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カテゴリー「憲法Ⅱ(統治機構)」の11件の記事

2017年5月22日 (月)

憲法Ⅱ(第11回)。

 半期4単位の憲法Ⅱは週に2回あるため、もう11回。でも、3回分くらい、遅れているか。とくに、きょう、一生懸命しゃべったわりには、進まなかった。もうしわけありません。

 と同時に、いつもにくわえて、抽象的議論のオンパレードだったと思います。判例や法令の解釈の基盤、背景にある法理論こそ重要なのですが、まぁ、そこは難解なものだとわりきって、判例・法令の解釈に直接関係あるところだけを抽出して理解につとめてください。

 (0) SBSでは、日本国憲法における直接民主制の評価、イギリスの議会任期固定法(2011年制定)、公選部門が非公選部門を統制すべきであるという「民主的コントロール」論、といったお堅いところから、眞子さま報道についてまで、はばひろい質問をもらいました。プリントを参照し、もしわからなかったら、また質問ください(口頭でもOKです)。

 (1) で、本論ですが、衆議院議員定数不均衡訴訟に関する昭和51年の大法廷判決は、実に、重要な判例です。ここでくり出されたさまざまな「法理論」のすべてをその背景まで理解できたなら、統治機構論の相当部分を理解できたといっても過言ではないと思います(少なくとも、半分以上は理解できたはずです)。だからこそ、この判決内容をモデルにした定期試験問題を平成27年度の憲法Ⅱでは55点で出題しています。ぜひ、Moodleにアクセスし、過去問集のところからダウンロード等するなどして、十分に検討してください。

 (2) ようやく「総論」がおわり、統治機構論の本体部分にはいりました。わたしの青本は、統治機構論をまず「政治原理部門」(国会、内閣、地方政府)と「法原理部門」(裁判所)にわけて論じています。さらに、そのうちの「政治原理部門」は、法律制定(国会)、執政(内閣)、財政(内閣、国会)、地方統治(地方議会、地方政府)という作用を、「法原理部門」は司法、違憲審査(いずれも裁判所)という作用を担っていることを意識して記述しています。目次を眺めるだけでも、日本国憲法の統治機構論の全体像がわかるので、時宜に応じて目次を参照してください。

 (3) そして、まず「国民代表機関としての国会」というテーマの下、「代表」概念についてお話ししました。日本国憲法は代表民主制(間接民主制)を採用しているのですが、そこにいう「代表」概念については、おおきくわけて「命令的委任代表」(選出母体の意思に法的に拘束)と「自由委任代表」(代表者に選出母体による法的拘束なし)にわかれることを説明しました。

 さらに、日本国憲法における「代表」は自由委任代表であると思われるけれども、その純粋形態は「統治者/国民」となる法理論であるので、両者の間に事実上の一致を求める「社会学的代表」が通説的見解であるということも述べています。うえに日本国憲法の代表観はおおきくわけて2つであると述べたのは、この社会学的代表は、純粋代表の変種であると、わたしは理解しているからです(ということで、3つあるとする論者もいるはずです)。

 うえの「代表」概念を語るのは、憲法条文で言えば、43条1項と51条の法的意味が何であるかを検討するときに必要になるからです。この両条文の意義は、つぎのように説明することができると思います。

 ① 43条1項-国民の代表。どの選挙区から選出されても、その選挙区の利益を代表し絵居るのではなく、全国民を代表しているということ。実体としてこういうことはあり得ないので(利害を共通にする「国民」という統一体は存在していない)、この条文の法的効果は、選挙区の利益に反する行動をした議員に対する解職請求制(リコール制)を否定することにある

 ② 51条-免責特権。議員としての活動に法的責任を負わせないことを制度として保障している。

 (4) そこで、最後に【Q】として、地方自治法80条1項のような制度を国会議員に導入することはできるか、という問題を付しておきました。上を参照して、理由をふして、答えてみてください。

 (5) ということで、日本国憲法がとっている「代表」観は、自由委任代表(純粋代表)又はせいぜいその変種であると思われるのですが、そう考えるとすると、いくつかの問題が生じます。それがプリントP26に書いてあることです。次回は、そこから講義を再開します。

2017年5月18日 (木)

憲法Ⅱ(第10回)。

 きょうも sun。憲法Ⅱ日和 good

 ということで第10回講義のレビューです。ただ、なんかきょうは(も?)講義があんまちり進まなくてごめんなさい。

 m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン

 講義が進んでいかない原因は何でしょうね。「法セミ」のPRに時間をとったか、それとも、昨夜の「意見交換会」の話が長かったからか、、、

 (0) いま講義で扱っているところが統治と政治が混在(それが「統治機構論」の特徴でもあります)しているところなので、SBSも統治と政治が混在している質問が多かったですね。わたしが「これは政治の問題ですが」といいつつお話ししたところは、わたし専門家ではないので、是非、いろいろな先生の意見を聞いてみてくださいね。

 ここで内閣による解散のタイミングの話をしたのが、講義が進まなかった原因かもしれませんね。

 (1) 衆議院の解散については、内閣は、どのような憲法上の根拠、論拠に基づいて衆議院を解散できるのか、についてお話ししました。

 ① それには、まず69条限定説があります。非選出機関である内閣を選出機関である国会(衆議院)の下に置こうとするこの説は、内閣が憲法上衆議院を解散できる根拠と条件を明確に示しているだけに法的には説得的ですが、実務的にはありません(過去23回の解散のうち5回しか69条解散はありません)。

 ② で、69条非限定説ですが、それは、以下3つに分かれます。

 ⅰ) 7条説。ただ、7条に列挙されている天皇の国事行為は、すでに7条以外の憲法上の根拠、論拠により形式的行為になっているはずなので、7条を根拠に内閣は衆議院を解散できるとは言えないと思います。また、かりにそうだとすると、この根拠に基づく解散を統制する(非選出機関を選出機関の下におく)法理論はないことになります。ただ、実務的にはこの説にたっていると思います(したがって、解散は無条件に行い得る)。

 ⅱ) 65条説。立法作用でも司法作用でもない解散は行政作用であるとするこの説は、安直な感じがしますね。また、65条権限を天皇大権に由来する執政権であると考えて衆議院解散も内閣の執政権行使であると考えることはできると思いますが、そうすると、やはり選出部門の統制は及ばない権限になってしまうと思います。

 ⅲ) 制度説。そうすると、日本国憲法は議院内閣制をとっているのだから内閣には解散権があり、69条の規定みると解散を当該法上の場合に限定するようには読めないから、憲法が議院内閣制をとる以上、内閣は衆議院を解散しうるとする制度説が残ります。これ、説得的のようなそうでないような、、、ですが、内閣の解散権に限界を画そうとする下の法理論は、議院内閣制に関する責任本質説と解散権に関する制度説に基づいて説かれてきていると思います。

 ③ 内閣の解散権行使は議院内閣制の下、「統治方針一致の原則」が崩れたとき限定されるべきである、と考えられています。具体的場合については、青本P127~P128を参照してください。

 (2) つぎに「選挙と選挙制度」の項目(プリントP22中ごろ)にはいって、選挙権の法的性質について「権利一元説」と「(義務と権利)二元説」があること、後者が通説的地位にあることをお話ししました。この説によれば、権利能力以外に、国家機関につく資格として一定の条件を求めても憲法に反しないことになります(参照、公選11条、同252条)。

 (3) つづいて、日本国憲法における選挙の原則について、お話ししました。

 ① 普通選挙の原則(15条3項)- これは制限選挙制を否定するものです。制限選挙は、誰が国家代表にふさわしい人物かを適切に判断するためには、一定の経済的余裕、教育、見識が必要だという理由で正当化されていたことがあります。ただ、その真意は、為政者が、当該社会で長期にわたって差別や不利益扱いの対象となってきた集団(社会的少数派。必ずしも人数の多寡の問題ではない)の反体制的・反政府的投票を恐れて、彼らを選挙から排除することにあった、と解説されています。

 ② 平等選挙の原則(14条1項、44条)- 有権者の選挙権の内容に格差を設ける選挙が「不平等選挙」ないし「等差選挙」と呼ばれます。平等選挙の原則はこれを否定するものです。歴史的な例としては「男子普通選挙制」のもとで、35歳以上で妻子があるなど、一定の要件を満たす有権者に3票までの投票をみとめたベルギー下院選挙法(複数選挙制)や、有権者を納税額によって3グループにわけ、少人数の高額納税者に圧倒的多数の低納税学者と同数の下院議員を選出する権利をみとめていたプロイセン階級選挙制度が有名です。

 ③ 直接選挙の原則(国政レヴェルについて明記なし。地方公共団体の長や議員について93条2項) - 間接選挙制、複選制(それぞれ青本P135)を否定。有権者が「中間選挙人」を選出し、中間選挙人が公職就任者を選出する制度が間接選挙制。また、市議会議員が市長を互選する仕組みのように、ある公職者が別の公職者を選出する制度が複選制です。

 ④ 自由投票制、⑤ 秘密投票制(15条4項)については、青本P136でそれぞれ確認してください。

 とくに、選挙の公務性(二元説)を勘案すると、棄権に制裁を科す強制投票制(義務投票制)の導入の可否ついては、争いがあります(強制投票制の例として、オーストラリア、ベルギー、シンガポール等があります)。

 (4) 議員定数不均衡の問題については、途中で鐘がなったので、次回にもう一度お話しします。その際、衆議院議員選挙に違憲判決を下した昭和51年の最大判をとりあげますので、百選Ⅱ-153(できれば民集30巻3号223頁)を熟読してきてください。そのさいに注意すべき点を列記すると・・・

 ① 訴訟提起段階では、これが「法律上の争訟」(裁3条1項)といえるか。参照、公選法204条。但し、典型的な公選法204条訴訟ではない。

 ② 本案審理段階

 ⅰ) 被告は統治行為論(青本P276)を展開 → 司法審査権の限界の問題。

 ⅱ) 相対的平等 - 議員定数不均衡問題の本質は何か。地域(居住地)による較差に合理的理由があるか。

 ⅲ) 定数配分にあたりなぜ人口的要素ではなく行政区画等の非人口的要素に配慮してよいか - ゲリマンダーの防止。

 ⅳ) 一定の較差で「違憲状態」。なせ「違憲」でないのか → 合理的期間論

 ⅴ) 合理的期間を経過して「違憲」。しかし「無効」ではない。

 ・「憲法の所期しない結果」とは。それはなえ生まれるのか。

 ・ それを回避するために「事情判決の法理」。とは?

 講義ではまだやっていないところが多いので、予習として青本のP137~P140を読むさいの参考にしてください。

 

2017年5月15日 (月)

憲法Ⅱ(第9回)。

 sun 沖縄が本土に復帰して、45年を迎えたこの日の憲法Ⅱのレビューをします。

 (0) まずは、SBSから。

 ① 日本国憲法は三権分立(完全分離型の権力分立)を採用していない、とくり返しくり返し講義してきました。これとの関連で、では、なぜ「日本国憲法は三権分立をとっている」と説明されてきたのか、という質問がありました。これに対するわたしの回答は青本P118(3)を読んでください。そこには、司法権も政治的権力である立法権や行政権(正確には執政権)と同質の国家作用を担うものであると誤解したことが原因である、としていあります。

 国家の統治権を三分割する、というか、3つしかない、と考えるのは誤りです。立法権は、、、行政権は、、、司法権は、、、というけれど、では、外交権や財政権とかは、どこにいってしまったのでしょうか、と講義しました。

 ② アメリカの大統領はなぜ「拒否権」という強力な権限をもっているのですか、という質問もありました。拒否権の根拠条文は合衆国憲法1条7節2項です。

 で、これに対するわたしの回答は、ひとことでいえば「民主制に対する警戒である」というものです。アメリカは民衆の力が革命を起こしたことを目の当たりにしているので(フランス革命、独立戦争)、なによりも民衆の力、それを代表する議会権限の発動を警戒して憲法を制定しています。だから、議会権限は1条8節に列挙されているものとしているのに対し、大統領権限は2条1節に包括的規定をもつのみです。ということで、議会権限が暴走しないように、大統領にそれを阻止する権限を与えているのです。

 これに対して、日本国憲法はデモクラットであったGHQが制定しているので議会権限を信頼すると同時に、天皇権限を引き継ぐ内閣権限を警戒したつくりになっています。国会権限は41条に包括的に規定されているのに対し、内閣権限は65条だけみると包括的のようですが、内容は73条に列挙されています。

 但し、内閣は65条の「行政権」(正確には「執政権」)や73条1号の「国務を総理する」権限に基づき、国家統治に関する包括的な権限を有すると解さざるを得ない、と思います。統治のプラクティスからして当然である。これも講義しましたよね。

 ちょうど、合衆国憲法と日本国憲法とでは、政治的権力の担い手に関する警戒場所が対照的なのです

 ③ 今回もいつもと同じようにその他にも注目すべき質問をもらいました。「かえってきたSBS(8)」を(誤字脱字をなおしつつ)熟読してみてください。この作業を講義ごとにくり返してくれれば、みなさんの「憲法する力」は必ず向上すると思いますので。

 (1) 本論にはいってですが、なんだか、進捗状況がはかばかしくないですね。結構、一生懸命に講義しているわりには、進まないというか、、、

 ということで、まずは、日本国憲法にみられる権力分立についてお話ししました。そこでは、前回お話しした立法作用に関する相互作用型の権力分立にくわえて、

 ① 財政の中心である予算制定過程においても、内閣に作成権・提出権(73条5号)、国会に予算決定権(60条)という相互作用型の権力分立がみられる。

 ② 同じように、外交の中心である条約締結過程においても、内閣に条約締結権、国会に条約承認権(73条3号)という相互作用型の権力分立がみられる。

 などと講義しました。また、統治権そのものについても、中央政府と地方政府(第8章)というかたちで権力分立を構想していることをお話ししました。

 (2) こうした伝統的な(教科書レヴェルでの)権力分立論を一応理解したでしょうから、つぎに、すこし統治の現実のプラクティスとの関係で問題となっているいくつかの点について自学してほしいと考えたのが、プリントP20の(6)にある【Q】です。「権力分立の変容とは」について、行政国家現象政党国家現象司法国家現象という問題との関係で考えなさい、というのがそこでの課題です。

 その課題の問題それぞれについて、①〇〇国家とは何か、②権力分立との関係で何が問題か、③どうすれば(どう考えれば)よいか、を、青本P119~P121などを参考に記述しておいてください。

 講義でもお話ししましたが、ヒントをいうと、

 ① 行政国家現象との関係では、専門官僚団の権限をいかに統制するか。

 ② 政党国家現象との関係では、インフォーマルな「擬似国家機関」をいかに統制するか。そのことは、憲法21条で保障されている結社の自由との関係で、どのように考えればよいか。

 ③ 司法国家現象との関係では、政治原理部門の権限行使を裁判所が統制すべきか、それは、裁判所が統治することにならないか、抽象的審査権を認めることにならないか。

 (3) つぎに、議院内閣制について。これは、すでに何度かお話ししているテーマなので、定義はいいとして、同制度は、実は、憲法上の明記されていません。そこで、どのような憲法上の制度、規定があると(論拠)、それをとらえて「議院内閣制を採用した」と評価するのかについては、いくつか学説があります。そのうち、有名なのが、講義でもお話しした、責任本質説と均衡本質説です。

 ① 内閣の存立が国会(法的には衆議院)の信任に依拠していることをもって議院内閣制であるとする説を「責任本質説」といいます。つまり、63条、67条1項前段、68条1項後段などが、議院内閣制の論拠であるとするのです。

 内閣の統治は常に国会の下に置かれるべきであるとするこの説が学界では有力だと思います。法学界もまだデモクラットが通説的地位を占めていると思われるので。

 ② これにくわえて、国会(法的には衆議院)の不信任議決権をそれに対する内閣の衆議院解散権が法定されていることに議院内閣制の論拠をみる学説を「均衡本質説」といいます。つまり、69条が、議院内閣制には本質的であると考えるということです。

 この違いは、内閣による衆議院解散の論拠の問題と関係します。つまり、内閣は、いつ、どのような場合に、衆議院を解散できるのか、という問題です。

 (4) これについては、① 69条限定説と、② 69条非限定説にわかれたあと、② については、さらに、(ⅰ) 7条説、(ⅱ) 65条説、(ⅲ) 制度説に分岐しています。①の69条限定説については、それなりにお話ししたのですが、次回は、もう一度、そこから講義します。

2017年5月11日 (木)

憲法Ⅱ(第8回)。

 sun

 きょうも無事、講義を終えることができました。ということで、第8回目の憲法Ⅱのレビューです。

 (0) まず、SBSでは、

 ① 司法権(76条1項)、「法律上の争訟」(裁3条1項)、そして、判例上確立している「事件性の2要件」の関係、理解について、いくつかの質問に回答しました。興味深い質問もありました(刑事事件との関係とか)。

 いずれにしても、青本P269以下でもう一度やりますので、いまはまずは、この法理論が日本国憲法が裁判所という国家機関に付与した「司法権」という国家権限の範囲を画する法理論である、と理解していください。また、この講義が重視している視点から換言するなら、司法権の行使が許される事件・紛争の範囲を画する(私的自治の領域への不介入、政治的問題回避)ことで司法権の行使を限定する法理論であると理解しておいてください。

 ② 上のとの関係では、行政事件訴訟法に規定された抗告訴訟のうちの取消訴訟について、長沼事件を例にお話ししました。ぜひ、行訴法2条、同3条1・2項、同9条1項について、復習してください。そうすると、なぜ長沼事件の控訴審が原判決を取り消したのか、わかるはずです。

 ③ SBSには恵庭事件でとられた「憲法判断回避の原則」のように、司法権が政治的中立性を維持しようとするのはわかるが、では、わたしたちは統治・政治の是正ついて憲法判断を迫ることはできないのか、という質問もありました。これについての、わたしの回答は、講義でお話ししたように、政治的判断への評価を求める先は「政治原理部門」(国会や内閣)であって、個人の権利救済を任務とする「法原理部門」(裁判所)ではない、というものでした。日本国憲法が国家機関にあたえた役割を意識して、青本は、第Ⅰ編「憲法総論」のあと、第Ⅱ編は「政治原理部門」、第Ⅲ編は「法原理部門」とすることで、国会と内閣は連携して政治的権力を行使しつつ統治にあたる国家機関、裁判所はそれを隔離されて個人の権利を救済する国家機関としている、ともお話ししました。

 本編は、きょうから「5 日本国憲法の統治構造」というテーマにはいりました。

 (1) まず「法の支配」とは、人による権力行使(人の支配)を法によって統制しようとする統治原理のことである、としました。ところが、実際に統治に従事するのは法ではなく人。ということで、法の支配は、人為による統治を人為でないものに従属させることを内包する法原理のはずです。

 では、法の支配にいう「法」とは何か。ただし、管見の限りこの記述に成功した人はまだ出ていない、ともお話ししました。

 (2) ただ、まず、法の支配にいう「法」とは何らかの「あるべき秩序」のような実体的なものではない、と述べました。なぜなら「あるべき秩序」といのは、必ずそれを説く人がいるはずで、結局は人為的なもののはずです。法の支配とは、この人為的なものを統制する法理論のはずなので、法の支配にいう「法」とは、形式的、手続的なもののはずである、というところまではわかっている、と述べました。また、「あるべき秩序」というのは、百家争鳴ですよね。どうやって別論を説く人を説得するのでしょうか。その道具が「武力」であったことを歴史は知っています。

 (3) ということで、わたしのいまの知力・力量で説けるぎりぎりのところが、青本P115にあるものです。わたしは、そこで「法の支配にいう『法』とは、国家機関間の権力行使に関する謙抑的な実践の中から浮かび上がってくる規範である」とだけ述べています。

 これがいまのわたしの限界です。みなさんに統治論を説く者として申し訳なく思います。

 (4) また、法の支配の要請として、つぎの原理があげられるとも講じました。それは、一口で言うと、法には「一般性」(特定の者に向けられていない)、「抽象性」(特定の事例に向けられていない)が備わっていなければならず、そして、それらの性質をもつ法が事前に決まっていなければならない。

 こうして、法の支配のお話しを一応終えた後、日本国憲法上の権力分立論へと講義は進みました。

 (5) 日本国憲法が採用している権力分立は、きょうの講義をお聞きになれば、三権分立(立法権を国会に、行政権を内閣に、司法権を裁判所に)ではないことは理解できた、と思います。

 日本国憲法が採用した権力分立の型は、ある権限の行使について複数の国家機関の関与を要請する「相互作用型」の権力分立です。

 (6) 権力分立を唱えたとされているモンテスキューは、立法作用こそ市民にとってもっとも恐ろしい国家作用であると考えました。なぜなら、立法作用は、直接、市民の権利を制限したり、市民に義務を課したりすることができる国家作用であるからです。というわけで、日本国憲法における立法作用の発動をみると、

 ① まず、憲法41条は立法権を国会に与えています。ただ、この立法権は、衆議院参議院という二つの国家機関に分属させられています(憲42条。二院制。「国会」という機関は憲法上に規定がありながら存在していない)。→ すでに、上のように、ある権限の行使について複数の国家機関の関与を求めていることがわかりますか。

 ② つぎに、立法作用の本体は何かと考えると、それは、審議、議決作用であろうと。この部分は憲法41条によって国会のみに配分されているはずである(「唯一の立法機関」)。

 では、審議前の法律案提案を考えてみると、この提案権が憲法上、議員にあることは疑いないであろうと。国会法56条1項はこのことを制度化している。

 じゃあ、内閣や内閣総理大臣には法律案提案権が認められるであろうか。

 まず、内閣総理大臣については、憲法72条に内閣総理大臣は内閣を代表して国会に対し議案を提出できるとされている。で、この「議案」には法律案が含まれると考えればよい。

 では、内閣はどうか。内閣については、憲法73条1項が「国務を総理する」権限を与えており、そこに法律案提案権が含まれると考えられる。

 ということで、内閣総理大臣や内閣まで立法作用に関与していることがわかる(このことは内閣法5条で実務的には解決済み。閣法)。

 ③ さらに、提案→審議→議決された法律には、憲法74条により主任の国務大臣の署名惟と内閣総理大臣の連署が求められています。

 ④ ところで、国会は常設国家機関ではありません。召集から決められた会期の間でのみ活動能力をもっています。で、この召集は誰がするかというと、憲法7条2号は内閣の助言と承認のもとで天皇がする、としています。

 ⑤ 最後に、法律の施行は公布が要件とされています。この公布をするのは、憲法7条1号により、やはり天皇です。

 どうです、日本国憲法は、立法作用について、複数の国家機関が関与することを求めていますよね。これが、日本国憲法上の権力分立の型です。それは三権分立ではないのです。

 (7) しかも、日本国憲法は議院内閣制を採用しています。議院内閣制は、次回講義でもう一度お話ししますが、それは、国会と内閣の間の統治の方針が一定していることを制度として確保しようとする統治制度、と定義することがえきると思います。

 日本国憲法は内閣総理大臣を国会議員のなかから選ぶことを求めています(67条1項)。そして、その内閣総理大臣が内閣を組織するのですが、その過半数は国会議員の中から選ばなければなりません(68条1項)。実際には、ほぼほぼ国会議員で内閣が組織されています。

 ということで、わが国の統治制度は、国会議員のリーダーたちで内閣を構成することを要請しているのです。議院内閣制は、国会と内閣が分立するどことか、連携して統治にあたることを要請する統治制度なのです。

 議院内閣制の下における権力分立が三権分立ではない、また、国会と内閣は分立しているどころか連携している。目から鱗が落ちましたか

 (8) そのほか、形式的法治主義と実質的法治主義との違い、実質的法治主義は法の支配と同視されていることもあるけど、ちがう! ということをお話ししています。プリントのP18~P19、青本P113あたりで確認してください。

 

2017年5月 8日 (月)

憲法Ⅱ(第7回)。

 suncloud。蒸してる。連休も順調にあけて、ちょうじょうちょうじょう。

 で、第7回「憲法Ⅱ」のレビューです。

 (0) まずはいつものようにSBSから。

 ① 昨年8月8日の天皇の「退位表明」は、国事行為なのか、公的行為なのか、という質問。まず、国事行為は憲法6条・7条に列挙されたものだけなので、国事行為ではないですよね。では公的行為か。何か公的行為に該当するのかについての法令の規定はないので、不明確ですが、通常の公的行為とされているもの(国会開会式での「おことば」とか地方巡幸とか)と比べてみると、「退位表明」はやはり違うのかと。では、何か。

 講義では、誕生日のときの定例会見のようなものと法的効果は同じはず・・・とお話ししました。ただ、皇位継承について何らかの意見を表明し、それは意図したかどうかわかりませんが(意図すべきであり予想できたとも思いますが)その後、政府がそれについて対応したところをとらえると、やはり政治的行為をしたと評価されざるを得ないのでは、としました。みなさんは、どう思いますか。

 ② また、国連憲章や国際法の履行確保についても質問がありました。これについては、さすがに国際法や国際関係論(国際政治学)で聞いてください、とお答えせざるを得ないのですが・・・。通常の国内法なら国家刑罰権を背景に履行確保ができますが、国際法規の履行確保は国際機関によるなんらかの「制裁」等、必ずしも「軍事的措置」によらない履行確保の方法が継続的に模索されている、としておきました。

 国内法なら国家刑罰権で履行確保ということですが、法の履行確保方法はこの単純なものだけでなく、非暴力的、実力行使を伴わないものもある。こうした視点は、法学にとって非常に重要です。違法ならすぐ刑罰で、と、単純なものではないのです。刑罰、軍事によらない法の履行確保の模索について、是非、国際法等で学んでください。

 そのほか、たくさんの質問をありがとうございました。配布した「かえってきたSBS」で確認してください。

 で、本篇にはいって、

 (1) きょうは「自衛権」のお話しからはじめました。自衛権とは「外国からの急迫または現実の違法な侵略に対して、自国を防衛するために必要な一定の実力を行使する権利」である、としました。その行使要件としては、① 必要性の要件、② 違法性の要件、③ 均衡性の要件があり、これら3要件を満たす実力行使は憲法が禁止している武力行使ではない、とも講義しました。

 (2) つぎに、個別的自衛権と集団的自衛権との違いについて。

 ① 個別的自衛権とは、(ⅰ) わが国に急迫不正の侵害があって、(ⅱ) 他にこれを防衛する手段がなく、(ⅲ) 必要な限度の実力行使にとどまっているものです。この「自衛権」は、国家である以上、不可譲であり、したがって、法令によって放棄を規定できない(かりに規定していても効果をもたない)であろう、と講義しました。

 ② これに対して、集団的自衛権とは、その典型的は形態のものは、自国と密接な関係にある外国への武力攻撃を、自国が直接には攻撃されていなくても、実力をもって阻止する権利のことである、と定義しました。

 ③ ところで、国連憲章51条は、自衛権について、個別的自衛権も集団的自衛権も「固有の」ものであると規定しています。この点については、たしかに、個別的自衛権は国家を構想する以上、固有のものと言えそうです。ただ、集団的自衛権については、安全保障上の問題について「大国一致の原則」(憲章27条3項)をとる国連への加盟国を慫慂するための「国際政治上の思惑」(青本P95一番下)、決して「固有の」ものではないとわたしは考えています。

 ④ 日本国憲法下における自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限られるとする憲法解釈が確立した後、2014年には、当時の内閣が集団的自衛権の行使を認める閣議決定を行いました。この内閣の閣議決定による憲法解釈の変更は、憲法慣習法として成立しているであろう規範の意味を代表者によって組織される国会による議論を経て変更したものではないので、憲法上は許されるものではないと思います。

 ただ、内閣のいう集団的自衛権は、上の②で定義した典型的な意味におけるそれとはどうも違うようです。なぜなら、内閣は、つぎのように言っています。(ⅰ) わが国またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされることで国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が認められる場合で、(ⅱ) これを排除しわが国の存立を全うし国民を守るために他に適当な手段がなく、(ⅲ) 必要最小限の実力行使にとどまるならば、憲法9条の下でも自衛権行使は許されている、と。

 自衛権とは国家の権利のはず。自国民の救助は、それこそ、われわれが国家という統治体を構想している本質的な理由であるはず。これを自衛権の行使の正当化理由とすることには大いに疑問があります。

 (3) そして、講義は、9条、自衛隊をめぐる裁判例の紹介にむかいました。

 ① まず、最大判昭34・12・16の砂川事件。この争点は、駐留米軍の合憲性(9条2項の「戦力」に該当しないか)。最高裁は、9条2項が禁止する「戦力」とは、わが国の政府に指揮権、管理権があるものを指すという論理により、駐留米軍はこれにあたらない、と判示しています。

 なお、刑訴規則による跳躍上告前の原審は、駐留米軍を憲法に反すると判示しています(伊達判決として有名です)。

 ② つぎに、札幌地判昭42・3・29の恵庭事件。この争点は、当初は、自衛隊及び自衛隊法の憲法9条適合性におかれていたと思われました。ところが、判決は、通信線を切断するという行為は、自衛隊法121条の構成要件に該当しない、とするもので、自衛隊の憲法適合性について何らかの判断がなされるを考えていた周囲にとっては、まさに「肩すかし判決」でした。

 ところが、権力分立制下における司法審査には民主的正当性に関する疑義があり、この疑義を解消するために、付随的審査制を採用していること、「憲法判断回避の原則」(本件はこれ)や「合憲限定解釈」という法理が判例法理として導出されていることを講義しました。是非、このあたり、板書したことと、青本P322~P323で復習しておいてください。

 ③ さいごに、札幌地判昭48・9・7の長沼事件。これ「公益上の理由」が必要であるとされる保安林指定解除の理由において、自衛隊基地建設はそれにあたるかが問われました。

 上の第1審は自衛隊を違憲の組織体と判示しているのですが、控訴審では保安林指定の取消を争う「訴えの利益」(行訴9条1項)が1審原告に失われたことを理由に第1審判決が取り消され、上告も棄却されていているので、第1審の判示内容が確定判決にはなっていません。

 やく1回分進捗が遅れている本講義は、次回は「日本国憲法の統治構造」と題して、法の支配、権力分立、議院内閣制といった日本国憲法の統治の基本原理について講義します。とくに、議院内閣制下における権力分立はいわゆる「三権分立」ではないことを、是非、理解してください。

 

2017年4月27日 (木)

憲法Ⅱ(第6回)。

 sun。わたしはすでにGW突入です。

 で、きょうの「憲法Ⅱ」のレビューです。

 (0) いつものようにSBSから。

 ① なぜ、明治憲法と日本国憲法の法的連続性を確保することの意味とは何か、法的連続性がなければ何か弊害が生じるのか、という質問について。講義中にもお話ししましたが、これ、いい質問ですよね。なぜ、この先生、「八月革命説」・・・とか「事実としての力」が発動されれば・・・なんて、熱っぽく言っているのか、と。

 こうした抽象的な議論をする意義は、ズバリ「日本国憲法の正当性」、「日本国憲法下での統治の正当性」を論理的に説明するためである、と講義しました。これがうまくいかないと、日本国憲法下での統治の正当性は失われ、制定後70年間に実施された法的行為のすべての正当性を失ってしまうからである、と。

 でも、それは「頭の中だけでのこと」であって、現実社会では、それでも統治はなされるのでしょう、ともいえます。ただ、それ、全部、法外の「事実としての力」による統治になってしまわないでしょうか。もし、これを認めてしまうなら、講義でもお話ししたように「内閣による解釈改憲」といったって、それを批判する論拠を失ってしまうであろうと。だって、日本国憲法そのものが法外の「事実としての力」によって制定されていることになってしまうので。

 SBSで下線で示したように、日本国憲法の制定がそもそも法的には説明のつかないものであり、政府によるそれ以降の統治だってそう、これからもそう・・・、それでよいでしょうか。

 ということで、日本国憲法の正当性を論理として確保することは、日本国憲法に基づいて現在の統治のあり方を検証するために、さけては通れない一里塚だと思います。

 ② ちなみに、法令用語の基礎知識であり(1年生の基礎演習Ⅰで学んでいるよね~~)といった「その他の」と「その他」の違いを含めて、法令用語の用法について確認してください。その名もズバリ『法令用語の常識』なんて本もあります。

 (1) 本編にはいって、まずは前回の積み残し、君主でも元首でもない天皇が憲法上なし得る行為とは何か、ということで、国事行為について検討しました。

 ① 国事行為は、憲法6条及び7条に列挙されています。これは、もともと儀礼的なものか、それとも、憲法上の他の規定により実体的決定権が他の国家機関に与えられたあと、形式的に天皇の国事行為とされているものに分類できる、とお話ししました。いずれも、国政に関する権能を有しない天皇(4条)なので、国事行為として6条、7条に列挙された時点ですでに形式的・儀礼的なものになっている行為です。

 で、このうち、国会の召集(7条2号)と衆議院の解散(同3号)については、実体的決定権の所在が憲法上明確になっていない、とお話ししました。いずれも内閣に権限があると思われるけれども、前者(召集)については国会が自ら召集を決定できるか(自律的召集が許されるか)、後者(解散)については内閣はいつでも解散できるのかそれともなんらかの制約があるか、という論点があることを紹介しました。それぞれ、国会及び内閣の章で解説します。

 ② つぎに、天皇に憲法上許される行為はこの国事行為と私人としての天皇の行為に限られるのか(国事行為限定説)、それとも、それ以外に憲法上なんらかの行為が許されているといえるのか(国事行為非限定説)があることをお話ししました。

 そして、天皇は、国会開設のさいの「おことば」にはじまり、地方巡幸、外国要人の接受等を行っているので、国事行為限定説は実務的にはないとお話ししました。

 ただ、では、その中間領域にある行為(公人としての行為とも象徴としての行為とも)は制限なくできる(内閣は制限なく助言と承認を与えてよいか)というと、そうではいはず。なによりも天皇の政治利用を防止するために(為政者は天皇の存在及び天皇制の「社会統合機能」を巧みに利用して統治してきているので)、天皇を国政に関与しない地位に留め置くような運用がなされなければならないはずです。

 (2) そして、講義は9条解釈にはいりました。「9条論」の冒頭では、日本国憲法が前文及び9条で採用した国際協調に基づく安全保障の実現について、戦略的あるいは情緒的思考に陥らないために、戦争観をめぐる歴史の流れ、9条制定の背景、9条の文理解釈、そして、裁判例をいう柱をたてて、このテーマを解説することを確認しました(参照、青本P81)。

 ① で、まず、戦争、武力行使違法化の歴史についてみました。そこには、第一次世界大戦前のものとしてH・グロチウスによる正戦論にはじまり、無差別戦争論、第一次世界大戦後のものとして国際連盟規約、不戦条約、そして、第二次世界大戦後のものとして国連憲章などがあることをお話ししました。

 ここでのポイントは、「不正戦争/正戦」、「侵略戦争/自衛戦争」、「戦争/武力行使」といった区別(いずれも前者を禁止し後者を例外とする戦争防止論)を経て、現在では、国際社会は戦争のみならず武力行使一般を違法化する流れにあるので、日本国憲法9条もこの流れのなかで解釈されなければならない、という点です。日本国憲法だけ真空のなかで平和主義を採用したわけではないのです。

 また、国際社会は武力行使一般を違法化(国連憲章2条4項)しているとはいえ、自衛権の行使については例外としている(同51条)ことと日本国憲法の関係もポイントとなりますよね。きょうはあまり深掘りすることができなかったので、連休明けの講義では、このあたりを詰めることになると思います。

 ② 講義の終盤では、9条の2条項に逐条解釈を施しました。そこでは、9条1項で全面放棄とするか1項・2項合わせ技で放棄とするかは学説の分岐があるけれども、9条は(侵略的なものにしろ自衛のものにしろ)戦争(実質的意味でのそれ)を全面的に放棄しているという見解が一般的である、とお話ししました。

 ③ ただ、それでは、戦争を全面的に放棄するために保持しないとした「戦力」とはなにか。現在の政府見解は「近代戦争遂行能力」をもたなに「必要最小限の自衛力」はそれにあたらないとしている、ともお話ししたところで、時間になったと思います。

 この政府見解と自衛隊、自衛権(集団的、個別的)のお話しから連休明けは講義を再開します。

 それでは、みなさん、よい連休を!!!!!

 

2017年4月24日 (月)

憲法Ⅱ(第5回)。

 sun なのに~、憲法Ⅱ~。

 で、きょうの憲法Ⅱの講義のレビューです。

 (0) まず、いつものようにSBSから、

 ① 「リベラル」の意味ですが、これ、自由主義と訳すのは、ハッキリ言って「間違っている」か「誤導的である」と講義しました。リベラルは、自由を制限してでも実質的平等という名の結果の平等を実現すべきであるという政治思想です。あえて訳すなら「社会民主主義」であろうと。で、こうした政治思想を私有財産の社会化を通じてでも実現すべきであるという政治思想を「社会主義」というとも講義しました。日本国憲法は、社会権規定により、リベラルな政策は許容されているでしょうが、社会主義化は29条1項により禁止されていると思われます。

 ところで、リベラル派によって占められていたGHQによる日本国憲法制定の意図については、いずれも保守派の論客によるもののようですが、下記二冊をあげておきます。

 ② 憲法改正における「事実の力」による改正について。憲法改正権は実体的/形式的/手続的な拘束をうけるけれども、なおその拘束を超えて改正されるというような現象が起きたとすると、それは「事実の力」による改正ととらえるしかない、と講義しました。

 で、その例はあるのか、という質問について、この「事実の力」は正規の法からするとある種の違法状態とも考えられるので、法治国家では望ましいものではない(したがって、具体例としてあげられるものはない)とも。但し、憲法改正案の発議について(これは96条に権限者が規定されていてそこに国民はない)、「憲法改正手続法」(国民投票法)の附則には憲法改正過程にも「間接民主制」の拘束がある旨、規定されているので、かりに国民による発議がなされてそれが成立したとすると、これ「事実の力」による改正であった、と評価されるのでは、とも回答しました。

 (1) 本論にはいって、まず、憲法改正に形式的限界はあるか(憲法改正規定を改正権により改正できるか)について検討しました。わたしは、制憲者が改正権を現在の形式と手続に厳格に固定する意図ではなかったはずだとして、発議においていずれかの議院に優越を認めるとか国民投票をなくすというようなことを禁止し、しかし「いくぶん」かの改正は許されるとしている通説的見解を否定する論陣をはりました。改正規定をいまのもの(5分の3でもなく2分の1でもなく「3分の2」、要国民投票など)としたのは制憲者であり、これを改めることは改正権の設定と同じなので制憲者にしかできないのでは、と。青本のP45~P46を吟味してみてください。

 (2) つづいて「象徴天皇制」の項目にはいり、憲法1条の意義を検討しました。

 ① まず、1条前段の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ〔る〕」の法的効果は、政治的に中立な存在であってはじめて象徴としての機能を果たせる考えるなら、機能を失われるような行為を天皇に禁止し、その機能を毀損するような行為を天皇にとらせることを政府に禁止しているものである、としました。

 で、なにが「政治的なるもの」なのかがここでも問題になりますが、これは青本のP64~P65のあとP76~P77を読んでください。わたしは「政治的」という概念も形式的にとらえるべきであると考えているので、何が政治的であるかを実体として検討するのではなく(そうすると百家争鳴)、政治というのは人間社会における人為的営みの集積であろうから、人為的でなければ(非人為的)「政治的ではない」ととらえればよく、たとえば、天皇特例会見における「30日ルール」のようなものを守ったか否かで、政治利用されたか否かを判定するのがよい、との見解を表明しました。

 ② つぎに、1条後段の「〔天皇の〕地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の意味について。これは、天皇の統治を天孫降臨神話による神勅にもとめた明治憲法の「日本版王権神授説」を否定したものである、と述べました。ただ、これはフィクションであるので、国民の総意により天皇の地位は変更可能かというと、そういう法的効果はやはりないのでは、とも述べました。

 (3) では、こうした天皇は一体何ものか?

 ① 天皇は君主だろうか? これについては、君主とは、国家の統治権の重要部分を行使し、対外的に国家を代表する外交交渉権をもつ独任制国家機関をさすという一般的定義によれば、天皇は憲法4条により国政に関する権能を否定されているので、君主ではないことになります

 ② 天皇は元首だろうか? これについては、元首とは、現在では対外的に国家を代表する機関をさしているとする一般的定義によれば、対外的に国家を代表しているのは内閣(外交交渉権をもつ)であると考えられるので、天皇は元首ではない講義しました。

 ③ これに対して、政府見解は、明治憲法下におけるものとは異なるが日本国憲法下においても天皇は君主であり元首であるとしている、と解しているようであると(参照、第71回国会参議院予算委員会における内閣法制局長官答弁)。しかし、この君主・元首には法的権限の伴うものではないので、そういっても「形式的・名目的」なものにすぎないはずである、とも講義しました。

 (4) さいごに、天皇の特殊な地位に基づく天皇の法的責任についてお話しました。

 ① まず、天皇の刑事責任について。

 (ⅰ) 天皇に告訴権があるかというと、天皇、三后および皇嗣の名誉に関する告訴については内閣総理大臣が代行するとする刑法232条の2からすると、天皇にも告訴権があると考えられると思います。

 (ⅱ) では、逆に、天皇が訴追されることがあるか。天皇が訴追されることがあるか否かについて規定したものはありません。ただ、皇室典範21条は摂政について「在任中、訴追されない」と規定しています。また、国事行為の臨時代行に関する法律6条によると、国事行為を代行している皇族はその間には訴追されないと規定されています。これらの規定からすると、在任中は常に国事行為を担っている天皇には、もちろん、訴追権は及ばないと考えられるのではないでしょうか。

 ② で、天皇の民事責任ついては、かつて最高裁は天皇の象徴としての地位に鑑み、天皇には民事責任も及ばないと判示したことがる、と講義しました。ただ、天皇も財産権の主体であることを考えると、その範囲で、民事責任を肯定するのが適切であると思います。

 ということで、次回(27日木曜日)は、では、君主でも元首でもない天皇が日本国憲法上なし得る行為とは何か(国事行為、「公人としての行為」が許されるか)を説いたあと、「戦争放棄」、9条の規範的意味について検討しようと思います。

 

2017年4月20日 (木)

憲法Ⅱ(第4回)。

 cloudsprinkle。午前様からの午前講義。ちょっと疲労気味で失礼しました。

 ところで、わがゼミのツイッターアカウント「熊大法学部 大日方ゼミ」ができましたhappy01happy02

 ゼミ生ではない人のフォローも絶賛、大歓迎ですsign03

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 ということで、告知のあとは、きょうの第4回目の「憲法Ⅱ(統治機構)」のレビューをします。

 (0) いつものようにSBSから。

 ① まず、前回講義(第3回)のレビュー(4月17日付(2)(ⅲ))でもふれましたが、マッカーサー三原則のうちの封建制廃止に関する「財産権の社会化」について。日本国憲法が施行されていたとはいえ「農地改革(農地解放)」では「土地所有権の社会化」が実施されたといえます(1946年制定の自作農創設措置法による)。この「財産権の社会化」の意味ですが、一言でいうと、財産権を政府が強制的に収用して、しかし、その損失を(僅かしか)補償しないこと、と講義しました。これ、本来なら憲法29条1項が禁止している「私有財産の公有化」にあたると思われるので、占領下という特殊な状況下でのものとして理解されるべきであるとしました。

 そして、こういった「財産権の社会化」、「私的財産の公有化」を日本国憲法は禁止していて(29条1項)、この点において、わが国の憲法は経済自由主義(資本主義)を採用していると、わたしは理解しています。つまり、わが国の憲法は上のような財産権規制を許す社会主義憲法ではなく、かりにわが国が社会主義国家になるなら、憲法29条を改正する必要があると思います。

 ② 同じくマッカーサー三原則との関係で「天皇制存続」について。これ、なぜ天皇制は維持されたのか、とい質問が複数ありました。これについてのわたしの回答は、西欧諸国の為政者が統治の安定のために「宗教の社会統合機能」を巧みに利用しているのになぞらえて、GHQはこれから日本の占領統治を実施するにあたり、わが国では西欧の宗教の役割を天皇の存在、または、天皇制が果たしていると見抜いて、だから、象徴として天皇制を残すことで自らの占領統治をしやすくした、としました。「天皇の社会統合機能」を巧みに利用して占領政策を実施していったのです。

 このように、まず、わが国は一般に無宗教国といわれますが、その代わりに社会統合機能を果たしているものとして天皇の存在、天皇制がある。この社会統合機能をときの為政者は巧みに利用している。したがって「天皇の政治利用」には要注意であると講義しました。このことについては、まだ講義ではお話していませんが、青本P76にある【特別会見と「30日ルール」】を読んでみてください。

 それから、西欧諸国でも見られるように、為政者は「宗教の社会統合機能」を巧みに利用して統治をしています。ということで、これは、昨年の憲法Ⅰでお話ししたように、政教分離原則は、統治の正当性を分析する上でも重要な法原則であると考えられます。政府と特定の宗教団体との過度の結びつきは、やはり要注意です。

 ③ もうひとつ、明治憲法における統帥権の独立条項(11条)と軍部大臣現役武官制により、統治が軍部の意向に左右されるものになっていったことも復習的に講義しました。

 明憲11条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定しています。この条項は、天皇の軍事権限に議会関与を許さない(いわゆる大権事項とする)根拠とされました。また、軍部大臣現役武官制は、陸軍大臣及び海軍大臣を現役の大将・中将に限るとすることで、内閣に軍部の意向を直接反映させると同時に、軍部の意向に沿わない政策を実施しようとした場合には軍部大臣の退任をちらつかせる(退任後の後任を軍部から得られなければ内閣総辞職)ことでやはり軍部の意向のつよい内閣が形成されることになりました。

 こうして、明治憲法体制の後期には、国務のうちの軍務については、議会そして内閣の統制が及ばない、軍部の独走を許してしまうものになってしまったのです。

 きょうは、SBSをすこし丁寧に解説したので、講義の本体部分はあまり進みませんでした。ごめんなさい。で、本体部分でレビューすべきところは、、、

 (1) 日本国憲法制定過程の歴史的事実を確認しました。青本P36~P37をもう一度、読んでください。そこでは、当初は日本側主導で憲法改正を実施しようとしていたものの、極東委員会が立ち上がるまえに日本の占領統治をはじめたいと考えたアメリカの思惑やいわゆる松本委員会の改正案が毎日新聞のスクープにあい、その内容があまりにも保守的だったことから、GHQが主導して憲法改正を実施することになった経緯について記述していあります。

 そのさい、「押しつけ憲法論」とはなにか(青本P37)とか、日本国憲法に社会権条項(それは財産権制約の論拠の明示)と国務遂行に「適正さ」を要求している適正手続条項(憲31条)から慎重に「適正」の文言を抜いていること(ロックナー判決の経験)からマッカーサー元帥は「社会主義者」であったのでは? なんてお話もしました。余談とはいえ、とくに後者は日本国憲法制定の背景にあり、いまなおわが国の基本方針(Constitution)の重要な一部を占めている実質的平等保護の観念に大きく影響している法理論です。

 (2) で、最後に「日本国憲法制定の法理」と題して、憲法改正に限界ありやなしや、の問題を検討しました。そのうち、きょうは、時間の都合で、憲法改正に実体的限界(内容的限界)があるか否かについて学説の分岐を紹介しました。内容的限界とは、たとえば、国民主権原理や平和主義は憲法改正できないのではないか、というものです。

 ① まず、憲法改正を定義したあと、憲法とは、憲法制定権(制憲権)者によって制定された法である、ということから説明をはじめました。これから憲法を制定しようという場面を想起すると、まだ憲法がないのだから、制憲者はどのような法にも拘束されないで、憲法制定権を行使し得る。そして、制憲権を発動して憲法を制定し、憲法上の権限としてたとえば立法権とか司法権とかを規定しその権限を国会や裁判所という国家機関に帰属される。このとき、同じように、憲法改正権という権限を憲法上の権限として規定し、その権限を国会と国民(国民投票を通じて)に帰属させている。

 こうして憲法が制定されると、その後は、実定憲法上の権限(立法権、司法権、、、改正権など)は、憲法の規定・手続に従って行使される。つまり、改正権の行使は、憲法上改正規定の拘束(国会両院総議員の3分の2以上による発議、国民投票過半数)をうけている。ということは、憲法を制定する権力と憲法を改正する権力は、その法力(権力としての力)に差があるはずである制憲権/改正権)。

 ② これを前提知識として、憲法の実体(内容)の改正に限界があるか否か(改正できない条文があるか否か)については、

 (ⅰ) 改正規定に従いさえすれば、憲法改正権に実体的限界はないとする、憲法改正限界「否定説」があることを説明しました。この説は、改正規定によれば、憲法が依って立っている「国の基本方針(Constitution)」をも改正できるとするところに特徴があります。

 (ⅱ) これに対しては、手続的とはいえ法的拘束をうける改正権は制憲権とは別物であることを起点にして、憲法改正には実体的(内容的)限界があるとする、憲法改正限界「肯定説」があると説きました。

 ③ で、わたしの見解はというと、たしかに、手続的拘束と実体的拘束は別ものとはいえ、「手続/実体」の相対性に鑑みるとき、憲法改正権に対する手続的拘束は何らかの実体的拘束を内包する(したがって、憲法改正に内容的限界がある)とするものである、とも述べています。

 そして、では、日本国憲法の何か改正の限界にあるかについては、それは主権の所在(誰が主権者であるのか)が改正の限界であるとしました。

 憲法制定の第一義は、主権者を確定させ、同者が行使し得る権限を憲法上に規定することで、同権限の行使を形式的にも手続的にも制限することである、とこの講義では説いてきました。したがって、主権の所在(誰が主権者であるのか)は、その憲法においては重要な形式(価値ではない)にあたるものです。価値依存的ではないわたしの憲法の見方もここに出ていると自分では思っています。

 ということで、日本国憲法の基本的な価値とされているものは論者によってまちまちでしょう(基本的人権の尊重である、平和主義もである、国際協調主義もだ、など)。そうだとは思いますが、それでも、憲法改正権の限界はこうした特定の価値ではなく、憲法の第一義、それは、主権の所在にある、とわたしは考えています。

 次回は、この議論の延長線上にある「憲法改正規定を改正規定で改正できるか」(うーー、👅かみそう)の問題を扱ったあと、象徴天皇制についてみていこうと思います。

 

 

2017年4月17日 (月)

憲法Ⅱ(第3回)。

 rain 本日はお足もとの悪いなか、憲法Ⅱの講義にきていただき、あつく御礼もうしあげます。

 では、本日の2限目のレビューをします。

 (0) SBSではいろいろお話ししたのですが、やっぱり、憲法は「価値中立的」な法規範である、という点を再確認してほしいと思います。それは、特定の「よい」というもの(「よい状態」とか「よい生活」とか)を構想して憲法は解釈適用すべきではない(されるべきでもない)というものです。「よい」を実現していない政府は「悪い政府」であるというのを実体的統制としましょう。

 では、憲法はどのような法規範であるのかというと、国家機関の権力行使を形式的、手続的に統制する法規範であると思います。それは、たとえば、法律の制定という権力行使について、権限ある国家機関の提案からはじまり、審議・議決、署名・連署等、それぞれが適正になされているか、そして、議事手続が法令に規定されているものに則っているか、そういった点を憲法は規定しているのである、というものです。

 で、そうではなく、憲法は一定の「よい状態」や「よい生活」の実現を政府に要請しているはずであると憲法を解釈適用しようとするものを「価値依存的」と表現しました。ただ、すべての人びとにとって「よい」とされるものは画一的に存在しているとは思われないので、「よい」とされるものは、常に特定の個人や団体にとっての「よい」ものにならざるを得ないであろう、とも注意喚起しました。

 憲法条文をよく読めば、国家は××、△△してはいけない(消極的規定)と規定しており、政府は〇〇しなければならない(積極的規定)とする規定は例外的(で抽象的)である、ということも講義しました。やはり、憲法は特定の価値を信奉する法規範ではないと思います。

 (1) 講義の本体部分のはじめは、前回の続きで「明治憲法の特質と病理」をお話ししました。

 ① 特質(もいろいろとあると思うのですが)、ここれは、とくに大臣助言制が重要です。その仕組は、明治憲法55条にあるとおり、明治憲法下で制定されるすべての法律、勅令、詔勅等には、国務大臣の署名を要するとすることで、天皇の権力行使を抑制するものです。その意義としては、天皇が直接大臣を任命し、その助言、進言により国政運営するという点においては天皇親政的制度であるが、反面で、その国政運営に誤りあるときには、担当大臣を批判することで間接的ながら天皇の統治の責任を問う憲法上の制度であることも、講義では説明しています。大臣助言制を中核とする立憲君主制は絶対王政とは違のです。

 ② 病理としては「統帥権の独立」(明憲11条)について解説しました。「統帥事項」については議会や内閣の関与が許されない事項とされたために、軍務に関しては統帥権発動を擬制した軍部による独裁的慣行を許してしまったのであると。

 で、講義中に紹介した田原総一朗さんの本がこれです。軍部も官僚組織、その生態が戦争を生んでしまったことが書かれています。

 (2) 講義の後半では、戦争に負けたわが国にまっていたGHQによる占領政策において、もっとも重要な課題であった明治憲法の改正(日本国憲法の制定)に関するマッカーサー・ノートについてとりあげました(プリントP7です)。

 マ・ノートには、① 天皇制の存続、② 戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認、③ 封建制廃止、貴族制改革が唱えられており、このうち、解説が必要だと考えた③について、つぎのように分説しました。

 (ⅰ) 戦争の経済的基盤であった財閥の解体

 (ⅱ) 階級社会、特権階級の廃止。これは、あまり参照される条文ではありませんが、憲法14条2項・3項で実現しています。

 (ⅲ) 農地の特権的所有制度を改革するための農地解放。昭和28年の最高裁大法廷判決は、この農地の一種の「社会化」(国家による公法的規制。私有地を公有したあと安価な払い下げ)の是非が争われた事例でもありました。こういう私有財産の「社会化」は、日本国憲法がすでに制定されていたとはいえ占領下であったことによるもので、本来なら、29条1項が禁止しているのは、このような私有財産の公有化である、とも講義しました(このことは、昨年の「憲法Ⅰ」でも講義しました。緑本のP252も参照してください)。

 (3) この他にも、太平洋戦争に関連して、戦争とは宣戦布告にはじまり終結条約に終わる法状態のことであるから、1945(昭和20)年8月15日の「終戦の日」も重要な日であるが、国際法上は、同年9月2日の米戦艦ミズーリ号上での「降伏文書」調印が終戦協定にあたること、そして、その後、わが国はGHQの軍隊による占領下にはいるが、1951(昭和)年9月8日調印の「サンフランシスコ平和条約」の発効(翌年4月28日)により、わが国は主権を回復したことを論じました。

 ということで、次回(第4回)には、いよいよ日本国憲法制定過程お話しをして、象徴天皇制とは何か(第1条の解釈)に入ろうと思います。

2017年4月13日 (木)

憲法Ⅱ(第2回)。

 sun cherryblossom、まだいけますね。

 憲法Ⅱは半期4単位ということで、すでに、きょうが第2回の講義です。

 (0) まず、通例にならって「かえってきたSBS」の解説から。ここでは「統治/政治」の区別の例として、なぜ「与党党首の就任」と「内閣総理大臣の指名」(前者が「政治」で後者が「統治」、青本P3参照)を例に説明しているのか「ピン!」とはこなかったという質問について、たしかに、わかるものだと思い込んでいて丁寧に説明していなかったなぁ、と思いました。これから、より丁寧な説明を心掛けようと思いました。

 で、なぜそれを例にしたかというと、与党党首と内閣総理大臣、通常は、同一人物ですよね。というか、与党の党首に就任した人が国会で内閣総理大臣に指名されてきています。ところが、前者は「政治」なのでとくに党首を選ぶ手続等を規律している法令(国法)はないから政党という結社の内部で自由に決めていい、ただ、内閣総理大臣の指名は「統治」なので憲法をはじめとする国法の統制がある。となると、実際には、前者の方を法令によって統制しないと、、、ですが、政党も結社なのでその自律権は憲法で保障されている(21条1項)。で、どうすべきか、、、

 これを例に出したのは、「統治/政治」は「コインの表裏の関係」にあるということも示したかったからです。みなさんは憲法とともに政治学も学んで「で、どうするか」というところに自分なりの見解をもてるようになってください。

 (1) 講義の前半は、前回は近代的意味での立憲主義についてお話ししたところで終わっていたので、それが現代的意味での立憲主義に変容(「立憲主義の変容」、青本P5~P6参照)しているというお話しをしました。そこでは、つぎのことについて講義しています。

 ① 現代立憲主義の要請は、近代立憲主義のもたらした負の遺産(貧富の格差、経済恐慌、失業など)を解消にある。

 ② そのために、憲法は、国家が市民生活に積極的に介入、配慮することを求めている。

 ③ 日本国憲法には、そのことを政府に要請している規定(社会権規定)もある。

 ④ 但し、それは、同時に、わたしたちの自由な生活に政府の干渉を許す論拠ともなっている。

 どうでしょう、みなさんは、いまの立憲主義をどう評価しますか?

 (2) 講義の後半は項目がかわって「日本憲法史」にはいり、明治憲法の制定動機をお話ししました。それには、憲法をもつ近代国家になって江戸幕末に締結させられた不平等条約を改正するという「外的要因」と、民権運動を抑制し天皇支配体制を確立するという「外的要因」がある、と説明しました。

 (3) 教科書(青本)のP3~P25までは、昨年の「憲法Ⅰ(基本的人権)」で講義している(はず)なので省略しています。復習を兼ねて、一読しておいてください。わからないところがあったら、遠慮せずSBSで。

 次回は、わが国はなぜ太平洋戦争をしてしまったのか明治憲法との関係で簡単にみたあと、日本国憲法制定過程における議論を解説する予定です。そこにでてくる憲法改正論議は、5月の「憲法ウィーク」でも例年盛んに議論されていることだと思うので、自分なりの見解をもてるように講義を聞いてください。

より以前の記事一覧

2017年5月
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