でも意外と興味をもって読むことができる場合があります。

 そんな論文のひとつとして、日比嘉高さんが『思想』2010年3月号に書かれている「プライバシーの誕生」があります。

 副題を「三島由紀夫『宴のあと』と文学、法、ゴシップ週刊誌」とするこの論文で、日比さんは、「宴のあと」訴訟の原告の狙いを、「プライヴァシー」という新奇概念を法理論として確立しようとしたことにみます。そして、当時の「肥大化するマスメディアとその暴力性の問題」(54頁)を論点に据えることに成功したことが、原告の勝因であるとします。

 またモデル小説の「虚実の入り交じった記述」(63頁)が「読者の能動的な想像力」(61頁)により小説内の人物を実在の人物と結びつける「危険性」(63頁)が裁判では認定されたといいます。

 さらにこの「人の想像力の前には『公私の区別』が究極的には成り立た」ないので「プライヴァシーの境界はつねに侵犯の危険にさらされざるをえない」ということを、「宴のあと」訴訟は明らかにした、と分析しています。

 日比さんは日本近代文学・文化論を専門としている方のようです。法律解釈論に疲れた方には、文学理論に基づく判例分析というのも、興味深いのではないでしょうか。

 もうひとつ、今度は一般誌『世界』の2010年3月号に、小泉直樹さんが「グーグル・フェアユース・表現の自由」という論文を掲載されています。

 この論文で小泉さんは「日本版フェアユース」(最近では、米国版のものと区別するために「権利制限の一般規定」と呼ばれているようです)や、このブログでも紹介したことがある「3ストライクアウト法」を紹介するなかで、憲法が保障する表現の自由と著作権の「衝突」について、簡便に述べられています。

 小泉さんは著作権法学者です。専門家による一般誌での論文は、その問題の検討をはじめる道しるべを提供してくれます。

 学年末のこの期間、法学部生のなかには法学科目の「洗礼」を浴びて、政治学などへの方向転回を考えている人もいると思います(それはそれで、よいのですが・・・)。でも解釈論だけではない法的問題の見方というのもあるのです。解釈論に疲れた方も、一般誌・他分野のものなどをちょっとみて、今度は法的問題を多角的に見てみてください。

2010年1月11日 (月)

戸籍上の性/生物学的な性。

 曇っています。成人になられたみなさま、おめでとうございます。大学では学部の1、2年生あたりでしょうか。わたしは、はや、2度目の成人式というところです。にもかかわらず(?)、本日は、あす締め切りのお仕事が2つあるため、出勤です。

 はなしは変わるのですが、昨日の朝日新聞1面に「性別変更者の子『非嫡出』」との見出しのもと、つぎの内容の記事がありました。

 性同一性障害をもつ人は、2004年の特例法により、戸籍上の性を変更できるようになっています。この法律に基づき性別を変更した夫と妻が、非配偶者間人工授精(AID)で子をもうけた場合、戸籍上は嫡出子として届け出ることができない、との見解が法務省から出されたようです。

 このAIDという方法は、不妊治療の一環として用いられていて、特例法による性別変更者でない法律婚から生まれた子は嫡出子として届出られているのに、同法による性別変更者の場合には、法律婚であり、かつ、遺伝的な父子関係がないことは前者と同じであるにもかかわらず、非嫡出子となってしまうとのこと。

 このように区別される理由について、朝日新聞が法務省に尋ねたところ、「特例法は生物学的な性まで変更するものではなく、生物学的な親子関係の形成まで想定していない」、「遺伝的な父子関係がないのは明らか」と回答したそうです。

 でも、そもそも上述特例法は、戸籍に記載される性について、それは生物学的な性ではなく戸籍上の(法律上の)性である、との見解のもとにある法律ではいでしょうか。だからこそ生物学的な性によれば婚姻できないカップルの婚姻が、戸籍上の(法律上の)男女であるとの理由で法律婚ができるようになったのであり、そうならば、その法律婚から生まれた子は民法上(法律上)「嫡出子」とすべきではないでしょうか。

 特例法の時点で、戸籍上の性は「生物学的な性」ではなく「法律上の性」であることを容認し、また、不妊治療としてのAIDから生まれた子にも「遺伝的な父子関係がないのは明らか」なのだから、上記の法務省の回答は、論理的に一貫した思考法によるものではないように思うのですが。

 誌上で解説されている先生は「過去に女だったという、戸籍に記載された事実をもとに嫡出子と認めないのは道理が通らない」といいます。たしかに、特定法の効果は性別の記載の変更を認め法律婚を可能にするところまでには及ぶが、その法律婚から生まれた子の嫡出認定には及ばないというのは、特例法を前提とすると、「道理が通らない」ように思います。

 みなさんは、どのように考えますか。

2009年11月20日 (金)

違法ダウンロードと「3ストライク法」

 曇りです。寒くなりました、みなさまご自愛ください。

 本日の朝日新聞朝刊に、インターネットでの違法ダウンロードに対する「3ストライク法」に関する記事がありました。この法律、現在はフランスで実施されているようですが、同じ内容の法律を、イギリスでも導入するようです。

 違法ダウンロードに対する「3ストライク法」の内容は、朝日新聞の紹介によると、つぎの通りです。

 「インターネット接続業者を通じて確認された違法ダウンロードに対し、政府機関が1回目は電子メール、2回目は手紙で警告。それでもやめないと、接続業者に回線を切らせ、最長で約1年間インターネット契約を認めない内容だ」。

 当初の実施には憲法違反の判定がなされたのですが、政府は回線切断の判断を裁判所に委ねる法改正をしたようです。

 一見するとたしかに表現の自由や通信の自由あるいは「インターネットを使う権利」に反するようにも見えますが、それでもこの法規制は、実際にデジタル・コンテンツを不正に入手した者を処罰対象にしています。

 ところでアメリカでは1998年に「デジタル・ミレニアム著作権法」(DMCA)を制定しています。そのおもな内容は、DVDのアクセス・コントロールを回避する装置の開発・ネット上での取引を禁止することです。この法律の合憲性がアメリカで争われたとき、第1審裁判所でも第2審裁判所でも、この装置の開発・取引それ自体を処罰するこの法律は憲法に反するものではない、とされました。

 アクセス・コントロールの回避方法はコンピュータ・コードで書かれています。これも表現の自由の対象であり合理的理由なき規制は許されない、と裁判所は言いました。ただ上述のDMCAは、当該表現行為に対する言論付随的規制であり、立法目的(デジタル・コンテンツの違法複製の防止)の重要性・実質性が認定され、それを達成するために実質的関連性ある手段が法上選ばれているなら、当該法律は合憲であるとされました。

 ところで、審理過程においては、違法複製防止という立法目的を達成する手段としてはコードによる表現行為を規制するのではなく、その装置を用いて実際にデジタル・コンテンツを違法に入手した者を処罰するという、表現行為にとってより制限的でない手段があるとの主張がなされ、その手段の存在を裁判所も認めていました。ところが、それにもかかわらず、DMCAは上述のように合憲であるとされました。

 (この辺りのことは月末に締切が迫った論文でも触れようと思っています)。

 「3ストライク法」についても、その憲法上の疑義をめぐってこれから論争されると思いますが、それでもDMCAよりは、映画や音楽の「海賊版」を防止するという立法目的を達成するために、表現の自由にとってより制限的ではない手段を選んでいる法律であるとはいえそうです。

 (ただ、違法ダウンロードをしたことをインターネット接続業者が政府機関に情報提供する仕組み、また裁判所がインターネット接続業者に回線の切断を命ずるところ。この辺りに通信の自由などとの関係で憲法上の問題があるように思われます)。

2009年11月 2日 (月)

少数意見が社会を変える

 晴れているとはいえ、冷たい風が吹いています。学祭のため、今日は休講です。

Cimg2433 本日の「朝日新聞グローブ」の特集は「少数意見が社会を変える」と題された、最高裁判所の少数意見についての論評でした。

 記事は「グレーゾーン金利」を違法に導いた最高裁判決の少数意見の推移から説き起こし、わが国と米国最高裁の少数意見の内容と、それが多数意見に転じていく様子が興味深く描かれています。

 とくにわが国では滝井繁男元裁判官から泉徳治裁判官に少数意見を書く思想、哲学のとうなものが受け継がれているとのこと。最高裁判決の裏側を見るようなドラマチックさを感じました。

 また米国で男女賃金格差の違法性を訴えたレッドベターさんの、訴訟では敗訴するのですが、その意思が反映された「リリー・レッドベター平等賃金法」がオバマ政権下ではじめて成立した法律として紹介され、この成立にもギンズバーグ裁判官の反対意見の強いインパクトあったとされています。

 さらに、われわれの住む世界とはかけ離れたところにいるように思う最高裁判事。その一日を紹介した「裁判官の一日」では、最高裁判事になると歩くことが極端に少なくなり、「(在任中の)10年間に新しい靴を求めたのは、儀式用の特別の靴だけであった」というような伊藤正己元裁判官の回想といった、お堅い記事だけでなく、裁判官「トリビア」や、日米最高裁の「基礎知識」なども書かれていて、面白い記事になっています。

 さて記事の眼目は〈少数意見が社会を変える原動力になること〉を最高裁判例の中で見ること、というところでしょうか。賃金差別訴訟を戦ったリリー・レッドベターさんの「人が試されるのは、おかしいと思ったことにどう対処するか。一人ひとりが声を上げることで、将来はより良いものになっていくと、信じています」という言葉が紹介されています。法学徒として、この言葉の重さを感じました。

 ところで、最高裁裁判官がどのような法思想、哲学をもち、それを基盤にしてどのような意見を述べているのかという研究は、米国ではよくされていますが、わが国では低調です。でも、たとえば、非嫡出子の法定相続分に関する訴訟、あるいは衆参両議院の定数配分不均衡訴訟などについて、当該訴訟を担当した裁判官がどのような意見を述べ、それが後の事件にどのような影響を与えているのかを分析するのも、興味深いように思います。もしこのブログをご覧になっている3年生がおられたら(もう4年生では遅いでしょうから)、このような最高裁裁判官の意見の推移とその影響についての分析で卒業論文を書いたら面白いのではないでしょうか。

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