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カテゴリー「映画、DVD」の15件の記事

2014年3月15日 (土)

ミュンヘン

 春だろう。

 DVDライブラリー(っていうほどたいそうなものではないが)にあった、ミュンヘンを観ました。スピルバーグ作品。

 ミュンヘン・オリンピック開催中におこったパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手襲撃事件を契機とした、アラブとイスラエルの対立が舞台。テロに対する報復、そして、その復讐のなかで、家族、同胞、祖国、そして、国家とはなにか、が描かれています。パレスティナ問題なんかには、とんと疎いわたしにも、楽しめるDVDでした。

 同胞殺害に対して、復讐という形態で応じる国家。その国家=政府から、存在しない人間とされた主人公が、それでも、祖国、仲間のために、ミッション(暗殺)を遂行します。ただ、ひと段落ついて、家族のもとに戻っても、安らぎは得られません。家族には慰めてもらえるのですが・・・

 家族と共になら明日の命がわからなくても安らぎがある。でも、ひとたび暗殺に手を染めると、そのあとに得た家族との生活には安らぎは、ない。なんだか、考えさせられるものがありました。

 また、政府から存在しない者とされたので病気には気をつけろ(医療保険が効かないので)とか、暗殺という大そうな命を下しておきながら、経費の領収書を依頼する政府といった、ときにウィットの効いた描写もありました。

 なんだか、ふっ、とした拍子に観てしまいましたが、大作でした。

 

2012年8月 4日 (土)

スーパーサイズ・ミー。

 もう、暑さにならされました(?)。

 こんな日は、クーラーの下でDVDということで、棚にあった「スーパーサイズ・ミー」を観ました。

 ご存じの方も多いと思いますが、これは“肥満になったのはマックのせいだ!”という米国での訴訟にヒントをえて、監督みずからが1ヶ月間、3食、マックだけで生活する実験をしたものです。それも3食必ず食べる、口にしてよいのはマックに売っているものだけ(水もマックのもの)という徹底ぶり!「スーパーサイズ・ミー」というのは、“わたしを特大にして(スーパーサイズに)”という意味です。

 はじめはファースト・フードに対する批判的映画かと思っていましたが、なんのなんの、内容はメディカル・ドキュメンタリーといえる深~いものでした。肥満は自己責任か、それとも肥満しやすい環境におかれているのか。政府は当該環境を矯正すべきなのか。とくに、学校給食の質や体育の必要性といった、子どもを育てる環境について、考えさせられることがありました。夏休みですし。

 わたしも、暴飲暴食の自らを省みないといけない、と思いました。

2012年5月26日 (土)

ザ・インターネット

 くもりですcloud。自転車操業状態の日常生活を変えたいけど変えられず・・・

 サンドラ・ブロック主演、アーウィン・ウィンクラー監督、1995年(とちょっと旧くなった)アメリカ映画『ザ・インターネット』を観ました。

 日常生活のすべてがコンピュータにはいっている現在。すべての個人情報が、キーひとつたたけば、わかってしまう社会です。わたしには、秘匿されるべき個人情報など少ないと思いますが・・・

 この映画は、個人情報が書き換えれてしまう恐ろしさ、を描いています。本人であるかどうかをコンピュータ上で認証する社会。もしこの認証先の方の情報が書き換えられていたら・・・、みなさんはどうやって自分が本人であることを、証明しますか?

 生身の友達って、重要ですね・・・。リアル社会って、やっぱり大切です。あたり前ですか。

 ところで、この映画の最初の方の場面では、主人公がチャット・トークする場面があります。チャットって、なんだか懐かしい響きだなぁ~、と思いながら観ました。そういえば、わたしが講義のプリントを配布している Web-CT にも、チャット・システムがあること、ご存じでしたか?といっても、わたしは利用したことありませんが。同じ講義を登録している人で、いま誰が Web-CT を利用しているかわかるので、そこにチャットの“お誘いメール”を出しておしゃべりするようです。こんどやってみようかなぁ~。

2012年2月11日 (土)

デッドマン・ウォーキング

 建国記念の日、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。建国記念の日って、まえは紀元節といって、もう明治からお休みだったって知っていますか。紀元節とは、初代天皇・神武天皇の即位日です。

 というこの日、研究室の本棚にあったデッドマン・ウォーキングを観ました。

 「デッドマン・ウォーキング」(死人が行くぞ!)。その基底にあるのは、単純な死刑廃止論ではありません。

 若いカップルを殺害した死刑囚。ただ、その犯行は認めず、また人種差別などマスコミをにぎわす発言も繰り返す。反省の色は示さない。

 その死刑囚から手紙を受け取ったシスターが面会にいき、赦免を求める活動をはじめます。ただ、シスターも、真実をはなして欲しいと求めます。

 赦免委員会、州知事への嘆願、連邦最高裁への再審請求、八方手を尽くしますが、結局、死刑執行日をむかえます。印象に残ったセリフは、聖書の一節、「真実を知る者は、真実により自由を得る」。神に救済されるためいは告白する必要がある、とシスターは死刑囚に求めます。

 “人道的”方法での“死刑”は許されるという論理で死刑は容認されてきました。このパラドクスぶくみのロジックの意味を深慮する切っ掛けとなる作品です。また、男と交わることのないシスターという存在、ユーモアのある場面もあって、重苦しさが押さえられた作品になっています。

2011年5月14日 (土)

目撃者 witness

 よく晴れています。風も清々しい。

 娘の友達が家にくるということで、追い出されるように出勤。こういうとき「もうひと部屋」あるのが嬉しい。ということで、勉強したりDVD観たりしました。

 DVDはハリソン・フォードが「最高の演技をした傑作」といわれる「目撃者」を観ました。

 麻薬捜査官が殺人を犯すところを目撃してしまったアーミッシュの少年とその母親(未亡人)を匿うためにその社会へ。ハリソン・フォード演じる刑事ジョン・ブックも逃走中に負傷します。

 その負傷を癒しつつ、アーミッシュの社会にも、少しずつ受け入れられるようになったブック刑事。ブック刑事を介抱しともに生活するうちに、二人には恋心が・・・。でも、その恋は許されない・・・。

 てな感じでお話しは進んでいきます。許されない関係になりつつある二人に、長老のひとこと。自分のことは自分で決めるという母親に対して、「おきてのある社会」のなかで、「判断するのは彼らであり、わたしだ」と。また、殺人を犯した麻薬捜査官は実は警察署長とグル。署長は、ブックの相棒に彼の居場所を問う場面で、「警察も同じ、おきてをもった集まりだ」といいます。

 おきて・・・、なんだか怖い響きですね~。大学も「おきてのある社会」でしょうね~。なんだか怖いですね~。

2010年10月30日 (土)

英国王給仕人に乾杯!

 くもり、肌寒いなかでの熊粋祭になりました。学園祭のキャンパスは・・・といっても五高裏ではそれほどでも。

 久しぶりに研究室のお掃除をして、DVD『英国王給仕人に乾杯!』を観ました。これはわたしが尊敬するK先生の【学生諸君へ】で紹介されているDVDです。

 主人公が再教育監獄からでて半生を回想する場面からはじまります。その半生とは、田舎の小さなホテルの見習い給仕から世界最高のホテル・パリでの主任ウェイターになり、最後はホテル王になって・・・というもの。この主人公の半生をチェコ現代史にのせて語るというのがDVDのトルソーです。

 チェコ人として生き、スデーデン生まれのドイツ人に恋をして、また貧しい給仕人から億万長者になって、そして社会主義革命にあって「再教育監獄」へ(億万長者であることの“罪”により)。主人公の“自分に告発され、自分を弁護することなできない”という半生を振り返っての内省・自問にハットさせられるDVDでした。

 また、ときにサービスカット満載で(男性なら)見飽きない映画でした。

2010年6月12日 (土)

サイダーハウス・ルール

 低気圧が近づいているせいか、少し強い風が出てきました。曇りです。

 本当は原稿を・・・、そんななか、『サイダーハウス・ルール』を観ました。“サイダーハウス”とは、主人公が孤児院を出て新しい生活を求めた場所、リンゴ農園の収穫人たちの宿舎です。

 これは勤務校の医学部の浅井篤先生の編集による『シネマの中の人間と医療 エシックス・シアターへの招待』(医療文化社、2006年)の巻頭で紹介されているDVDです。(浅井先生にはお会いしたことがありません)。

 この映画のメイン・テーマは、浅井先生の解説にあるように、人工妊娠中絶についてだと思います。さらに全篇を通して視聴者に問いかけていることを、浅井先生は、つぎの4点にまとめておられます。

 ① 中絶(堕胎)は決して許されないことか。中絶が是認される状況もあるか。

 ② “生”を受けることは、無条件に“よい”ことであろうか。どんな状況であれ“生まれる”(または生きている)ことは“生まれない”(または存在しない)ことより、絶対的によいことなのか。

 ③ 違法行為は倫理的に間違っていることなのか。それとも倫理的に許される違法行為もあるか。映画の設定では中絶は違法行為とされています。

 ④ 他人のことにわたしたちは介入すべきときがあるか。なにもせずにただ傍観していることも許されるか。

 浅井先生が「観るたびに新しい発見があ」る(7頁)というように、この他にも視聴者によっていろいろな見方のあるDVDだと思います。

 わたしはこの映画を“仕事”ってなんだろう・・・と思いながら観ました。“役に立つ”ということに喜びのようなものを感じる主人公。サイダーハウスでの生活や出征した恋人を待つ女性との関係においても、この“役に立つ”ということの意義が語られているように思いました。

 もうひとつ、出演者はみな明るいのに、冒頭から、なぜか胸が締めつけられるような感じを覚えました。(このように感じたのは、なにも原稿から逃避してDVDを観たことによる焦燥感だけではないはず・・・)。その理由はなんなのだろう、と思っていたら、主人公とその親代わりの孤児院の院長(産婦人科医でもある)との手紙のなかで、院長が「おまえは遅れた思春期を過ごしているのだ」という件があります。あぁ、これかなぁ、と感じました。最終版で“遅れた思春期”を終え、“求められている場所”に戻っていく主人公の姿をみて、充実感に満ちた126分でした。

2010年5月12日 (水)

12人の怒れる男

 快晴です。清々しい一日になりました。なにをするにもよい季節ですが、熊本では、この期間が非常に短いように思います。すぐに暑くなるので。

 DVDを観るには季節は関係ないのですが、ちょっと空いた時間を使って、いまや陪審映画の古典になった「十二人の怒れる男」を観ました。

 実はわたくし、この映画の存在は学部生の頃から知っていたのですが、実際に観たことはありませんでした。(「12人の優しい日本人」の方は何度か観た)。そこで100分弱なので、ちょっと観てみました。

 内容は父親殺しの容疑を受けている少年が有罪か無罪かを陪審員が審議するというものです。それが陪審室の蒸し暑さも手伝って、白熱した議論が展開されます。そんなにアングリーにならなくても・・・という感じもしますが。

 ある陪審員が述べる「偏見という眼鏡はものごとの真実を見失わせる」という言葉が陪審室に響き、推定無罪を貫く意義が感じられる作品です。

 ところでこの映画を模写した(あるいはパロディー化した)作品として「12人の優しい日本人」があります。この作品は三谷幸喜さんの脚本というだけあって、真剣な議論のなかにもコメディタッチの部分があって、観あきることのない作品になっています。

 ようやく1年生のなかにもこのブログの存在が認識されつつようなので、本日は1年生向きのDVDを紹介しました。

2010年4月30日 (金)

訴訟

 よく晴れています。勤務校ではハッピー・マンデーによる講義時間不足を補うために、今日は金曜日なのに「月曜日」です。学生の頃ならこんなときにまで講義するなんて・・・と思っていたはずなのに、教員になったらケロッとして、4月30日に講義をするという“品のないこと”をしてしまう自分がいます。

 ところで講義は午後なので、講義準備を終え、DVDを観賞しました。観たのはこれです。

 父の浮気が原因で対立しあっている父と娘。両者はともに弁護士でもあります。この2人が大手自動車会社の欠陥隠しをめぐり、被害者側の弁護を引き受ける父と、自動車会社側の弁護士となる娘という形で、公私ともに対立します。そこに母親(妻)の死が絡んで・・・、という感じでお話が始まります。

 訴訟の方は一進一退(徐々に、自動車会社側が有利に)で進捗しますが、ある日、重大な欠陥を指摘した文書が隠蔽されているという疑惑が発生します。そして新たな展開が・・・。

 ・・・ばかりでお話が見えないかもしれませんが、それはほら、お約束ということで。

 お話の終盤では、自動車会社側のつきのような目論見も明らかになります。それは、全欠陥車を回収し修理するコストと、事故の確率、それによる訴訟費用と損害賠償額、これらを天秤に掛ければ、回収しない方がコスト的には低いという保険数理です。まさに「ジャスティス@ハーバード」です(←ちょっと、唐突でしたか)。この計算にお金では表せないなにか重要なものが欠落してはいないでしょうか。それとも、それとていずれかの方法で金額に表せるものなのでしょうか。

 最終盤で自動車会社側(それは所属するローファーム側でもある)から相手側に寝返る娘・弁護士。「正義のためよ、まさに父ゆずりね」というセリフが決まっていました。

 そろそろ新入生のなかにもこのブログを読んでくれる方が出てきた様子。(まだ)“正義感”に満ち溢れているであろうみなさんに、お薦めの一本です。

2010年3月13日 (土)

ショーシャンクの空に

 雨です。

 週の初めから中ごろまでは寒く、小雪も舞い、週末に向かって温かくなりました。なんとなく長く感じた1週間でした。

 ということで(?)、研究室にある数少ないDVDライブラリーのなかにあった、「ショーシャンクの空に」を観ました。

 主人公は元銀行マン。妻と間男を殺した罪(実は冤罪)で終身刑を言い渡され、ショーシャンク刑務所で服役するところから、お話が始まります。

 彼は他の受刑者とかかわろうとしないのですが、持ち前の会計・税務処理の能力を生かして、主任看守の相続問題を解決した頃から、看守たちにも、また周りの受刑者たちにも馴染んでいきます。それはもともとの彼の人間的魅力によるものだったのかもしれません。

 ある日、刑務所内の図書室で配本係をしていた老受刑者の助手を命じられます。それは、彼の会計能力を生かして、看守たちの税務問題の処理をする役割を刑務所内でさせるためでした。また彼は、図書室を大きくしようと議会に毎週手紙を書き、それを実現させると、つぎには受刑者のなかで高校卒業の資格を得させるための手ほどきもします。

 ところが、それと同時に、刑務所長の不正な経理操作をさせられます。賄賂のマネーロンダリングを命じられるのです。また、主人公の無実を知る受刑者の存在を知った所長は、主人公の再審請求を聞き入れないばかりか、その受刑者を亡き者に・・・、おっと、なんか話しすぎましたね。あとは、観てのお楽しみというところで・・・。

 ところで、刑務所内には他の受刑者の信頼を受ける黒人の長期受刑者がいます。彼は外部からタバコやお酒などを持ち込む仲介者、「調達係」をしています。その彼と主人公は所内で打ち解けるのですが、この「調達係」がさきの老受刑者の仮釈放が決まった時、こういいます。仮釈放が決まった時、その老受刑者は精神状態を乱すのですが、

 「塀というのが問題なのだ。この塀、最初は憎む、そのうち慣れる、時間が経つと頼りにしてしまう。施設慣れっていうんだ。」

 この老受刑者、仮釈放後のシャバの生活に馴染めず、首を吊ってしまいます。さて、長期受刑の後、今度はその「調達係」の仮釈放が許されます。さてどうなったでしょう・・・、とまぁ、ここも観てください。

 この映画には、もちろん冤罪や刑務所内の不正もそうですが、他にもいろいろなテーマがあったと思います。DVDのパッケージには「再見することによって、この画以外の価値をより深く理解することができた」と書かれています。鑑賞後、感動でもなく、興奮でもなく、ただ満足感が残る作品でした。いずれ再見したいと思います。

 

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