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カテゴリー「英米の法理学、米国憲法」の11件の記事

2012年11月 8日 (木)

米大統領選挙。

 少し、温暖な一日です。

 きのう、米大統領選挙があり、オバマ大統領が再選されました。オバマさん、おめでとうございます。

 ところで、昨日のは、「大統領選挙」だったのでしょうか?報道をみていると、合衆国民により、大統領が直接選挙されたようにみえますが・・・

 合衆国憲法によれば、合衆国民は、大統領を直接には選べません。では誰がえらぶかというと、合衆国憲法2条1節1項には、つぎのようにあります。

 「各州は、その議会が定める方法に従って、その州が連邦議会に送ることができる上院議員および下院議員の総数に等しい数の選挙人を選出する。」

 そう、昨日選ばれたのは、この規定にもとづく、「大統領選挙人」だったのです。また、いまではどの州でもこの選挙人は州民の投票で決めていますが、憲法条文上は、そのことは要請されておらず、実際に過去には、州議会が大統領選挙人を選んでいた例もあるとのこと。いずれにしても、きのう、“オバマさんが再選された”という表現は、正確ではないようです。

 じゃぁ、きのう選ばれた「大統領選挙人」は、このあとどうするのかというと、大統領選挙について定めている合衆国法典には、つぎのようにあります。

 「各州の大統領および副大統領の選出人は、任命された後、12月の第2水曜日のあとの最初の月曜日に、それぞれの州の議会が定める場所に集会し、その票を投じる。」

 ということで、本年なら、日本時間で12月18日に、米国時間できのう選出された「選挙人」が、大統領を選ぶ票を投じることになります。では、12月18日に決まるのかというと、またまた合衆国法典には、連邦議会でその票の集計をするのは、1月6日午後1時、とあります。

 ということで、来年の日本時間1月7日に、次期大統領が決定する、ということでしょう。そして、合衆国憲法によると、現大統領の任期は、1月20日正午までなので(修正20条1節)、オバマ大統領の2期目は、来年の日本時間1月21日から、ということになるかと思います(そのさいには、また、大統領就任式の様子が報道されることでしょう)。

 ところで、少し気が早いようですが、合衆国憲法は大統領の3選を禁止していますので(修正22条1節)、このつぎは、大統領交代、ということになります。また、「大統領選挙人」をえらぶスーパー・チューズデーがくるのですが、これにも合衆国法典に規定があります。

 「大統領および副大統領の選出人は、先の大統領の選挙から4年ごとの11月の第1月曜日のあとの火曜日に、それぞれの州で任命される。」

 どうして、こういう規定ぶりなのでしょう・・・。彼の国は、“カレンダー遊び”が好きなのでしょうか?

 

 

 

2012年3月30日 (金)

国民皆保険制度の合憲性。

 きょうも暖かです。ただ、あすは雨模様のよう。

 朝日新聞の朝刊に「民主の看板政策、違憲?」との見出しで、アメリカのオバマ大統領の目玉政策だった「国民皆保険制度」の合憲性が連邦最高裁で審議されているとの記事がありました。

 違憲を主張している側は「議会は、個人を強制的に商取引に参加させる権利はない」と主張しているとのこと。さすがは“自由の国”アメリカ。これに対して合憲を維持したい政府側は「民主的に選ばれた議会の裁量の範囲内」と反論しているようです。

 アメリカでは憲法裁判に連邦裁判官の政治思想が強く影響します。9人の裁判官の「票読み」をする米メディアによると「違憲判決の可能性」が急増しているようです。人種差別政策や人工妊娠中絶の是非にも、最高裁裁判官たちの政治思想が大きく影響しました。

 という裁判所や裁判官任命にともなう「政治性」は措くとしても、「国民皆保険制度」、「国民皆年金制度」について、わが国でも、その合憲性が議論されてもよいのではないでしょうか。不慮の事故やけがに備えて、また、将来の生活のために、保険や年金に加入するかどうか。また、いずれかの保険・年金に加入しなければならないとしても、自由主義国において、なぜ国家が運営する制度に加入しなければならないのか。

 朝日新聞では連邦最高裁で開かれた口頭弁論の様子(通常の事件では1時間ほどしか開かないのに、今回は3日間、計6時間以上の弁論を実施したとのこと)もすこし紹介されていて、そこでキャスティング・ボートをにぎると予想されているケネディ裁判官が個人が政府運営の保険に加入しなければならないことについて「政府と個人の関係を、根本的に変えるのではないか」と政府側にとって厳しい質問をしたようです。

 「国民皆保険」「国民皆年金」、たしかにわたしたちの生活にとって非常に重要な制度で、それを国家が運営してなにがわるいのか、といえそうです。ただ、それに加入しない自由も保障してきたのが、憲法の基本理念のようにも感じます。“よい”/“わるい”政策は相対概念であるだけに、わたしたちの生活にとって“よい”と思われる政策なら“合憲”とはいかないと思います。そこには、それでもわたしたちの自由を制約してよい、という憲法上の理屈が必要になると思います。

 連邦最高裁の判決は、6月末と予想されているようです。本年11月には大統領選挙もあるだけに、大統領選のゆくえにも影響をもたらしそうです。

 【いただいたもの】

Dsc_0028  北海道大学G-COEの紀要誌『知的財産法政策学研究』の第37号をいただきました。いつもいつもありがとうございます。

2011年5月11日 (水)

Regulatory Rights

 朝から強い雨でした。いまはあがっていますが、また降りそうです。

 連休があけ、みなさん連休疲れはありませんか?つぎは夏休み目指して頑張りましょう。ということでブログネタがないので、研究室の本の紹介を。

 著者はボストン・ロー・スクールの教授です。本書は、合衆国連邦最高裁の裁判官は「理にかなった判断」で判決を通じて憲法上の権利を創造する役割を負っているからこそ、誰が合衆国最高裁の裁判官になるのか注目されるのである、といいます。また、裁判官は判決文において憲法条文を参照するけれども、実際には裁判官自らの条文理解に基づき、プラグマチィックに判決を下している、ともいいます。それゆえに、合衆国最高裁の裁判官がなにが憲法上の権利であるのかを確定している、というのでしょう。

 こうした視点から本書では、合衆国最高裁の判例を、とくにソドミー行為を禁止する州法に違憲判決を下した2003年の Lawrence 判決に随所で触れながら、自己の主張を裏づけていきます。憲法上の権利を具現化するために最高裁裁判官の果たしてきた役割が簡便にまとめられています。ざーーーっと目を通しただけですが、いずれ時間をとって読みたい一冊です(って、いつもそういうけど・・・)。

 【きょうのおやつ】

P1010496  同僚先生から札幌ではやている(いた?)という“札幌カリーせんべい カリカリまだある?”をいただきました。そういえば、なぜ北海道・札幌ではスープカレーが名物なのでしょうか。

2011年2月24日 (木)

Nudge

 よく晴れています。温暖な一日です。

 講義などの拘束がなく、洋モノを読んだり、自著の校正をしたりして、まったりと過ごしています。ということで、ブログ・ネタもありませんので、きょうは久々のカテゴリで。

 Thaler & Sunstein, Nudge (2008) を紹介します。最近、わたしの本棚にくわわったものです。

 リチャード・H・セイラー(1945~ )はアメリカの行動経済学者。キャス・R・サンスタイン(1954~ )は、わが国では憲法学者として名が通っていると思います。まぁ、American Legal Scholar はなんでもできますから。

 本書では、人びとの意識を利用して、人びとの行動を right directions へむけることについて、述べられています。

 たとえば、小便器にハエのシールを貼り飛び散りを防いだり、児童がジャンクフードばかり食べないようにカフェテリアのレイアウトをかえサラダに誘導する、というたぐいのものです。

 こうすれば、われわれの「選択の自由」を制限せずに正しき行動へ導ける、というのでしょう。

 興味深い本だと思います。読み手により、いろいろな読み方があると思いますが、わたしはパラパラっとみて、わたしたちの「自己決定」ってなんなんだろう~、と感じました。人格的に自律した個人が合理的な理性にもとづいて・・・、なんて、観念論でしょうか。

 わたしたちの選択もアーキテクチャに影響されているということでしょう。きょうのお昼はセブンで購入しました。わたしが選んだおそばも、自分の意思で決定したものとはいえ、セブンの商品配置に大きく影響されたということですか。正しい方向に導かれたならよかったといえるのですが・・・。

 【きょうのひと言】 あすは全国的に大学入試です。

P1010155 五高日記は受験生を応援しています。こんな感じで、サクラ咲くといいですね・・・。って、ちょっと季節的にソメイヨシノではないまがい物ですが、そこはご勘弁を。

2010年12月14日 (火)

ロールズ・ブーム再来?

 くもりですね。気温は高めです。

 このたび、川本隆史・福間聡・神島祐子の3名の共訳で、ロールズ『正義論 改訂版』の翻訳が刊行されました。サンデル・ブームがわき起こったわが国に、タイミングのよい出版でですが、狙っていたわけではないのでしょう。こうれだけの大書の翻訳ですから。

 ところで、わたしも以前、すこしだけロールズを勉強していました(なんか、遠い目・・・)。もう最近はご無沙汰してしまったのですが、拙い本も出したことがあります。

 中島義道さんが『哲学の教科書』(講談社)を出すとき、とうじブームだった『ソフィーの世界』(日本放送出版協会)の横に置いてもらったら売れた、とのことだったので、わたしも横に置いてみました。

 また、改訂版出版を記念して『週刊読書人』2010年11月26日号では、3名の訳者の方が対談なさっています。

P1000964 わが国におけるロールズ研究の第一人者の川本先生と、若い2人の訳者による興味深い対談です。3人とも、サンデル以上に読まれたらいいなぁ~、との希望を述べられています。

 なんだか年をとったせいか、ロールズの話題に触れると、研究をし始めた頃のことを思い出すようになりました。学部4年生のときに親しくしてもらっていた先生にロールズのことを教えてもらい、1971年刊の原典“A Theory of Justice”を1979年に紀伊國屋から出ていた旧訳を片手に読みはじめました。旧訳の日本語、わたしには難しくて・・・、苦労しました。

 それから修士・博士と関連書も読んで・・・、なんだかあのころはよかったですね。将来に漠然とした不安を抱きながらも、充実した日々だったように思います。もっとも、二度と戻りたくもありませんが(笑)。

 いずれまたロールズを、と思いながら、もう10年たちました。もうロールズ研究者とはいえませんが、いまでもいずれまたロールズを・・・とは思っています。

2010年4月19日 (月)

Justice@ハーバード

 雨が降り続いています。

 ハーバード大学政治哲学教授のマイケル・サンデルの実際の講義の様子が、日曜夜6時のNHK教育チャンネルで放送されています。タイトルは「ハーバード白熱講義」というもので、内容はサンデルが「Justice」について語るというものです。昨日はその第3回目で「“富”は誰ものか」の回でした。サンデルがビル・ゲイツやマイケル・ジョーダンを引き合いに出して、このような億万長者の収入に課税して貧困者を救うことは正義・公正に適うことか、について巧みな議論を展開していました。

 この放送をわたしは非常に興味をもって観ています。

 その第1の理由は、サンデルはわたしが大学院生の頃に少し勉強していたジョン・ロールズの好敵手で、彼がまさに「正義を語る」ところにあります。第3回までで、ジェレミー・ベンサム、ジョン・シュチュワート・ミルに代表さえる功利主義の見解、その弱点を突きつつリバタリアニズムを展開したロバート・ノージックの見解が分析されました。ノージックにすれば、国家による所得再分配政策は、まさに国家による窃盗と同じことなのでしょう。講義中にもこのことが扱われていました。おそらく今後はロールズも扱われることでしょう。そして人びとは「社会のかなで生きている(一定の共通目的のもとで生きている)」ことを理由に、ある程度の自由の制約は許されるというサンデルの見解(コミュニタリアニズム)も表明されていくのでしょう。なんだかワクワクします。

 それにもましてこの番組を興味深く見ている第2の理由は、まさにハーバード大学でのサンデルの講義が公開されていることにあります。つまりサンデルの講義の手法を見ることができるのです。彼は2階席まであるハーバードの教室で、各回の講義を、出席者と討論をしながら進めています。功利主義やリバタリアンの考え方についての最小限の知識を確認した後は、身近な設例をもちいて、学生に質問を投げかけ挙手を求め、その意見に賛成/反対の他の学生の意見を聞く、という形で「Justice」を講じて行きます。その姿は、まさにスター教授の様相を呈しています。NHKで放送される理由がわかります。

 最近は大学でもFD(ファカルティ・ディベロップメント)といい、教員どうしで講義の内容や方法について検討し、ときには講義参観などをしながら、教員の講義手法を高めていくという営みがなされています。とっても、まだまだ本格的ではありませんが。そういう視点からして、自分の講義をTVで公開するというサンデルは、本当に「大物」だと思います。「Justice」について興味をもつ方はもちろんですが、FDに関心のある先生方も、一見の価値ある番組だと思います。

 なおこの番組は上述したように、日曜夜6時にNHK教育で放送されています。同時刻に「まる子」と「サザエ」があるため、わたしはタイム・シフトして観るしかありません。おっと、いらない情報でした。次回の25日は第4回目で「この土地は誰のもの?」をテーマに講義がなされますが、いままでの3回分をお見逃しの方には、第1回を4月24日(土)午前1:15~、第2回を4月25日(日)午前1:05~、第3回を同日の午前2:04~、という具合に再放送がされるようです。番組の詳細を含めてNHKのHPでご確認ください。

 またこの講義は下記の本がもとになっていると思います。わたしはところどころ「つまみ読み」しかしていませんが、いずれ通読したいと思っています。

2010年2月14日 (日)

Active Liberty

 くもりです。寒さが戻ってきました。それにしても上村さんは惜しかったですね。オリンピックという大舞台で、何回も安定した成績を残すことは非常に難しいと思います。7位、6位、5位、そして4位という成績は、世界トップといってもいいのでは。

 はなしは変わって、今日は、Stephen Breyer, Active Liberty:Interpreting Our Democratic Constitution, Vintage Books, 2005. を紹介します。

 著者の Stephen Breyer (1938~ )は、クリントン政権下で任命された(1994年)、現職の合衆国最高裁裁判官です。レンキスト・コート下で、レンキスト首席裁判官やスカリア裁判官といった「保守派」に対立したいわゆる「進歩派」の代表者です。

 本書の「Active Liberty」という題名に込められた意味あい、それが本書を理解する肝でしょう。それは「古典的自由」(コンスタン)や「positive liberty」(バーリン)に対比する概念で、人民を「自己統治」の主体と捉える術語です。この自己統治の概念を憲法および制定法の解釈方法に関連させて提示しようというのが本書の内容です。

 この視点から見たら、ブライヤーが司法に謙抑性(司法ミニマミズムと言ってもよい)を求め、連邦議会の立法に敬譲を示したことがよく理解できます。連邦議会による立法こそ、人民の意思が体現されたものなのですから。

 本書は注や index を含めてもB6判で160頁あまり、日本円で1300円程度で購入可能なので、政治献金規制やアファマティブ・アクションを肯定する「民主党的」(もちろんかの国の)政策と裁判所の判決の関連性を簡便に理解することができる1冊だと思います。

 (なお本書については、日米法学会の学会誌『アメリカ法』2007-2に、岸野薫さんによる解説があります)。

 バレンタインデーのきょう、妻は娘を連れて実家に帰ってしまいました。といっても、単なる帰省です。(だといいのですが・・・笑)。

2009年12月22日 (火)

Congress and the Cnstitution

 寒さも一息つき、きょうは晴れています。穏やかな一日です。

 さてブログのネタがないということで、わたしの「積ん読」本を紹介します。きょうは、Neal Devins & Keith E. Whittington, eds., Congress and the Consttitution, Duke University Press, 2005 です。

 議会は、国民に選挙された代表者で構成されています。したがって、憲法の内容を具体化する役割を果たすことが、憲法上、期待されている(想定されている)はずです。ところが本書は、これまでのアカデミズムがそうは捉えてこなかったことに注目します。そのことはこれまでの学界の研究対象がもっぱら裁判所の判例であり、議会の作り出す法は、そこでは憲法に脅威をもたらすものとされていることに現れている、というのです。

 本書は、裁判所を憲法解釈の機関(憲法の内容を明らかにする機関)と捉えていたこれまでの学界の姿勢を批判的に検討し、憲法の内容を具体化する機関であるはずの議会の意義を再定位しようとする13本の論説からなります。その中では憲法上、大統領の訴追、戦争権限の領域においては議会が憲法問題をめぐる責任機関であるから、その領域では議会が自由に憲法解釈を展開できるはずだと説く Mark Tushnet の論文が興味を引きます。

 いままでは裁判所こそ憲法の有権解釈機関であるとされてきました。それは裁判所に違法審査権が付与されていることから演繹される思考法だと思います。ところが本書は議会こそ、その役割を憲法上負わされているはずだという視点を読者に与える点で、意義深い本だと思いました。

2009年10月25日 (日)

The Lost Promise of Civil Rights

 曇りでございます(のち、雨が降りました)。学会出張、運動会を経て、久しぶりに自宅で過ごす日曜日になりました。

 ということでブログ・ネタがないので、「積読本」の紹介を。今日は、Risa L. Goluboff, The Lost Promise of Civil Rights (Harvard University Press, 2007) です。

 本書の著者 Risa L. Goluboff は、ヴァージニア大学の法と歴史学(法制史)の教授です。本書は、歴史学の Ph.D をもつ著者によるブラウン判決の歴史的意義についての実証研究です。

 合衆国では南北戦争後、奴隷制度が廃止され、合衆国憲法にも平等保護を目的とした条文が規定されたにも関わらず、南部では20世紀に入ってからも人種差別が横行していました。その原因は、平等保護の意味あいを曲解したプレッシー判決にあったのかもしれません。

 Plessy v. Ferguson (1896) は、人種分離制度それ自体は温存する判決内容をもちます。すなわち、学校、乗り物、レストランなどといった各種施設において黒人などの利用を拒否することは許されないのですが、黒人用/白人用を分離し、それぞれが同じ条件の設備をもつなら平等保護条項には違反しない、としたのです。いわゆる「分離すれども平等」なら許されるというのです。

 この「分離すれども平等」政策の容認を否定したのが Brown v. Board of Education (1954) です。本件は小学校での人種別学制を違憲とする判決を下し、以降、人種統合を目指して busing を実施したと聞きました。わたしが学部生時代にこの話を講義で聴き、英語辞書で busing を引いたことを思い出します。busing には「人種差別をなくすために黒人と白人の比率を適正化した人種共学を実施するための強制バス通学」という意味がるのです。

 本書はこのブラウン判決が出た当時の人種分離制度をめぐる訴訟状況や黒人労働者の生活環境から説き起こし、ブラウン判決のその後の合衆国社会に与えた影響を分析したものです。「積読本」なのでまだ中味を精読していませんが、この本にはつぎのような意義があると思います。

 公民権運動といわれて通常想起するその権利内容は、いわゆる参政権的なものだと思います。ところが黒人労働者の現実の生活を想起するなら、参政権的な意味での公民権ももちろん重要なのですが、なによりも政府による生活保障、労働者としての権利の獲得が重要だったのです。本書はエリート的な公民権運動ではなく、黒人、少数者が本当はなにを求めたのか、そしてブラウン判決以降の合衆国社会がその「声」に耳を傾けてきたのか、これらを再考する切っ掛けを与えてくれる本だと思います。 

2009年8月 4日 (火)

Media Concentration and Democracy

 晴れ、暑い、暑い。昨日は、雷が鳴ったり、地震があったりで、忙しい晩でした。

 今日の「積ん読」本は、Edwin C. Baker, Media Concentration and Democracy:Why Ownership Matters, Cambridge U.P., 2007. です。

 著者のBakerは、現在、ペンシルヴァニア大学LSの教授です。言論の自由を中心に研究を進めているBakerは、1980年代にはロールズとサンデルに関する研究があり、また近年は言論の自由と著作権との関係にも研究の触手を伸ばしています。なんとなく親近感を覚えます。

 本書は、アメリカのメディア法政策におけるメディア所有規制の基礎づけを検討したものです。

 彼の国ではかつてはFCC(連邦通信委員会)が、放送における電波の希少性、社会的影響力という特性を理由に、広範な規制(とくに内容規制)を行っていました。ただ、CATVや衛星放送の発展により、電波の希少性が解消され、特定メディアの社会的影響力も限定的になったために、1996年の電気通信法制定以降、一転して規制緩和に向かっています。この規制緩和論を主導したのが、いわゆる思想の自由市場論者でした。思想・情報が自由に市場に提供されているなら、その内容の当否については国民が判断できるので、政府の役割は市場への参入障壁を撤去すること(そこには政府自身による規制も含まれる)である、という考え方です。

 ところが、Bakerは、規制緩和によりメディアの集中状況が生まれている、と自由市場論を批判します。民主制の下、視聴者の利益および公共の利益を増進させるためには、議会・政府にメディア規制の積極的役割がある、と彼は言います。その根底には、メディアの自由は自然権的なそれではなく、憲法上の制度としての権利である、との思考法があります(わが国では、東大の長谷部先生が「公共財としての人権」として分析されています)。この見解によれば、当該権利は社会・公共の利益のために憲法の保障を受けるものであり、メディア所有の分散化をもらたす法政策も、民主制の充実・発展という公益から基礎づけられるというのです。

 憲法の講義でもお話しするように、トーマス・I・エマソンは、言論の自由の価値について、①自己実現、②自己統治(民主制)、③真理到達(思想の自由市場)、④社会的安全弁、をあげて説明しています。わが国ではあまり議論されませんが、アメリカでは、このうち、民主制を重視するのか、それとも思想の自由市場を重視するのかで、議論が分かれています。本書でBakerは、民主制論を重視し、その視点からメディアへの一定の規制(ときに内容規制もあるか)の正当性を論じています。彼の目的は、ロナルド・レーガン政権以降、主流派となったメディア規制緩和論(自由市場論)への批判書を、言論市場に提供することだったのです。

 本日はこれから憲法Ⅱの定期試験があります。明日から鬼のように(鬼になってではない)採点します。

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